2017年9月26日火曜日

「平昌・韓中日詩人祭2017」から帰国





「平昌 韓中日詩人祭2017」(表記は、出国前の書類では「韓日中」だったけれど、行ってみたら「韓中日」でした)から、無事、帰りました。

盛大かつ充実した国際詩祭で、お招きをいただき、光栄でした。

日本側の招待詩人は、佐川亜紀、中本道代、萩原健次郎、柴田三吉、紫圭子、細田傳造、大城貞俊、田島安江、鍋倉ますみ、堀内統義、谷内修造、天童大人、杉本真維子、大坪れみ子、飛田圭吾の各氏とぼく。

詩人祭の閉幕後、ぼくはソウルにのこって韓国の文芸誌のインタヴューや、韓国で注目されている若手女性詩人Lee Hye-mi(リ・ヘミ)さんとの対談にのぞみました。韓国、中国の、たくさんの優れた詩人たちと交流をもつことができ、また、詩友となることができたのは、なによりの収穫。これから、日韓中の詩の未来へ架橋できるようなプロジェクトがすこしでもできれば、今回のフェスティバルに参加した意義も深まると思います。

韓国側のコーディネーターにして、詩人・翻訳家の韓成禮(ハン・ソンレ)さん、通訳のみならず滞在の手助けをしてくださった、李露米さん、李美京さん、崔喜圓さん、李國寛さん、吉村優里さん。ほんとうに、お世話になりました。ありがとうございました。

詩人の金永卓さんと、リ・ヘミさん、ハンさんとは詩的「兄弟姉妹」の間柄にまでしていただいた。

来週から、この詩人祭の模様を何回かにわたり、本ブログでお伝えする予定です。ところが、韓国でスマホが故障。写真のデータがぜんぶ消えてしまった。中上健次が好んだという、ソウルのインマン山の姿も。今回の滞在では、デジカメを携行していなかったので、大ショック。ハンさんが撮影された写真を送ってくださったので、それを使わせていただきます。

日本に帰国してから、安倍晋三政権が北朝鮮ミサイルの混乱に乗じて解散選挙するとの報道。意外と思われるかもしれないけれど、韓国の人たちは、北朝鮮の動向をそれほど危機的にとらえていない。すくなくとも、トランプ大米統領や安倍政権、日本のメディアがさわぎたてるほどには。今回、韓国北朝鮮国境線地帯「DMZ」周辺でサテライトイベントが開催されたのだけれど、土日とあって、DMZは韓国民や海外観光客たちでいっぱい。遊園地もあって、びっくりするほどにぎわっていた。いつもとかわらない、のどかな光景だった。

スキャンダルで支持率が急落した安倍晋三が北朝鮮問題を盾に、自己保存のためだけの選挙をおこなう。しかも、安保改憲を水面下におきながら、経済政策だけを焦点するかのように振舞う。国民からは見放されていても、運には見放されていないのかもしれない。

たしかに、北朝鮮問題は看過できない。だが、ともに支持率を下落させつづける民族中心主義者トランプ米大統領と安倍晋三が握手し、「有事」を合言葉に足並みをそろえる現状は、危険だ。安倍政権が過熱気味にリードする対北朝鮮の仮面にはとらわれず、冷静に、これまでの安倍晋三ならびに与党政権の実像を評価していかなければならない。


フェスティヴァルで出逢った韓国や中国の詩友たちの、ほんとうの姿や想い。かれらから見た日本を、すこしでも楽しく知っていただけたら、うれしいです。

2017年9月12日火曜日

平昌・韓日中詩人祭2017へ





あす、早朝から、「平昌・韓日中詩人祭2017」へ。2018年に開催される、平昌冬季オリンピックの前夜祭でもある。帰国は、920日です

なんとか、詩や散文原稿の依頼をこなし、荷づくりまでかこつけた。いつもながら、もう、バタバタ。まあ、徹夜しないだけ、ましになったかな。

ここ数週間読んでいた、韓国や中国の和訳詩書、サイン本、寄贈をもとめられている自筆原稿などをまとめて、スーツケースにつめる。そうだ、書家・北村宗介さんから贈られた璽印も、いれよう。

わが里、見沼では、稲刈りがはじまったばかり。まだ、蟬が鳴いているけれど。帰りは彼岸の入りだから、夏は、もういないかも。

北朝鮮の弾道ミサイル・核開発問題で国際的な緊張がたかまる最中での、韓国ゆき。不思議なもので、十代でアメリカに初滞在したときは、湾岸戦争が勃発し、タイでは9.11前回のロンドンではテロがあった。家族はちょっぴり、心配している。でも、こんなときだからこそ、韓国での国際詩祭に参加する意義があると思う。

妻が、ご近所、浦和の調神社(つきじんじゃ)にお詣りして兎の安全祈願護をいただいてきてくれた。「ツキ」に恵まれるように。お護りは手提げカバンのなかへ。

平昌詩祭の模様はブログでもおつたえします。というわけで、本ブログは、しばらくお休みさせていただきます。

帰国後も、どうぞ、おつきあいください。


2017年9月11日月曜日

ロンドン・パブ紀行、その2







イナー・ロンドンのマリルボン駅からすこし夜道を歩く。セイモア・ストリート・W1。リージェンツ・パーク沿いの、閑静だが、それほど高級そうでもない落ち着いたエリアに、ぼくのめざすバーがあった。

「ザ・ゼッター・タウンハウス:セイモアズ・パーラー」(the Zetter Town House : Seymour’s Parlour)というのが、そのお店。以前、仕事で知りあった、ロンドン近郊に住む夜遊び好きの友だちが、「最近、とても話題になっている隠れ家的なバーだよ。ぜひ、行ってごらん」なんて、いうから。

灯の消えた住宅街に、ちょっとだけネオンを主張するドアがあった。はいってみると、外観とちがって、店内はほぼ満員。金曜の夜とあって、なかなか、にぎやかだ。非常に感じよく迎えられて、止まり木の席につく。バーテンダーさんが、感じよく話しかけてくれて、メニューを見せてくれた。ちいさめのポークパイハットをかぶり、カイゼル髭、サスペンダー、シャツの袖からは刺青におおわれた両腕がのぞく。

バーテンダーさんのファッションもそうだけれど、店全体の雰囲気が、1900年代初頭のロンドンにタイムスリップしたかんじ。ヴィクトリアンの壁紙に、肖像画や風景画の額、時計や陶器といったアンティークがところせましと架けてある。天鵞絨のソファはもちろん、ランプスタンドや帽子掛まで、かなりクラシックなスタイルだ。それでいて、いわゆるロンドンのクラブ(ダンスフロアではない)のごとき、嫌味な場所ではない。ロンドン下町っ子の粋なセンスを感じる。そう指摘すると、マネージャーさんが、「当店は、セイモアおじさんっていう、架空の人物が経営するバーという設定です。年代は特定していませんが、内装もスタッフの服装もそのイメージで調和しています」とおしえてくれた。クラシックだけれど、アーティスティックなパンクテイストがある。不思議と、モダンなのだ。

リトルヴェニスでそんなに美味しくない 笑 ステーキを食べ、食事はすませてきたので、さっそくジン・ベースのカクテルをつくってもらう。まずはドライマティーニ。いわゆるチャーチル・スタイル。ベルモットはほんの香りづけ。見た目はごくシンプル。ざっくりつくってある。なにか、ほかの香りもしたのでバーテンダーさんに尋ねると、「セイモアのカクテルの特徴は、アロマですね。たとえばこのマティーニにつかうジンには微量のアニスが混合してあります」。たしかに、華美ではないけれど、洗練されている。それにしても、本場ロンドンのジンベース・カクテルは、めちゃくちゃ濃い。サイズもイギリス人サイズで、日本の1.5倍くらいだ。ぼく好みだが、気をつけないと、酔いつぶれてしまう。と、いいつつ、おかわりをして、お隣に座ったブロンドのおねえさんと楽しく話していると、だんだん呂律が怪しくなってきた。

さいごに、もう一杯。梔子の香りのするワインとジンを一対一で割り、氷でステアしたカクテルをもらう。

お礼をいって、店をでると、ここちよい春初旬の夜気。完全に、千鳥足。好きなディラン・トマスの詩の冒頭を「Altarwise by owl-light in the half-way house / The gentleman lay graveward with his furies; 」(ぼくは勝手に酔っ払いの詩として楽しんでいる)と口ずさむと、あれ、これ、セイモアおじさんのこと?なんてイメージが酔脳にうかび、独り笑いを、だれもいない暗い石の路面に響かせる。

「セイモアズ・パーラー」の上階は、すごく居心地のよさそうな、「ゼッターホテル」(The Zetter Hotel)というブティックホテルになっている。

http://www.thezettertownhouse.com/marylebone/bar
こんどロンドンにきたら、ぜひ泊まって、ロンドン遊びの拠点としよう。


翌朝。酒がよかったのか、まったく二日酔いにならなかった。