2018年9月25日火曜日

出雲、鳥取から帰宅



 出雲と鳥取から、もどりました。

 これから、すこしずつ、旅についてご紹介できればと思います。

 出雲では、とある詩の取材(別誌に書く予定なので詳細は書けませんが)。鳥取は、文豪たちも訪れた、浜村温泉と岩美温泉に一泊ずつ。

 岩美では、バーナード・リーチと吉田璋也に教示をうけ、多々納弘光に師事した、岩井窯の山本教行氏ご本人と出逢いつつ特別展を観るという僥倖もあった。鳥取民藝館を訪問することもできて、非常に充たされた気分。

 美味しいものもたくさんいただいた。出雲は、食文化も、すごかった。そんなことも、ご紹介してゆきます。

 帰宅した日は、ちょうど十五夜だったから、白兎神社のうさぎを想いだしつつ、見沼の田園でお月見をした。ほんとうに、西瓜みたくおおきな、まん丸なお月さまで、雲と芒も月光に美しく映えて。関東も涼しくなって、すこしずつ秋めいてきましたね。

 また、どうぞ、おつきあいを。だんだん。

2018年9月19日水曜日

出雲、鳥取へ



もうすぐ、秋分の日。庭の曼珠沙華がつぎつぎ満開になって。関東も、ようやく秋らしくなってきた。

そんな折、仕事もかねて、出雲、鳥取へ旅にでます。出雲へは、とある詩をめぐる紀行文の取材と稲佐の浜に足をのばす予定。

ブログの再開は、9/26日以降を予定しています。

みなさま、よい秋のお彼岸を。

また、ぜひ、おつきあいください。

2018年9月14日金曜日

秋の酒器日誌




 そろそろ、夏もゆきそうなので、ここ毎夏の酒器、桃山時代の古唐津皮鯨皿と大正期の硝子徳利をしまう(ごくろうさまでした)。
かわりに、この初夏に譲っていただいて、いまだつかえなかった酒器を共箱からだした。

 写真の、江戸中期古瀬戸麦藁手茶碗は、以前、本ブログでも紹介させていただいた。これを、酒を注ぐ片口に見立てる。

 あわせた盃は、これも、永らく未使用だった、李朝堅手盃。ほんとうは、秋草紋の画かれた古伊万里盃でもあれば、いうことないのだけれど。
この李朝堅手盃は二十代半ばのころ、はじめて韓国出張したときにソウルは明洞(ミョンドン)にある若手の骨董屋さんから譲っていただいた。時代はさがるが、茶碗や祭器のおおい李朝堅手盃のなかでもめずらしく小ぶりで、高台からすっと花がひらいたような猪口にちかい器形をしている。
いま眺めても、青みをおびた雪白の発色がなかなかいい。呑み口に、ちょとホツ(ちいさな傷)があって、金繕いしてあるのだが、無傷の完器だったら手がでなかったと思う。
ところが、この盃、常の如しというか、あわせられる徳利や片口が、まったくなかった。ゆえに、ときおり小料理や寿司やに懐中するほかは、ずっとお蔵入りしていたのである。今回、古瀬戸麦藁手茶碗と組ませてみたら、まあまあ、いいかな。とりあえず、この組で、毎晩、呑んでいます。

光が透明になる秋は、李朝や古伊万里の、温みある白磁がいいなあ、と思う。そして、紅葉を偲ばせる麦藁手片口は、晩夏から初秋にかけてつかいたい。茶渋で照った古瀬戸麦藁手に酒を注いだら、思いがけず、雨漏り(しみ)がうかび、悦ぶ。酒徒にはたまらない器の景色だけれど、家族には理解されないのだった。

庭に一部だけ紅く色づいた葉があったので、摘んでみた。ときどき、酒盃から顔をあげ、晩夏と初秋の端境の色彩を愉しんでいる。

2018年9月10日月曜日

鬼怒川へ




 もう秋なのに酷暑がつづき、台風21号が猛威をふるい、さらには北海道を震度7の地震が襲う。床屋の女将さんが、テレビを見ながら涙ぐんでいた。

 そんなとき、鬼怒川にゆく。渓谷にある、とある老舗ホテルの取材で。

 長野の八ヶ岳から車を飛ばしてきたウェブデザイナの池田龍平さんと、食雑誌danchyuなどで活躍されている写真家の砺波周平さん(二枚目写真)とのお仕事。

 いつもはコバルトブルーの鬼怒川も、台風の影響で、濁流。それでも、せせらぎのほかはなにもきこえない渓谷の静寂と、すこしはやい秋の彩が木の間にも見えて、憩いのひとときを恵まれたのだった。なにはなくとも、ただ自然の静けさが、ざわめくこころを癒してくれる。

 栃木野菜と栃木牛の慈味だけでできた、四日かけてつくるホテル謹製ビーフシチューをいただいての、取材終盤。料理長が、西洋風のゆで卵をだしてくださった。じつは、ゆで卵に非ず。玉子の殻の中身は、フカヒレスープで炊いた玉子の蒸しもの。シャンパーニュにあわせるのだとか。

 さすがに、シャンパーニュまでは、でなかったけれど。仕事だし、当然ですね 笑 こんどは、プライヴェートでうかがいたい。

2018年9月2日日曜日

新詩集『Asian Dream』入稿

 
 はやいもので、本ブログ「Mizuho's Perch」に梢を引越してから、今回で第111回目の更新となりました。いつも、お読みくださり、ありがとうございます。

 近刊がきまっていた、詩とジャズがインタープレイ(音楽的対話)する新詩集『Asian Dream』の原稿を、思潮社編集部に入稿しました。とはいえ、入稿それじたいは、七月に済んでいた。なんとなく、いままで書く機会がなくて。

 新詩集は、第3詩集『耳の笹舟』(思潮社)よりページ数をすくなく、うすくしたかったのだけれど、入稿原稿の枚数は、あまりかわらなくて、180枚くらい。ここから、詩篇の数をシェイプアップしてゆかねばならない。

 原稿の大部分は、二年前、藤村記念歴程賞をいただいたときに贈られた、写真の真紅の万年筆「パーカー・デュオフォールド・リミテッドエディション〝福〟」で、満寿屋の原稿用紙に清書。原稿用紙は名入りで、初めて、赤罫をつかった。インクはパーカー社特製のブラック。赤罫は、眼に負担かな、と心配したのだけれど、そこは老舗の満寿屋。まったく、眼がつかれなかった。名入り原稿用紙は、1000枚から注文できたのだけれど、『Asian Dream』の清書を了えたとき、不思議なことに、ほぼ全枚が尽きた。
 初稿は、中里りさ氏がPCでタイプしデータ化してくださった。この場をかりて、中里さんに、お礼を。三年のあいだ、ともに走りきってくれたパーカー・デュオフォールドはメンテナンスにだし、しばし、ご休憩いただく。

 新詩集の刊行は、2019年をめざしています。

 さて、本ブログの更新が、いまのところ週一になってきています。来年からエッセイの長期連載が二本きまり、いま、取材と準備におわれているのです。「LUNCH POEMS@DOKKYO」もリブートするので、企画をたてなくてはならない。中国から、国際詩祭「World Poetry Festival in China 2018」にフルブライト招聘されたのだけれど、ことしは新詩集の準備もあるからと辞退してしまった。今月末には、出雲と鳥取へ。来月は、「いばらき詩祭2018」もある。来年は、東欧から招聘をうけているので、渡航手続や申請書類も準備しなくては。

 嗚呼、もう、九月。