2019年2月15日金曜日

京都の旅〜弘法市へ





 京都での撮影のあいまに、ご存知、詩人で番組ディレクターの城戸朱理さん(上写真)と、東寺の弘法市へ。毎月21日、弘法大師空海の誕生日に東寺境内で開催される市だ。かつては、どちらかといえば、骨董やアンティーク、古着物や端切れの業者さんの出店がおおく、弘法市はつまるところ骨董市だった。ところが、いま、観光ブームに沸く京都では、弘法市もその姿を変えつつある。

 まず、お客さんの数がすごくふえた。門前に列をなし、観光バスで乗りつける外国人観光客たちも。仕事もあって、ほとんど毎年、京都にはきているが、弘法市は四年ぶりくらい。門をくぐって、ちょっと驚いた。威勢の好い呼び声で売られているのは、たこ焼き、チョコバナナ、どて焼き、干し柿など、縁日で見られるような屋台ばかり。京都名物あぶり餅に釜揚げいなり、無農薬の京野菜を売る店まである。まさに、いまや弘法市はアジアンマーケット。めいめい、出店をひやかし買い食いしつつそぞろ歩いて、弘法市を満喫している。

 本来なら、喜ぶべき活況の弘法市。われわれ骨董目当ての者らは、やや困惑した。またもや、「骨董市に骨董がない」と独り言ちてしまう、城戸さん。とまれ、スペースは狭まったものの、骨董やさんの区画は健在だった。でも、やはり、以前とはちがう。
京都の骨董市といえば、無地の瀬戸石皿や焼接だらけの山茶碗を宝物のようにならべる新感覚派や、欧州からアジアまでの海外骨董をひっさげた若手の店をのぞくのが愉しみだった。ぼくなどは、一見、骨董やにはみえないファッショナブルな若主人から、アフリカの古釘やクロアチアの古キルトを贖うだけでも、勉強になったもの。そこには、京都にしかない独自のセンスと熱気ある眼があった。たとえ数千円にしかならなくとも、自分が見出した美しいものの価値を認めてもらいたいという想いが伝わってきた。
そういったモノたちを、骨董業者は「ウブ」と呼ぶ。まだ、どこにも流通しておらず、蔵からだしてきたばかりで価値の定まらないモノたちのことだ。
写真(中)の古いイギリスの瓦も、十年ほど前に、弘法市で魅せられ、譲っていただいた「ウブ」なモノ。スレート(石瓦)の下に敷かれる素焼瓦で、築四百年の古民家が解体されたときに仕入れたそう。こんな黒くて無骨で重いやきものを、嬉しそうにボストンバッグにいれて持ち帰ったのだから、いかれてる 笑 自宅では焼魚や惣菜、パンやチーズをのせたり、ときには、一輪の野花や秋の実をおくこともある。ただただ、頑強に焼成されたやきものが、思わぬ用の美を湛えはじめて。ぼくの印象では、京都の天満宮市や弘法市には、そんな、勢いのある「ウブ」な眼をもった店が櫛居していたものだが。

 城戸さんは、韓国から来日した骨董業者さんから、素敵な初期李朝の小皿を贖われていた。ぼくは、残念ながら、収穫なし。本歌や著名な陶工芸家の作品でもなく、由来のわからないものでも、胸踊りワクワクするようなものたちと、また出逢いたいなあ。


 そんなことを原稿用紙に書いていたら、数日後、城戸朱理さんからお葉書が届く。万年筆に黒インク、おおらかな字で、魅力的な提案が書かれていた。「お互いに十二ヶ月の酒器を選び、毎月、写真を添えて文章を書き、メールでやりとりするというのは如何でしょう?」。人にお見せできる酒器かどうかという不安より、遊び心をおおいにくすぐられてしまい、その晩、参加したい旨をお手紙にしたためた。また、骨董市にでかける愉しみが増えて、うれしい。

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