2018年2月28日水曜日

ホームページ1周年




 いつも、本ブログ、ならびにホームページをごらんくださり、ありがとうございます。

はやいもので、初めての公式ホームページ「MIzuho’s Perch」がオープンして一年がたちました。あわせてリスタートした本ブログ、怠惰なぼくは、もう二年くらいやっている気になっていましたが。

 さて、すこしまえから、ホームページの雰囲気がかわった、そう気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。

 ぼくが仕事でごいっしょさせていただいているデザイナーの菊池雅樹さんが、ちょいと、いじってくれました(ホームページそのものは、最初、妻が設定してくれた)。
今月は「Perch」(止まり木=バーカウンター)にかけて、ロンドンのバーがテーマ。最初は、これで終わりにするつもりだったそう。ところが、
いつまでたってもPCに疎く、興味も薄弱なぼくをみるにみかねて、「Home」と「Blog」は、しばらくのあいだ、毎月チェンジしてくれるとのこと。
この場をかりて、感謝いたします。

菊池さんがえらんだ三月、弥生月のテーマは、梅のつぎくらいに咲きはじめた茶花、満作(マンサク)。ストレンジ・ビューティーの花ですよね。木草弥や生う、という月の名にかけて、だそうです。
仕事で拙事務所をおとずれた折、庭や机上を撮影してくださった。ちょっと、はずかしい。伐り花のほうは、部屋においてあった、約四百年まえのイギリスのスレート瓦にのせて撮影されていた。

それでも、近隣や自庭では桃が咲きほころび、すでに一、二輪開花していた河津桜も、今日明日には咲いてしまいそう。

 今日は、二月最後の日。

 四月は、どんなページにしてくださるのか、たのしみ。

2018年2月27日火曜日

浅草、けとばし酔い2







前回から、ぜひ、お読みを)


 さて、とりあえず…、

 瓶ビールで乾杯したあと、馬刺をたのんでみる。ロース、ヒレ、バラの三種。肉はやわこく、嫌な臭みはまったくなく、脂は、とろけるようだ。血ぬきがよくされていて、ほどよく成熟している。生姜、にんにくなどの薬味はついてこない。いらない、ということだろう。酒をつとたらした、生醤油のみ。

 そして、鍋。まず、ロースを二人前。肉のならびが、花が咲いたようにきれい。つまりは、桜。

 着物の仲居さんが、「うちの馬は、うっすら火がとおったら、もう食べてくださいね」と、いいのこしてたちはたらく。
 あつあつの肉を、酒醤油で溶く軍鶏の有精卵をからめて頬張る。これは、信州松本の桜をいれて、いままでの三本指にはいる美味さ。馬とは思えない、味がしつこくなく、あっさり、澄んでいて…けだし…、
 ことし、五月には四五になり、食欲は減退の一途をたどるぼくだが、それでも、ちと、値のわりにポーションがすくなくはないか。この感覚、中江さんのみならず、じつは、浅草の老舗名店に共通するのだ。すると、
 「石田さん、ね、浅草の酒には、しみったれの美学というのが、あるのですよ」と、谷口昌良さん。

 「しみったれ、ていうのはね、ここ浅草では善い言葉なのですよ。‎祖父や父ともよくこの店にはきたけど、祖父なんか、こぼれた酒をもったいねえって、手にぬるんですよ。呑みきったお銚子の底にのノ字なんか書いてね。箸も一本しかつかわないで、鍋もちびちび、文字通りつつくように食べる。煮つめた出汁をちょいちょいつついて、それを酒のアテにしてね。で、〆に夜鳴き。酒も食物も、そうやって、大切にいただいたんですね」。

(なある…)

わかった気がした。桜は、一瞬で散り、ねぎ、しらたき、焼き豆腐がちんまりとはこばれてきた。これも、ちょこっとつまんで、あとは生卵とかきまぜてくつくつ煮くずす。こうして、できた卵出汁を、あつあつの飯にかけ、味噌汁とささといただくのが中江流。

 せっかくだから、バラ肉も食べたくて、たのんだ。バラは、さきに鍋の出汁に味噌を溶いておく。そこに、肉をいれ、こちらは少々よく火をとおして、いただく。まあ、牛でも豚でもない脂が、凍てつく街をとろかしてしまいそうで。

 その間、写真の話、文学、アートの話に花を咲かせ…。

 じつに、結構な夜桜でした。



 店をでしな、「石田さん、これから、どちらへ」。

 いたずらっぽく微笑う、谷口氏だった。

2018年2月23日金曜日

浅草、けとばし酔い1





 上野のあとは、浅草へ。池波正太郎が好み、詩誌「荒地」創設メンバー、鮎川信夫や北村太郎が学生時代に会合した珈琲店「アンヂュラス」で小憩。
 夕方から、ひさしぶりに、蔵前のギャラリー空蓮房での個展でお世話になった、谷口昌良さんと呑む約束をしていた。

 空蓮房の運営や、近現代の写真コレクションで知られる谷口昌良さんは、これまで禁欲的なまでに自身の写真作品を公表してこなかった。それが、最近、1970年代から90年代前半までに撮りためた写真作品を、『写真少年1』、 『写真少年2』というタイトルで集成されたのである。
 谷口さんの写真集については、いずれ本ブログでもご紹介したい。
 その夜は、ぼくからのお祝いの気持ちもこめて、お誘いしたのだった。
 最初は、別の店を考えていたのだけれど、谷口さんと打ち合わせるうち、
「吉原大門に、いい、けとばしがありますよ」
と教えられ、じゃあ、そこに、ということになった。

 まだ、かわたれ刻にタクシーで乗りつけたのは、吉原入口そばにある桜鍋の老舗「中江」。

 昔馴染の総格子のしもたや造。看板には、桜印に肉とある。いわずもがな、馬肉料理屋のことで、森下の老舗「みの家」にも同様の標があった。けとばし、とは、まあ、そういうことです。気づくと、隣屋も、桜鍋。
 かつて、吉原遊びの往来に、精をつけるため、旦那たちがかよったとのことで、大門付近には牛鍋や桜鍋をはじめ百肉(ももんじ)を喰わせる店が軒をならべ隆盛したのである。いまも、浅草に肉料理やがおおいのは、江戸最大の遊廓の殘ん香と、明治以降の歓楽街としての発展があったにちがいない。

(つづく)

2018年2月20日火曜日

「南方熊楠」展へ




  横浜で泊まり仕事の翌日、上野で下車する。毎年、元旦から仕事のぼくは、旧正月すぎに正月休みをとるのだった。

 そんなときは、泊まりがけで昼夜、呑む。

 蓮雀町「鎌鮨」は、まだあいていないので、ぶらり、上野公園へ。このところ多忙で、気になってはいたものの、なかなか赴けなかった国立科学博物館で開催中の「南方熊楠展」にはいった。
 じつは、今月末の発売だと思うけれど、詩の雑誌「詩と思想」3月号に、昨秋旅した南紀州と熊楠さんについて書いたのだった。この南紀への旅、本ブログで紹介するのを、うっかり失念していた。

 とまれ、本展はちいさな企画展だが、力のこもった、良質な展示だった。熊楠さんの膨大な直筆ノート、抜書、粘菌標本などの一隅と、久方ぶりに対面。
 どの紙片も、余白をのこすことなく、墨やインクの手蹟でびっしりうまっている。ふつう、一行分しか書けない罫線内に、細筆で二行書きこんである。熊楠さんは、書くことをほんとうに愛した。発表の意図や目的もなく。
 手紙も毎日のようによくしたためた。柳田國男や真言密教僧土宜法龍法師へのおびただしい書簡。ロバート・ダグラスやF・V・ディキンズなどとも英文で頻々にやりとりをしている。こういう、熊楠さんの情熱あふれる手蹟を、時も忘れて眺めていると、PC時代に手書きのぼくは、大変意気をえた。

 後年「南方はよく憶えている」と述べたという、昭和天皇に献じた粘菌標本をおさめた伝説のキャラメル箱(同型のレプリカだそう)もあった。これは、ぼくも初めてみる。田辺の南方熊楠記念館でみた記憶はない。しかし、どうして、キャラメル箱?
 キャラメル箱というと、掌にのるサイズを想像すると思う。佐藤春生などの南方熊楠伝を読んだとき、あのちいさなキャラメル箱にひからびた標本が納っているのをつい想像してしまったが。じつはこのキャラメル箱、半紙サイズのおおきな厚紙製だった。たぶん、店舗販売用の大箱だろう。それにしても、熊楠さんはこの箱をどこで手にいれたのかしらん。もしかすると、あの大箱にはいったキャラメル、ぜんぶ食べてしまったのかな。

 生物学の分野では、いくつかの新種の粘菌の発見やネイチャー誌への英語論文の投稿、研究員としての職歴はあったものの、学術書を大成させたり大学で教えることもなかった熊楠さん。展示では、情報処理の達人という、現代的な視座が適用されてはいたが。研究業績や地位名誉より、ひたすら蝟め、書く、無償の愛と快楽を追究する姿は、その展示資料からもおのずと漂いでていた。

 ぼくにとっては、粘菌というミクロの「原始動物」への、即物的ながらじつに詩的な観察眼、その未知ともいえる生態系を密教のコスモスへと接続させたあたり、なんとも興趣をそそられるのだが。
 熊楠さん作の標本や手蹟をみていたら、瀧口修造の詩的行為を想いおこした。熊楠さんの仕事は、せまい学術業績におさまらない、巨大な意味と悦びを秘めている。

2018年2月16日金曜日

H氏賞第一次選考会へ


写真:左から、渡辺めぐみさん、山下久代さん、高岡修さん、浜田優さん


そういうわけで、ことし、第68H氏賞選考委員をおおせつかったわけだが…。

この大役も、詩人の中本道代担当理事をはじめ、菊田守理事、伊藤浩子、片岡直子、高橋玖未子、たかとう匡子、浜田優選考委員各氏のお力添えもあり、第一次選考は無事におえることができた。

 第一次選考会は夕方四時からはじまり、規定のとおり、六時には終了。
ちかくの店で夕食会があって、詩人の新藤涼子会長、塚越敏雄氏他各理事、委員のみなさんと二時間ほど和気藹々と歓談。
片岡直子さん、高橋玖未子さんとは、初めてじっくりお話する。片岡さんは、ラジオ番組のお仕事で、ぼくの地元の浦和に月一回おこしになるのだとか。青森から来京された高橋さんからは、青森噺をたくさんきかせていただいた。
「毛蟹と鱈場蟹、どちらがお好きですか?」と、ぼく。
「そうねえ、どちらもあまり意識して食べませんね。あたりまえにありすぎて。夏になるとね、東京では高く売れない、小体の鮑がとっても安いの。だから、鮑は朝食によく食べますね」と、高橋さん。なんという、贅沢な日常。

夕食会後は、日本現代詩人賞選考委員として鹿児島から来京された、詩人・俳人の高岡修さんと山下久代さん、H氏賞選考委員長になられた詩人の浜田優さん、ご存知、詩人の渡辺めぐみさんと神田神保町のバー「グランドライン」へ。東京の喧噪から、静かな路地へ切れこんであるバーは、高岡修さんも気にいられたらしい。マスターお得意のフルーツカクテル、今月のスペシャリテ「苺のカクテル」で、ふたたび乾杯。

 ずっと詩を愛読してきた浜田優さんとも、今回、初めてじっくりお話ができて、こころから愉しめた。それにしても、浜田さん、ゆったりと落ちついた声も容も、イケメンだなあ。浜田さんはバーボンを好まれるらしく、ヘヴン・ヒルのハイボールをずっと呑まれていた。ときどき、ふたりで煙草を吸いに冬夜にでる。路上で紫煙をくゆらせながら、プログレッシブ・ロックや、ジャズの話でチルアウト。

 みなさん、おつかれだったと思うが、また、終電ぎりぎりまで呑み、語りあってしまった。

2018年2月13日火曜日

外神田「花ぶさ」へ





 先週2月3日土曜日、節分の日のこと。
 夕方から、日本現代詩人会主催の第68H氏賞選考委員会があるので、外出。せっかくだから、すこしはやめにでて、外神田を散歩することに。以前から気になっていた、いまどきめずらしい古本屋の新店(?)があったのだ。
 用事をすませると、さて、昼食はどうしよう。
 御徒町ちかくの「花ぶさ」に足がむいた。

 「花ぶさ」は、時代劇の巨匠、池波正太郎がかよったことでも知られる。店内には、石川庸氏による、白木のカウンター奥の定席にすわり呑む巨匠のポートレートがあり、池波正太郎自筆の鯛や鰆の画、染めぬきがかざられている。
 ぼくを、初めて「花ぶさ」につれてきてくださったのも、大の池波ファンだった先輩ライターだった。それからの二十代前半のぼくは、江戸東京の香が残る小料理と店内の粋な雰囲気にすっかり魅せられ、すこし懐が温いときは、銀座の職場からこちらにかよった。いまも、神田や上野にくるときは、かなりの確率でぶらっと暖簾をくぐる。

 千円台の昼定食、日本一といいたいクリームコロッケ定食や、冬限定のあんこう鍋(!)定食もいい。でも、ここは、名物「花ぶさ膳」にしてみよう。
 「花ぶさ膳」は、先付、刺身、椀、重箱(四品)、釜飯、甘味、そしてお酒が一本ついて四千円のコース。ほぼ日替わりで料理はかわる。
 その日のぼくの献立は、
先付 蕪のたいたん
刺身 鯛、鮃、鮪など
椀  蟹しんじょの吸物
重箱 子鮃の煮付、海老しんじょ揚、河豚の七味焼、
   もずく酢
釜飯 牡蠣釜飯、赤だし汁
甘味 善哉
といった内容。見目は伝統的かつシンプルな和食だが、一品々々が、ほんとうに手のこんだ、繊細なほどこしになっている。カウンターのなかの料理人さんも常時四人はおり、質は、小料理屋というより料亭のきびしさと緊張感をたもっている。
 お椀までは京風のあわくやさしい味つけなのだが、重箱のそれは江戸東京風。ぼくなどにも、濃く、からい。けれども、醤油の味香のつよい子鮃の煮付や河豚の焼物を食べるまに、細切り生姜ののったもずく酢を口にふくむと、舌が雪がれてやすまる。すると、見目よりずっとみっしり重い、海老しんじょの揚物も美味しく食べやすくなるのだ。このローテンションで、お銚子二本はあく。酒は、菊正宗。


 お腹もこころも充たされ、ぼくは、H氏賞選考委員会がおこなわれる早稲田奉仕園にむかったのだった。