2020年12月27日日曜日

観照空蓮房「空を掴め」展、無事にクローズ

 


 

 蔵前のギャラリー空蓮房で開催中の石田瑞穂(詩譜)+谷口昌良(写真)「空を掴め」展が、一昨日の1225日、無事にクロージングを迎えることができました。

 

お越しくださったみなさまにこころからお礼を申し上げます。

 

ギャラリーによれば、こうした新型コロナ禍の時期、しかも外出自粛要請期間があったにもかかわらず、芳名帳には80名の記帳があり、無記名をふくめ実質100名ちかい来場者があったという。

 

観照空蓮房は週水木金曜日しか開場しておらず、コロナ以前から1時間の観覧につき1名様のみ入場。完全予約制。しかもコアな写真と詩がテーマという特殊、否、世界的にも唯一無二のギャラリーにしては、異例の入場者数だったとか。

 

 客層もじつに多彩だった。一般の写真や詩の愛好家はもとより、学生、ギャラリスト、デザイナー、編集者、装幀家、古書店主、ファッション関係者、ミュージシャン、書家、舞踏家などなど。国籍も多様で、とある在日ロシア人のお客さんなどは、三度も予約して展示を愉しまれたとか。写真と詩譜の視覚的多言語詩世界は、海外からのマレビトに、どのように映っただろうか。

 

 本展は、当初、これほどの来場者数をみこんではいなかった。幸いにしてコロナ感染者もでなかったが、主催者もぼくも危惧しなかった瞬間はない。それでも、こうした実績をのこすことができたことは、今後の展示運営の参考になるのではないか。

 

 これもすべて、応援いただいたみなさま。展示とともに協奏いただいた詩人のマルティーナ・ディエゴさん、佐峰存さん、永方佑樹さん、二宮豊さん。詩篇「雷曲」を英訳いただいたアメリカ詩研究者にして翻訳者の関根路代先生。踊り手のレンカさん。そしてなにより、書籍と展示という稀有な共同創作の機会へと誘ってくださった、写真家の谷口昌良さんと、新型コロナ禍の二ヶ月という長い会期間中、観照空蓮房をささえてくださった谷口家のみなさまのおかげです。

 

写真と詩の「空を掴め」プロジェクトは海外展の問い合わせもあり、来年2021年もべつの形態で継続されてゆくとおもいます。

 

ほんとうに、ありがとうございました!


本年も大変お世話になりました。


どうぞ、よい年をお迎えください。

2020年12月14日月曜日

観照空蓮房「空を掴め」展、会期延長


 

 蔵前のギャラリー空蓮房で開催中の石田瑞穂(詩譜)+谷口昌良(写真)「空を掴め」展。コロナ禍による「我慢の三週間」の最後の週末がすぎた。

 

 とはいえ、こちらの予想をこえて、おかげさまで展示の予約ははいりつづけている。QRカードもお持ち帰りのお客さんがあとをたたず、ついに持ち出しご遠慮の文言が付されることとなった。

 

こうして、お客さんの要望もあり、空蓮房さんは会期を12/25まで延長することを決定されました。詳細は空蓮房公式ホームページよりご覧ください。

 

 https://kurenboh.com

 

さて、本展に協力してくださった若き詩人、二宮豊氏の新作詩が、ぼくの公式ホームページの「Special」に掲載されました(下へ下へスクロールしてください)。展示とパフォーマンスとあわせて、お愉しみください。

 

https://mizuhoishida.jimdofree.com/special/

 

 写真は、ご存知、蔵前にちかい駒形どぜう本店の「まる鍋」。学生さんが二名、展示にきてくれた日の昼呑み。二人ともギャラリー内からなかなかでてこず、展示を愉しんでくれたようだけれど…学生たちの本命はこちらかな?

2020年12月1日火曜日

観照空蓮房「空を掴め」展、「月刊Art Collectors'」取材




 コロナ禍のさなか、おりかえし点まできた、蔵前のギャラリー空蓮房で開催中の石田瑞穂(詩譜)+谷口昌良(写真)「空を掴め」展。美術雑誌「月刊アートコレクターズ」で、谷口さんが見開きカラーページで取材をうけられた。谷口さんとぼくの写真詩画集『空を掴め』ならびに本展もふれられています。


 ぜひ、お手にとってご覧ください。

 

 そして、空蓮房で好評公開中のオンライン・ポエトリーパフォーマンス「In the Empty Lotus」は、いよいよ、新鋭の踊り手、レンカさんの収録がおこなわれた。本日から、空蓮房内で視聴できます。

 

 いつ観ても、すばらしい踊りで、レンカさんの研ぎ澄まされたうごきが写真と詩譜を新たに紡ぎなおし、今また別の生命をあたえてゆくかのようだ。踊り手の〝私〟ではなく、展示の場そのものが透明な肉体をもちはじめ、遠くへ舞い踊りでてゆく不思議な体験を味わった。



 収録のあとは、当日の撮影をかってでてくれた若き詩人、二宮豊さん、レンカさんとかるく打ち上げ。ちかくの駒形どぜう本店で、コロナに負けないよう、どぜうの丸鍋と蒲焼で呑んだ。

 

 ポエトリーパフォーマンスはギャラリー内に設置されたQRカードで視聴可能だが、自宅でも視聴したいとカードを持ち帰ってしまうお客さんもおおいとか。それはそれで、嬉しい話なのだった。

2020年11月26日木曜日

観照空蓮房「空を掴め」展、蔵前の子鳥とお知らせ

 

 

 コロナ禍が再活性化し、いよいよ、東京都も警戒態勢にはいった。東京浅草にちかい蔵前のギャラリー空蓮房で開催中の石田瑞穂(詩譜)+谷口昌良(写真)「空を掴め」展も、おかげさまで、さまざまなお客さまにおこしいただいています。

 

 とまれ…、予告していたアートガイド・ツアーは、参加希望の学生さんとも話し合い、ぼくの判断で中止にさせていただいた。学生のみなさん、ごめんなさい。それでも、まだ、個人で再申し込みする都内在住の学生さんもいるみたいなので、コロナに気をつけて、お越しください。

 

 さて、本展とは直接かかわりありませんが、お知らせをふたつ。

 

 11/27読売新聞の夕刊「にほんご」欄に、新作詩が掲載されます。機会があれば、ぜひ、お手にとってお読みください。

 

 当方の事情で遅れていました、左右社WEB連載中の詩的紀行文「詩への旅」の第12回が掲載されました。今回は、現在、ロックダウンされてしまっている、パリの思い出。詩人はジャック・プレヴェールです。こちらも、ぜひ。

 

 写真は、蔵前の骨董もあつかうギャラリー「水差」で譲っていただいた子鳥。じつはこれ、李朝の瑞鳥で、鳥笛になっている。蔵前は老舗おもちゃ問屋がおおい街なのだが、街歩きは大人の縁日みたいでおもしろい。李朝の鳥はふだん書き物机に止まり木しているが、執筆疲れのときは手にとり、よき詩想が降ってきますようにと、笛を吹いては遊んでもらっている。

2020年11月21日土曜日

観照空蓮房「空を掴め」展、In the Empty Lotus




 いま、東京浅草にちかい蔵前のギャラリー空蓮房で開催中の石田瑞穂(詩譜)+谷口昌良(写真)「空を掴め」展、さまざまなお客さまにおこしいただいています。もちろん、会場には十全なコロナ対策をしていただきながら。

 

 こうした状況下でも、予想を上回る来客数がある。一般のお客はもとより、先週は写真家の畠山直哉氏、小平雅尋氏、そして写真詩画集『空を掴め』の生みの親でもある、ギャラリストの菊竹寛さんとデザイナー/装幀家の木村念将ご夫妻もいらした。谷口さんの写真作品はともかく、ぼくの詩譜は…ただ冷や汗がでるばかり。

 

 ぼくが日頃からお世話になっているクリエイター、編集者のみなさま、仕事仲間や友人知己も応援にきてくださり、こころからお礼を申し上げます。

 

 さて、今月の初めには、今回の展示に協奏してくださった詩人のみなさんのオンライン・ポエトリーパフォーマンス「In the Empty Lotus」が収録され、会場内のQRコードからご覧いただけるようになった。こちらも、非常に好評です。ぼくも、さっそく、展示を愉しみながらポエトリーパフォーマンスを拝聴したのだった。ちなみに、PCやスマホがまったくダメなぼくも、かんたんに視聴できました 苦笑

 

 二宮豊さんは本展のために書き下ろした詩を朗読。日本語の詩に耳を澄ます愉楽を大切にした作品だ。きちんと意味もたどってゆける。展示と、その外にひろがるコロナの世界を若き詩人はどうみつめているのか。印象的な作品とリーディングだった。


 永方佑樹さんは、展示室内を言葉を発し舞うように歩みながら『空を掴め』をリーディングしてゆく。読む呼吸がとても鋭く、静かで、その呼気は声の鋏となって詩の行とコロナ世界を分裁してゆく。すると、詩譜と写真作品に、「だれか」の息と声がまつろい空間そのものがゆるやかに変容してゆくのが不思議だった。


マルティーナ・ディエゴさんは、イタリアの伝説の詩人、ジャコモ・レオパルディの『無限』から、日本語とイタリア語で朗読を捧げてくれた。とても光栄だが、現代詩人のディエゴと古典詩人のレオパルディが奏でるイタリア語のリーディングは圧巻。現代と古典、ふたつのイタリア語が音叉のように響く、音楽だ。さすがはストラディバリウスの国、なんて、ヘンな感想がついうかんでしまう。


佐峰存さんは自作詩をスリリングに捧げてくれる。その詩と声によって、展示に新たな世界の境界が書き重ねられていくよう。そういえば、朗読前の控え室でのこと。アメリカの高校で詩を書きはじめた佐峰さんは、日本語の詩を横書きで読み書きすることにまったく抵抗がないとか。日本の行書と英語の筆記体が入り混じる詩譜に面して、佐峰さんの声が静かにうねっていることに、耳を澄ましたい。


詩篇「雷曲」の英訳者、関根路代さんも、英語で「雷曲」をリーディングしてくださり、翻訳者としてのコメントを寄せてくださった。関根さんは、今回ただひとり、いわゆる創作者ではない。けれども、翻訳者が語った「雑念」という言葉に、本展の鍵のひとつが、ある気がする。


空蓮房さんによると、In the Empty Lotus」を視聴しつつ展示を観る方は、ゆうに一時間、観覧制限ぎりぎりまで展示室ですごされ、愉しまれているそうだ。

2020年11月11日水曜日

観照空蓮房「空を掴め」展、浅草蔵前アートさんぽ開催

 




 空蓮房で開催中の石田瑞穂(詩譜)+谷口昌良(写真)「空を掴め」展、おかげさまで、予約も順調にはいっています。

 

 さて、来たる1125日水曜日、午後2時から、一般の学生さんを対象に「石田瑞穂の浅草蔵前アートさんぽ」を開催いたします。

 

「空を掴め」展、なぜ、このタイミングで? と、お客さんからも尋ねられます。今年上半期は、学生さんたちがコロナ禍により通常のキャンパスライフを送ることができませんでした。そして、この状況はいまもつづいています。学生さんたちに、コロナに負ケズ、充実した芸術鑑賞をしていただき、愉しい思い出をつくってもらいたい。そんな願いもあったのです。

 

今回のアートガイドは展示のみならず、浅草や職人の街・蔵前をさんぽしながら、人気文具ブティックに立ち寄り、ショコラと珈琲で有名な隠れ家的名店でお茶をしたり、麦酒でも呑みましょう。

 

<石田瑞穂の浅草蔵前アートさんぽ>

 

14:00 東京蔵前・ギャラリー空蓮房 集合〜観覧

15:30 文具ブティック「カキモリ」〜珈琲店「蕪木」〜鳥越商店街など

17:00 いったん解散、20歳以上の希望者は東京最古のビアホールのひとつ「神谷バー」で軽食とアサヒ・マルエフビールなど

 

定員  3名程

参加費 600円(珈琲代)

1,000円(20歳以上の希望者のみビールと軽食代)

申込  空蓮房公式ホームページ内の「予約」からメールで申込

    https://kurenboh.com/show/

 

ご一緒に、アートな秋の一日を愉しみましょう。

2020年11月4日水曜日

観照空蓮房「空を掴め」展が本日開催



 東京は浅草にちかい蔵前のフォトギャラリー「Kurenboh  空蓮房」にて、ぼくと写真家の谷口昌良さんとの写真詩展「空を掴め Catch the Emptiness」が、本日午後から開催されます。詳細は下記公式ホームページから。オンラインパフォーマンスも、順次、オープンしてゆきます(「イベント」をご覧ください)。

 

https://kurenboh.com

 

コロナ禍であるにもかかわらず、おかげさまで、入房予約は順調のようです。いつもの感じだと、後半は予約がすぐ埋まってしまうので、お早めにご予約ください。

また、好評刊行中の写真詩画集『空を掴め Catch the Emptiness』(Yutaka Kikutake Gallery Books)ですが、おかげさまで、在庫僅少にて入手がむずかしくなっています。空蓮房で最後の在庫を、ぼくと谷口さんの署名入りで販売していますので、ご希望の方はお求めくださいませ。

「イベント」には告知がありませんが、コロナ禍で大学にゆけない学生さんたちのために、ぼくが今回の展示と浅草蔵前のお散歩&グルメスポットをガイドする展示ツアーも企画中。空蓮房公式ホームページと本ブログをチェックしてみてください。

 

写真は、先週木曜日、ぼくが最後に揮毫した「詩譜」の一部。揮毫は二日間にわたり六時間ほどかかった。かなりワイルドな、未見の展示となった。なってしまった。

このあと、たまたま空いていた江戸蕎麦の老舗名店「並木薮蕎麦」で独り打ち上げ。





手持ちの星岡窯粉引酒盞(荒川豊蔵作)に酒をついで、蕎麦味噌で一本呑み、天ぷらでまた一本呑み、蕎麦を啜って、ご機嫌で帰宅したのでした。

2020年10月29日木曜日

秋の信州へ

 






 いま、国際ポエトリィ・サイトを、グッドデザイン賞受賞の池田龍平さんと野原香織さんのデザイン・カンパニー、stoopa.Ltdさんとともに準備していることは、本ブログや今月の「現代詩手帖」でも書いたとおり。

 そのstoopa.Ltdさんのアートディレクター、野原香織さんの絵画作品とぼくの詩で、一冊のアートブックをつくるというご依頼をうけた。
 今夏の谷口昌良さんとの写真詩画集『空を掴め』にひきつづき、来年も、視覚芸術と詩のコラボレーションの刊行が叶う。

 そこで、stoopa.Ltdさんから、「旅行気分で詩を書きにきませんか?」というお誘い。新宿駅の紀伊國屋で、車内で呑む南仏ワインの小瓶とお土産のシャンパーニュを買い、特急あずさに乗って、おふたりのオフィス兼ご自宅のある信州へでかけた。

 茅野駅で出迎えてもらい、浅間山の麓にあるご自宅へ。お家は、建築家の内藤廣氏による設計。内藤氏の作品らしく、橅などの自然木とひろやかな採光窓を中心に建てられたモダンな住宅だ。stoopa.Ltdさんの長野オフィスは、建築雑誌にも度々とりあげられている。
 玄関から招き入れられると、木が、ぷんと香る。お家の正面はウッドデッキにつづいて牧草地になっており、冠雪した八ヶ岳がばーんと雄大に見晴らせた。草地には、梅と雪と名付けられた山羊が放し飼いにされてい、草をのんびり食んでいる。

 野原香織さんの作品群を拝見し、打ち合わせたあとは、さっそく、橅のアイランドキッチンにて酒宴。刻々と赤銅に染まる八ヶ岳を眺めつつ、ワイン、地酒の七賢、野原さんの手料理で新鮮な地野菜や馬刺をいただく。

 夕方六時すぎには、「暮らしの手帖」で活躍する写真家、砺波周平さんも合流し、土楽窯の大鍋で焚く鴨鍋でふたたび乾杯。鴨肉は、地産の真鴨で肉もぶ厚い。無論、臭みなどはまったくない。この新鮮な鴨に採れたての太葱や地茸を添えた、まさに本場の鴨葱を堪能した。
 酒宴は、信州産ワイン、アラン・デュカスも注目する七賢スパークリングなどをつぎつぎテイスティングしつつ、夜中の三時までつづいたのだった…。

 翌朝、コーヒー、スープ、パンの朝食をいただいたあと、ぼくはウッドデッキにでて、光り輝く八ヶ岳を眼前に坐し、ちいさなスケッチ帳にペンシンルで詩を書く。野原香織さんの、絵画とデザインの中間領域にある「線」が、八ヶ岳とペンを結んでくれた。

 今年で創業二十周年を迎えたstoopa.Ltdさんのメインオフィスは東京都渋谷区にあるが、池田さんと野原さんは長野の家で暮らし、仕事をしている。その、都市と自然を往還するアートワークは、古びないどころか、ますます現代の先端をつきすすんでいる
 きっと、ぼくの詩も、いままでとはちがう世界につれだしてくれるだろう。

2020年10月12日月曜日

ギャラリー空蓮房でのふたり展

 






 東京は浅草にちかい蔵前のフォトギャラリー「Kurenboh  空蓮房」で、写真家の谷口昌良さんと写真と詩の展示に挑むことは、以前、本ブログでもお伝えしたとおり。

 

 とある編集者の方から、「石田さん、ブログ、ぜんぜん更新されてませんが、大丈夫ですか? あと原稿も…」と、メールで心配もされ、新型コロナ罹患説までささやかれてしまった始末。

 元気にしております。ただ、早、年末進行の原稿や取材にくわえ、展示の準備で多忙にしていたのだった。

 

 展示は、今年の初夏に六本木の気鋭のギャラリーYutaka Kikutake Galleryから刊行されたばかりの、谷口さんとの写真詩画集にちなみ、「空を掴め Catch the Emptiness」と名付けられた。空蓮房の公式サイトでは、告知の一部がすでにアップされているので、展示の詳細はこちらをご覧ください。

 会期中は、踊り手のレンカさんをはじめ、すばらしい詩人や翻訳家の方々とオンライン・イベントなどでコラボレーションしてゆく予定です。

 

https://kurenboh.com/show/

 

 今回の展示は、写真詩画集からの谷口さんの作品展示にくわえ、僭越ながら、ぼくが「詩譜」を揮毫することになる。詩譜というのはぼくの造語、というか、発見。すこしだけ、写真でおみせします。このブログの写真は、展示の一部、一点物の『空を掴め Catch the Emptiness』。詩譜はこの本に収められた詩篇「雷曲」を、原詩と複数言語による翻訳により植物的(ベジェタル)に織りあわせ、日本語の行書とアルファベットの筆記体を組み合わせて筆耕しながら、新たな詩的時空を生成させようとする試み。英訳は関根路代先生にお願いした。

 

 そう。これを夜な夜な万年筆で筆記していて、多忙になってしまったのだ。とはいえ、この作業が、じつに愉しい。シングルモルトを舐めながら、時間と原稿をわすれ、つい、没入してしまった。

 

 新型コロナ禍で、まさに、空を掴むような一年になってしまいそうな、今年。そんな世界を、写真と詩の双つの翼で問いかけてゆく展示にしたいです。

2020年9月27日日曜日

9月の詩、二篇目が掲載

 


 浦和のバーの止まり木で、40年もののハイランドパークを舐めながら、若き詩人の原稿に目をとおしていた…。

 公式ホームページで夏からスタートした、「Special」コーナー。若き詩人、二宮豊さんと「Alone Together—ふたりきりの詩の止まり木」として、毎月、詩が掲載されるプロジェクト。


先週にひきつづき、また新しい詩が一篇、掲載されました。今回は二宮豊さんのターン。

 

https://mizuhoishida.jimdofree.com/special/

 

 二宮さんの詩は、言葉もアイディアもどこに飛んでゆくのか予測がつかず、とても刺激的。いま流通している現代詩の言葉とも異質で。


ぼくは、そんなstrangerの言葉につい惹かれてしまう。

 

さて、ホームページを運営管理してくださっているボランティア・スタッフからアドバイスがあり、10月から一月に一篇の掲載となります。英訳は時間がかかりますが、もうすこしお待ちください。

 

 この試みをお愉しみいただけたら、うれしいです。

2020年9月19日土曜日

「Special」:9月の詩が掲載

 


 永らくお持たせしてしまいましたが、ホームページに新設された「Special」コーナーで毎月更新のオリジナル詩作品が掲載されました。

 

 とりあえず、ぼくの詩だけですが、二宮豊さんの新作は来週掲載の予定です。

 

https://mizuhoishida.jimdofree.com/special/

 

 今回掲載の詩は長篇詩「流雪孤詩」の第一篇目。昨年末から執筆し、すでにいくつかの媒体に発表している長篇詩の試みです。長野県南アルプスの高峰越百山に魅せられ、麓の宿に通いながら詩を書き溜めていることは、以前、ブログでもお知らせしたとおもいます。

 

 現在準備中の国際ポエトリ・サイト(2021年春オープン予定)編集部からの求めもあって、やっと覚悟がきまり、新サイトで連載することになりました。サイト準備の一環として、本ホームページの「Special」でも先行して掲載することになったのです。

 

 お愉しみいただけたら、うれしいです。

2020年9月10日木曜日

左右社WEB連載「詩への旅」第11回掲載






 告知が遅くなりましたが、左右社WEBで連載中の詩的紀行文「詩への旅」の第11話目が掲載されています。もう、11回かあ。

 

 今回は、かなりレアな紀行。国文学研究の大家で歌人の折口信夫がおとずれた、岐阜県郡上八幡への旅です。

 

http://sayusha.com/category/webcontents/c21

 

 諸事情あって、夏の掲載が晩夏になってしまいました。郡上八幡の銘酒「郡上踊り」、はしりの鮎と鰻の味が忘れられない。

 

 まだなんとなく暑いですが、夏をふりかえりつつ、ぜひ、ご一読ください。

2020年9月6日日曜日

吉備路、瀬戸内旅行

 

 

 夏季休暇と左右社WEBで連載中の紀行エッセイ「詩への旅」の取材旅行をかねて、吉備路をたどり瀬戸内へ。

 

初日は岡山駅にちかい吉備路文学で、詩人安東次男、飯島耕一、永瀬清子各氏の遺稿や揮毫を閲覧させていただいた。岡山出身の作家井伏鱒二や小川洋子の原稿もある特別展「吉備路の文学者とスポーツ展」も愉しむ。

 

それから、瀬戸大橋たもとの児島を経て、鞆の浦で連泊。作家の司馬遼太郎や井伏鱒二も好んだ老舗旅館「遠音近音」に投宿した。ここからが、ホントの休養。青く澄んだ瀬戸内の多島海と空を、日がないちにちぼんやり眺め、温泉で体をほぐし、新鮮な魚を食べ、呑む。ただそれだけで時はすぎゆく。虎魚のうす造り、蛸、鯛がともかく絶品。鞆の浦に面した露天風呂は、瀬戸内の海と空に直にふれるかのよう。凪いだ内海は静かすぎて、夜になっても潮騒さえとどかない。そんな静謐な宿で、春夏の疲れを癒すことができた。

 

埼玉への帰りがけに、倉敷に遊ぶ。新型コロナの影響で閉館していた大原美術館が運よく再開館。ここでしか観られない、エル・グレコの大作「受胎告知」はもとより、児島虎次郎のコレクションを堪能。倉敷民藝館も訪問。「倉敷浜よし」では郷土名物「ままかり鮨」で地ビールと酒を。食後は名店「倉敷珈琲館」で「マンドリン・ノワール」。気分もよくなり、つい骨董やへはいってしまひ…。

旅のくわしくは、連載「詩への旅」をおまちください。

2020年8月25日火曜日

「魯山」閉店

 



 東京西荻窪の伝説的な現代陶器店「魯山」が閉店するという。坂田和美さん、勝見充男さんらとともに、いわゆる陶芸界の「新感覚派」を三十年にわたり牽引してきた大嶌文彦さんのお店。

 岡山、瀬戸内への取材旅行をあすにひかえてはいたが、湘南新宿ラインにとびのった。

 

 店主の大嶌さんには、会えた。打ちっぱなしのコンクリートの店内は、すでに全商品が売り切れてい、がらんとしていた。ぼくが魯山ですごした最後の時間は、二十分ほど。その間、閉店を惜しむお客さんが、次々、おとずれて挨拶していった。

 

 大嶌さんは、閉店の事情も経緯も、語らない。だから、ぼくも、言葉すくなに「お世話になりました。お元気で」というしかなかった。別れ際、大嶌さんは、そっと握手してくれた。

 

 一昨年、ひさしぶりにお会いした大嶌さんは、ソウルで開催された魯山展について、嬉しそうに報告してくれたばかりだった。

 瀬戸内から帰ったら、魯山について再び書きたい。魯山と大嶌さんは、若き陶芸家やプロダクトデザイナーはもとより、アーティスト、料理研究家、編集者、そしてぼくを育ててくれた場所だ。

 

 とりあえず、いまは、魯山の復活を心から祈りたい。

2020年8月22日土曜日

大川暑気払い



 

 

 お盆中はずっと蟄居し仕事で、ブログの更新もままならず。失礼しました。

 

 ぼくの夏季休暇は、毎年、八月末。来週は取材旅行で瀬戸内へ。新型コロナもあり、いままで極力、他県への遠出を控えていたけれど、仕事上、やむなし、なのだ。


 とはいえ、先日、東京蔵前のギャラリー「空蓮房」からお呼びをうけて、久々に、外出した。房主であり写真家の谷口昌良さんより依頼をうけて、今秋、二人展を開催することになったのだ。五月に上梓された谷口/石田の写真詩画集『空を掴め』(ユタカ・キクタケ・ギャラリー)を巡る展示になりそう。

 

 打ち合わせ後は、「駒形どぜう本店」へ。コロナの影響で、お客はぽつぽつだった。お新香と鯨ベーコンでビールを呷り、ぬる燗にきりかえて、どぜうの蒲焼で一杯。駒形の蒲焼は、鰻よりも、たれと脂がすっきりした辛口で、暑気払いの精をつけるのにもってこい。


 酒食後は、大川(隅田川)のウォーターフロントで夜風に涼みつつ歩き酒。それから、浅草の老舗バー「バーリイ」で、モヒート、オリジナル・カクテル「月暈」などなど。〆は、ビリケンのチャーシュー麺。


2020年8月6日木曜日

新コーナー「Special」がスタート



 ぼくらはふたりきりで深夜のカウンターにすわっていた。

 

 先週の日曜日、詩誌「PEDES」でも活躍する若き詩人二宮豊さんが浦和にくる。来春オープン予定の国際ポエトリ・サイトの打ち合わせ。氏はこのサイトの副編集長でもある。


 二時間ほどの会議のあと、浦和の鮨屋でかるくつまんで呑み、話題の新バー「一滴水」へ。マスターは作務衣、着物姿の女性バーテンダーがいて、無垢木のカウンターと木天井の空間にお香が漂う。どこか、祇園のバーをおもわせた。


ぼくは、三十年もののハイランドパークをストレートで。このご時世に、奇特にも、極太のキューバ葉巻がおいてある。コイーバを燻らせつつ、ぼくらはプロジェクトの展開、日米の近現代詩や文学について、えんえん語りあうのだった。その日は、トータルで七時間、呑んで、呑んで、語った。


 アメリカン・モダニズムの巨星ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの『アメリカ人気質』(In the American Grain)で修士論文を提出した氏は、英語が堪能で、ぼくとも共訳をしている。若き詩友として、副編集長として、好個の人材だ。


 そんな二宮豊さんと、本ホームページの新メニュー「Special」をはじめます。その名も「Alone Together ふたりきりの詩の止まり木」。左記サイトのためのパイロットページで期間限定の掲載です。


Menu」から、ぜひ、ご一読ください。

2020年7月22日水曜日

砺波周平『続 日々の隙間』−読書日誌2



鬼怒川金谷ホテルのパンフレットの巻頭エッセイでいっしょにお仕事をさせていただいている写真家砺波周平さんから、氏の写真集をご恵贈いただいた。

 ここ半月は、大学も打ち合わせもすべてオンライン。週にいちど、仕事で東京にかようほかは、蟄居して、原稿を書き、グラスを片手に本を読む毎日。PCにはさわらず、テレビも動画もまったくみないから、プルーストも幸田文も、家の書架にあった全集はほぼ読破してしまった。そうして、言葉につかれた日々の隙間に、ぼくは砺波さんの写真集をひらく。

 『続 日々の隙間』は、砺波さんが暮らす長野の日々を写しだす。もともと、砺波さんは森林や山中で自然光だけをたよりに撮影する写真家。ぼくが商業的な仕事でご一緒するときも、アウトドアな服装で、室内をほぼまっ暗にして撮影する異色の写真家だ。

 ところが、ここに収められた写真作品たちは、砺波さんの自宅と敷地周辺にかぎって撮影されている。
 
 被写体は、家族の日常。奥書には「まだあどけなさが少し残る。そんな彼女が子供を産んだ」とあり、子どもたちが育つ日々を主旋律に、家事と子育てにむきあう「彼女」の姿と、老いて死にゆく犬と猫、パンケーキの朝、野鳥、雪、山の木々、皀の実、草原、長野の自然が対奏をなして織りあげる光と影をファインダーにおさめてゆく。

 砺波周平の光を、なんと名づければよいだろう。砺波周平は口数のすくない、ちょっと不器用で、やさしい男だ。その男の瞳が、偽りなくあるがまま感光し、家族と木とちいさな生物たちのやわらかくも厳かな表情へと定着してゆく。小鳥が死んで羽だけになる姿が、なかば放心した子の瞳に強い光を宿す、その表情へと。

『続 日々の隙間』は、静謐な沈黙に彩られた、切なく、美しい写真作品集だ。けれども、けっして淡彩でも、淡々としてもいない。

その日々の隙間からは、父であり写真家の烈しい情念が湧水している。ぼくは、砺波さんの写真を「口数のすくない、ちょっと不器用で、やさしい」光といいたい。その光は、家族のもとで渦巻いては、幸福でありつつも孤独な一滴となって、また新たな日常へと揺蕩ってゆく。その、まぶしさが、ぼくの胸をうつ。

2020年7月14日火曜日

鳥居昌三編『TRAP』 読書日誌1




 詩人のヤリタミサコさんより、お手紙がとどいた。「偶然 30年以上もとどまっている美しい冊子たちがいます」と、ポーラ美術館のレオナール・フジタ展の便箋にペンシルの文字。同封されていたのは、一九九〇年六月刊行、伊東の詩人鳥居昌三氏が編集刊行した『TRAP』第12号だった。

 限定195部也。表紙も本文用紙も厚手の和紙で、活版印刷された無綴の三五頁がノンブルをふられ挟まれているだけの、極度にシンプルで美しい装幀だ。
 表紙カットは、北園克衛「机」。
 佐々木桔梗氏の労作「山中散生ノート〈2〉」を巻頭に、参加詩人はJohn Solt、金洋子、島木綿子、黒田維理、David Mamet、茂木さと子、そして鳥居昌三の各氏。Nicole Rousmaniere氏の視覚詩も挿し挟まれている。
 ヤリタさんによれば、この美しい詩誌たちが十部、ある日、突然、送られてきたのだとか。

 ここ幾晩か、信州のマルス・ウヰスキイをショットグラスで舐めながら、一篇ずつ大切に耽読している。
 ぼくの宝物の一冊、と書きたいが、この詩的リフレットの温かくも浄らかなたたずまいほど〈私有〉から遠いものはない−−桃山の古唐津のように。
 だから、ぼくも、「偶然 とどまっている」とだけ、いまは書いておこう。そして、時がきたら、この詩冊子を若き詩人に手わたそうとおもう。ヤリタさんがそうしてくださったように。

 窓の外は、降りやまない簷雨。鳥居昌三「海」を読む。

過ぎ去っていく記憶の底で
きらめくものが
ある

一九九〇年六月の雨の音を聴きたくて。