2021年7月17日土曜日

野原かおりplus stoopa「sibira」





 テストアップも無事に成功した、国際ポエトリーサイト。そのデザインとプロデュースを担当していただいているデザインカンパニーstoopaさんについては、往々、書いてきている。

 

そのstoopaさんが満を辞して発表したアートブック・プロジェクト「sibira」に招かれ、詩作品「星の香」を寄せました。英訳は東京工業大学の関根路代先生にしていただく。装幀だけでも、かなりインパクトのある豪華本になった。詳細は、リンクから「sibira」特設サイトをご覧ください。

 

https://sibira.xyz

 

 グループメンバーはアートディレクターの野原かおりさんをはじめ、写真家の小渕喜幸さん、写真家の砺波周平さん、そしてstoopaさんという強力な布陣。ファインアートと商業マスメディアの双方で活躍するアーティストたちが集結した格好だ。おもしろいのは、長野県在住のメンバーがおおく、ゆえに、今回のプロジェクトも長野と東京を往還する日々から生まれた、ということ。

 

 今回の「01 From nowhere to anywhere」は、野原さんのドローイング作品集が主体となっている。ラインとドットで構成された、未見のドローイング。数学のカオス画像のような、枯山水のような、琳派のような線と色彩は、野原さんの柔らかな身体性を感得させつつ、端々に現代の怜悧なコンポジションを滲ませてもいる。ゆえにこのアートブックも、エッジとプリミティブ、生身とデジタル、東京と長野が複雑な交差系を編みなしている。

 

そもそも、野原さんの作品は、アートなのかデザインなのか。ただし、それらは境界線を問いかけるだけの凡景ではない。野原さんのドローイングは、その双方の名称を拒みつつ抱擁しながら、「どこからともなく どこへともなく」存在しているメディウムとしてぼくには映発する。

 

 その、線とドット、野原さんみずからのデザインと装幀に、写真と詩が野花のように咲いている。

 

 ぼくは、正直、いまだに、この美しいアートブックのなかでおこっている出来事を言語化できない。あまりに感覚的な言葉でいえば、左耳でバッハのソナタを聴きながら、右耳でアート・リンゼイを聴いている、ような。

 

野原さんのあとがきから引用するなら「言葉では言い尽くせない解像度で/線と体が邂逅する」、なにか。線と線のあいま、行間、余白として受けとるしかない、なにか。

 

sibirasybila(古代ギリシアの巫女)をおもわせよう。ところが、詩を書いているときに、シビラは長野山中のとある廃村なのだとstoopaさんから教わった。その村名はいまや地図にも記載されていない。かつては人が暮らしを営み、いまは滅びた村の名の痕から、現代社会と共振するアート、デザイン、写真、詩が、新たな粧で「どこからともなく どこへともなく」漂い生まれようとしている。

 

今回、このブログでは、交差する伏線たちをひくにとどめよう。そして、時をかけ、理解の成熟を愉しみつつ、後日、一本のエッセイをこのプロジェクトに捧げたい。

 

それだけのなにかが、このアートブックにはあるとおもう。

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