2021年11月4日木曜日

バイリンガル・ポエトリーサイト「Crossing Lines」スタート!


 

 昨日、11/3文化の日に、以前から予告していた、東京、ロンドン、サンフランシスコをむすぶ国際ポエトリーサイト「Crossing Lines」が無事にプレオープンを果たしました。

 ぜひ、アクセスしてみてください。

 https://crossinglines.xyz

 ぼくがプランナーを務めるこのサイトは、グッドデザイン賞と農林水産大臣賞受賞のデザインカンパニーStoopaさんがデザインと企画を担当し、コーディネーターを務める若き詩人二宮豊さんをはじめ、第一線で活躍する詩人と翻訳者のみなさん、そして、写真家の谷口昌良さんや砺波周平さん、小説家の温又柔さんや木村友祐さん、身体芸術(踊り、ダンス)のレンカさんなど錚々たるメンバーが協賛してくださいました。サイトの詳細はアクセスして「aboout」をお読みください。

 これから、毎週金曜日に新コンテンツが1作品ずつアップされてゆきますので、ぜひ、お愉しみに。2022年春にはグランドオープンを迎えます。公式ツイッターもあるので、こちらもチェックしてみてください。

 https://twitter.com/crossing__lines

 本ブログもいままでおつきあいくださり、心からお礼を申し上げます。

 3.11やコロナ禍の喪失から、どんな新たなポエジーが始まるのか。

 これからは、「Crossing Lines」でお逢いしましょう。

 See you later, Alligator! みなさん、ありがとう!

2021年10月19日火曜日

 新たな海へ−ブログの一時休止

 



 晩秋に、伊豆へでかけた。

 三好達治、石垣りんの幻影をおうエッセイの取材だったが、個人的なお祝いもあった。


 以前から予告し、このブログでも折にふれて書いたバイリンガル国際ポエトリーサイトが、来月初旬にいよいよプレオープンを迎えるのだ。

 ロンドン、サンフランシスコ、トーキョーの詩人たちが結集し、国境のみならず、文学、アート、写真、音楽、ダンスの壁をこえて、詩的ネットワークを織りあげる。


 その名も「Crossing Lines」。


 lineはネットやボーダーを意味するが、詩の行を英語でlineともいう。詩が行を跨いで進行するように、いま、時代を覆う限界を跨ぎ超えて前進するネットワークを他者たちとともに編みあげること。

 海、温泉、相模湾の旬魚、それから奮発してシャンパーニュをボトルでオープン。乾杯!


 ところで、Crossing Linesでは、ぼくも連載詩や連載エッセイを執筆させていただく予定。ついては執筆量の増加にともない、本ブログを一時休止にせざるをえなくなってしまいました。

 次回、Crossing Linesの開始告知をもって、ひとまず、ブログのペンを措かせていただきます。

あしかけ五年という歳月、ブログをつづけてこられたのは、読者のみなさまのおかげです。


今後は左右社WEB連載の詩的紀行エッセイ「詩への旅」や鬼怒川金谷ホテル連載の「旅に遊ぶ心」、そしてCrossing Linesのエッセイや論考で、ぜひ、お逢いしましょう。

Crossing Linesについては公式ホームページの「News」やCrossing Lines公式ツイッターでもお知らせしてゆきます。


永い間、ほんとうにありがとうございました。

2021年9月28日火曜日

秋の酒器、桃山の山瀬盃

 



 やっと秋らしい好日がつづくようになった。

 そこで、秋季の酒器をだすことにする。

 涼しくなってくると、夏の染付盃や青磁盃から、こっくりとした古唐津盃や李朝盃などをつかいたくなって。片口を仕舞い徳利を桐箱からだした。

 

 この初夏に青山の骨董店利菴アーツが開催した「古唐津展」は、近年でも出色の展示即売会であった。

 骨董雑誌『目の眼』で見開き2ページの写真付き記事が紹介された古唐津コレクター旧蔵の名品がでそろうという評判もあり、コロナ禍にもかかわらず、大勢のお客さんがつめかけたとか。

コレクター氏は、生まれも育ちも唐津。幼少のころから裏山の古窯跡に行っては、古唐津の陶片をひろって遊んだという、根っからの古唐津党のプロフィールが紹介されていた。

 

幸運にも、ぼくは盃を一個、入手することができた。

伝世品の桃山時代の山瀬窯盃で、無傷完器。径8.5センチ、高4.5センチ。過不足なく掌におさまるサイズで、手持感も古唐津らしくどっしりと安定している。

おおらかに湾曲し傾いだ容もじつに魅力的だ。全体にこまかく貫入がはいり青味をおびた灰釉。胴にのこされた陶工の指痕。肌は永年の使用でたっぷりと酒を吸い、とろりと育ちきっている。野趣と気品をあわせもつ古唐津山瀬窯の魅力がふんだんに盛られた盃だろう。

 

見込は、酒を吸うと青灰の釉調が沈みこみ、かわりに仄白い灰釉だまりが浮きあがる。その容が、秋夜に咲く月暈のようで。古備前徳利にあわせたくなる古唐津盃なのだが、やんぬるかな、好適な徳利をもたない。

 

かわりに、今年の春先に入手して、本ブログでも紹介した古山子こと小山冨士夫の徳利にあわせてみる。なかなかに、いい。桃山唐津陶に傾倒していた古山子の作ゆえ、おおらかで野趣あふれる造作の古唐津盃とも、時代を超えたかけあいを奏でてくれる。

これで、晩秋から冬にかけて、気持ちよく酒を呑めそうだ。完器の山瀬なぞ、ぼくのような若輩にはもったいない盃かもしれないけれど…すこし、背筋をのばして秋の酒を味わいたい。

2021年9月20日月曜日

左右社連載「詩への旅」再開


 

 新型コロナの影響で取材もままならず、休止状態になっていた左右社ウェブ連載中の詩的紀行エッセイ「詩への旅」。

 

 やっと、再開できました。

 

 今回は、いまや偉大なマイナー詩人となった安東次男を岡山吉備路に訪ねる旅。瀬戸内海の情景とともに、アンツグさんの詩をお愉しみください。

 

http://sayusha.com/webcontents/c21/p八月というのは享けつがれた果物だ──安東次男

 

 ぜひ、ご一読ください。

2021年9月12日日曜日

初秋の鬼怒川へ






 金木犀の花はまだみえないが、なんとなし、あの、黄金の秋の芳香がただよう。

 

連載エッセイ「旅に遊ぶ心」の仕事で、ふたたび、鬼怒川金谷ホテルに滞在した。エッセイは、『暮らしの手帖』連載でも活躍されている写真家、砺波周平さんとの散文詩のように短い紀行文なのだった。

下記リンクから、ぜひ、ご一読を。砺波さんの美しい写真作品はまさに眼福。

 

https://kinugawakanaya.com/tabi/vol3/

 

初秋の長雨が一止みした鬼怒川渓谷は、深緑の葉がすこしずつ水にうすまって黄砂となり、山道の木下闇には水引の惑星直列が紅く灯って、千日香などの秋咲きの山野草がちいさな詩をうたう。

 

隠れた名史跡、日光杉並木街道を散策しエッセイの題材をもとめたあとは、透明で水のやわらかい川の温泉で、こころと体をほぐす。

それから、携行用のA4版の満寿屋製原稿用紙にペンで執筆。

一息に書き了え、いよいよ、金谷流懐石料理をいただく。今回は、とちぎ和牛スープ仕立てのステーキ、が美味しかった。いつもながら、華やかなサプライズのある和敬洋讃の懐石料理。知る人ぞ知る勝沼の銘白ワイン〈菱山〉とも、よくあった。

 

ちなみに、鬼怒川金谷ホテルのウェブサイトは、現在、国際ポエトリーサイトをともに鋭意制作中のデザインカンパニー・ストゥーパさんの仕事でもある。

その国際ポエトリーサイトは、いよいよ、来月からプレオープンとなり、始動を予定しています。

次回のブログでネーミングや概要をお伝えできれば。

 

帰りに、新型コロナ療養から復帰したばかりの担当編集者の方に、JOHN KANAYAのショコラをお土産にえらんだ。ご本人はもとより、ご家族のご苦労はいかばかりであったろう。ホテルからお見舞いの電話をすると、「娘が喜びます」とおっしゃっていた。

というのも、以前、金谷ホテルのショコラをお土産にしたら、その味に感銘をうけた小学生の娘さんが、ショコラティエをめざしはじめたとか。

 

いまが困難な時代であり、自分が恵まれた仕事をさせていただいていることは、重々、承知している。

けれども、困難な時代、の物語を幾重にもかさね重苦しく消費しているだけでは、人は前にすすめないともおもう。

 

鬼怒川の秋はひとときの夢だったが、こんな時代だからこそ、ちょっとでも、夢見ようと努めたい。

2021年9月3日金曜日

ある一日、新倉俊一先生に

 


  夫婦で逗子に遊んだ。


 ただ、ただ、静かに海を眺めに。


 駅ちかくの、魚屋さん直営の居酒屋で昼餉。近海魚のお刺身、大盛の釜揚げしらすご飯。緊急事態宣言で呑めずとも、来たかいはあり。


 それから、海岸沿いにそぞろ歩き、標高90メートルの山頂まで、ちいさな山登りをした。木陰が涼しくて、鬼やんまが芒のうえを飛びかい、野生の百日紅が緑と海に映えて美しかった。


 だれもいない山頂から、江ノ島、三浦半島、煌めく相模の海を飽きるまで眺めた。そして、逗子の空にちかい場所で、ぼくは、そっと新倉俊一先生の最晩年の詩集『ウナジョルナータ』

の詩を口遊む。


まだ神無月だというのに

アフロディーテやらアテナイやら

女神たちがつぎつぎと

海を渡ってやってくる

             (「ある一日」より)


 新倉俊一先生は、いうまでもなく、エズラ・パウンド、エミリ・ディキンソン、西脇順三郎研究の大家であり、英米詩の翻訳者・紹介者として高名だが、詩人としても知られている。けれども、先生が自作詩集を刊行されたのは、2000年代にはいってからのこと。ちなみに、『ウナジョルナータ』は、装幀がユニークだ。表紙は西脇順三郎のデッサン画で飾られているのだけれど、まったく同じ絵が、新倉先生が1976年に角川書店から翻訳刊行された『エズラ・パウンド詩集』の裏表紙に使用されている(つまり、この二冊の表紙と裏表紙は鏡像のように反転している)。『ウナジョルナータ』を新倉先生からご恵贈いただいた折、「あれ、この詩集、どこかでみたことが…」と不思議な既視感に悩まされた。


 ぼくは、大学院生のころ、新倉先生のエドガー・アラン・ポーについての講義を受けた。現代哲学、数学、記号論にインスパイアされたぼくのレポートは、ほかの教授からはCだのFだのをいただいたが、新倉先生だけはAプラスをくださった。一年間の講義の最終日に、新倉先生は大学院生たちのまえでにかみながら、「いつも他者の詩ばかり読んだり書いたりしてきたけれど、たまにはこういう娯しみもないとね」とおっしゃり、西脇順三郎が登場する長い自作詩を朗読してくださった。もう、二十年以上まえのことで、当時、先生はまだご自身の詩を発表されたり、詩集にまとめたりはされていなかった。


 そんな先生の姿に、ぼくは、不思議な感動をおぼえた。新倉先生は、壮年のポエジーを他者に惜しみなく与え、老年のポエジーをご自身のためにとっておかれたのかもしれない。真摯で、紳士な先生は、そういう方だったようにおもう。


 新倉先生、どうぞ、安らかにお眠りください。

2021年8月28日土曜日

桃山の木葉

 

 

新型コロナの緊急事態宣言もかさなり、家呑みの時間をすこしでもうるおうものにしようと、古玩も、食器をもとめることがおおくなった。

 

 前回、ややフライング気味に登場してしまったが、初夏の目白コレクションに出展していた京橋〈奈々八〉から、桃山時代〜江戸時代初期の古絵志野木葉皿をゆずりうけていた。

 

 北大路魯山人がこれと同手を本歌にし、染付に詠み変えて木葉皿をつくっていたようだ。

 

 紅葉図は桃山文化の代表的な意匠。ぼくの古絵志野木葉皿も、骨太の型押造形、自然釉にちかい釉調にすっと鉄絵の葉脈が描かれる。この手の模範的な作行だろう。流れるような灰釉の潮も、そこに飛び散った鉄絵も、美事。もとは五客か六客一揃だったのが散逸したのだろう。共箱は魯山人とも所縁ある黒田陶苑の作、前代はコレクターが所有。大変コンディションの佳い完器だ。

 

全体の色彩は紅葉というより朽葉色だが、そこが侘びており、じつにいい。魚の脂や炊物の出汁を吸うと、土味に紅い光が射すのが、これまた、なんとも。

 

 魚が美味くなる秋冬の酒肴を盛るのに好適なのだ。

2021年8月18日水曜日

小田原小旅



 


 ひさしぶりに妻とでかけた。行き先は小田原。最寄駅から新幹線で一時間である。

 

 ただ、海を眺め、美味い魚で呑み、温泉につかるだけの休暇。観光はいっさいしない。

 

ぎりぎり非常事態宣言まえだったので、缶ビールを車内で飲んでいたら、あっというまに小田原駅についてしまう。スピーディすぎて、旅の情緒がないなあ。こんどから、湘南新宿ラインにしよう。

 

さっそく、浦和の食通から教わった駅近くの鮨や〈潮り〉へ。相模湾の新鮮な近海魚を握ってもらう。まずは生しらすで乾杯。金目鯛、鰹、本鮪などをいただいてから、旬の胡麻鯖、ぼくにはめずらしいタカベ、ブダイなども握ってもらった。ランチとはいえ、ふたりで呑んで食べて八千円は高くないとおもう。

 

その日は、根府川の山あいのホテルに一泊。相模湾に沈む巨大な夕陽を眺めながら、温泉で体をほぐす。詩人田村隆一のみた魂の色彩。

 

翌日は朝風呂に二回はいり、チェックアウト。早川港から紺碧の海原を眺めたあとは、時間もあったので、小田原市街をそぞろ歩く。なんとなく御幸浜にむかっていたら、海岸へのおもしろい入口をみつけた。道路下をくぐって砂浜へでる半トンネルで、カメラのファインダーをのぞくように、矩形に海が切りとられてみえる。

 

そばには〈竜宮堂〉なんてカフェもあって。

2021年8月10日火曜日

盛夏の酒器





 また、非常事態宣言がでてしまい、立秋をすぎても、きょうなどは気温38度の猛暑日。

 

そうして家呑みがすっかり板についてしまい、同時に骨董、なかでも酒器や肴を盛る食器を入手するペースがいやましにあがる。

 

 ぼくの盛夏の酒器は、大正時代の職人の手になる江戸硝子徳利に、初源伊万里盃や南宋砧青磁盃をとりあわせ、日毎の晩酌をまかなっている。

 

 古染付とみまがう初源伊万里盃は、その名のあらわすとおり、日本人陶工の作ではないだろう。見込みのコバルトブルーにちかい釉溜や呉須の筆致もさることながら、厚ぼったい古伊万里とはちがい、繊細な花びらのように薄手の作行き。可憐に撓んだ器形も好もしい。紙なみに薄い口縁は酒雫の切れもじつによく、涼やかに呑める。

 

 青磁盃は123世紀の作。翠緑の美しい釉調にはどこかあたたか味もある。このうえなくシンプルで、シャープな器形は南宋期龍泉窯の規範となる作行きだろう。白州正子ともゆかりの文芸評論家A氏の蔵出品だそうで、まさにコロナ禍の初期に譲っていただいた盃だ。

 

あのころ、どんな予感がはたらいて、この盃を手にしたのだろう。そんな物想いにとらわれつつ、酒器は真夏のままだけれど、立秋をすぎたので、江戸時代初期の絵志野楓皿をだし、奈良の押寿司を盛って一杯呑んだ。


夏から秋へ、器の心ははや移ろいだすのだった。

2021年8月1日日曜日

うつろうかけらとしての写真 −谷口昌良写真展「写真少年1973-2011」



 

 浅草寺のある東京浅草には、かつて、星多の写真館があった。演芸のロック座やキネマの浅草名画座とともに、浅草は写真の街だった。写真が趣味でお寺の住職だった祖父からカメラを譲りうけた谷口昌良も、ごく自然に、そんな「写真少年」のひとりになった。

 ビーチボーイに憧れたクールカットの浅草モダンボーイは、詰襟の学生服にカメラを肩からさげて、吉原芸者や江ノ島の海をファインダーにおさめる。写真帖の余白に、ボヲドレエルを気取った詩を書きつけて。

 そんな「写真少年」に出逢ってみたくて、隅田川のほとりにある〈iwao gallery〉に足をはこんだ。

 「写真少年」、しかし、写真の私記性をふくめ、そのタイトルから連想されるいっさいから本展はうつろいだす。

 写真ギャラリー〈空蓮房〉を主宰する谷口昌良らしく、展示方法はユニークだ。廊内には写真作品のみならず、谷口氏が三十年以上にわたり苦闘を書き溜めた極私的なノートや昭和高度成長期を感じさせるスクラップブックの大冊が設置され、これもまた谷口氏のコレクションらしき、1980年代のウェザー・レポートやパット・メセニー・グループのLPが鳴っている。ジャコ・パストリアスのファンだという谷口氏愛蔵のフェンダー・ジャズベースも飾られていて(本人はまったく弾けないらしい)、若い観覧客はおもわぬエイティーズカルチャーとの邂逅を愉しんでいた。

 「写真少年」の黄金期でもあった、1980年代。谷口昌良は実家のお寺を遠く離れ、ニューヨークへと単身わたる。住んだマンハッタンのオンボロアパートは、貧乏ジャズミュージシャンたちの巣窟で、朝から晩までジャムセッションが鳴りやまなかったという。

 アメリカン・ニューカラーの洗礼をうけ、レオ・ルビンファインの講義にもぐりこんだ写真少年は、懸命に、写真少年から脱皮しようと日々もがいていた。

 当時のカラー作品で、とくに魅了された一点がある。

1983, Picnic in Central Park in Manhattan」。

 アナログカメラとランチ袋をもった口髭の東洋人青年とモデルなみに美しい白人女性が、こぼれるように咲く花枝のしたを、おたがいにすこし離れて、レンズへとうつむき加減に歩いてくる。視線をあわさず、べつべつに夢見るように。あらゆる意味で対照的なふたりは、谷口昌良の共通の友人かもしれない。恋人たち、といいきるには微妙な間があるが、ふたりは、時代の生む圧倒的な幸福感に浸されている。たまさか鏡像を結んだ無縁のふたりは、進行方向の右斜前へ軋むようにかしいで歩いている。それは被写人物をぎりぎりまで側近くとらえつつ、後背で雪色に咲き乱れる花木をもファインダー内におさめようとした、低めの仰角撮影の賜物であろう。

 この偶然の効果が、おもしろい。

 写真家がピントを絞ったのは、ニューヨークに春を告げるコンベントリーガーデンのマグノリアの花か、自己言及的にカメラを覗かせる青年か、はたまた、白花の袂からペルセポネーのように顕現したワンピースの娘か。

 ところが、これらすべてにピントをあわせるかの写真には、いったい、どこに焦点があるのか不明なのだ。

 まなざしは、写真の内外で情景や理解の物語を焦点として結ぼうとする。が、中心的な視座は散逸し漂泊し、写真の表面にあまねく偏在するようにみえる。ピントを欠いたものは、単一の焦点ではなく、さまざまなピントの星座、その布置関係を開示しようとしている。

 その効果によって、マグノリアの花は、あやうく闊歩する男女のうえに、かれらにとって無縁であり有縁でもあるような不思議な祝福を降らせていた。

その写真作品から、世界の春のかすかに軋んだ謳歌を聴きとるぼくはこんなことを想う。

 仏教語でもある、流行。すなわちモードと写真の蜜月はだれもが知るところだ。流行の本質たるうつろいやすさは、それがつねに最新でなくてはならないということ。けれども、ロラン・バルトが述べたように、モードにおいてはかつてのタイプが最新のものとして「神話的」に回帰する。流行という移ろいやすく虚ろな現象では、永遠に反復する神話的自然と最新の歴史的事象という思考の二極は宙吊りにされる。

 ただし、流行にもなけなしの唯物論があろう。それは、いかなる超越への追想も、変移なくしては不可能になる、という客観だ。写真という〝永遠の瞬間〟を切り撮る行為は、破壊されたものとして、もっともうつろいやすいものをつうじて現像される。自然と歴史が絡みあう瓦礫、破片としての、写真。

 アメリカン・ニューカラーは、アメリカという土壌から、写真だけに可能な新しい色彩を生みだそうとするモダニズムだった。ゆえに、そこには一点の写真を成立させる成熟した決定もあったろう。

たいして、その子ども、永遠にもがくがままの「写真少年」谷口昌良の写真展は、想念された1980年代に、写真を春のかけらのように降らせていた。

 

 

(谷口昌良写真展「写真少年1973-2011」 2021.6.17(木)ー7.4(日) 於・iwao gallery/東京蔵前)

2021年7月23日金曜日

夏を迎えに

 



 仕事帰りの午後に上野から浅草へ。念願の、駒形どぜうへ。


 とまれ、梅雨は明けて、どぜうの丸鍋では見目も暑いというもの。だから、こちらも好物のどぜう蒲焼で、一杯呑むことにした。


 蒲焼が焼けるあいだ、冷たいお新香とさらし鯨をたのむ。ビールは上野東京ラインのグリーン車内で二缶飲んできたので 笑 いきなり日本酒を。たれ口を冷やで。


 コロナ感染予防のための換気で、縁側の窓が開け放たれてい、隅田川のほうから風がはいる。風鈴が涼やかに鳴る。風韻にのって、すこうし傾いだ古唐津盃に酒を注ぐ。半年ぶりに、駒形どぜうの小上がりの時間をゆったりと愉しむ。


 二十分ほど経つと、かりっと香ばしく焼けた、どぜうの蒲焼がはこばれてきた。お調子をもう一本。丸鍋もいいが、盛夏はこれにかぎるのだ。


 どぜうの蒲焼は、鰻よりもさっぱりしており、ひと口で食せる食べ易さ。むろん、精もつく。駒形どぜうの蒲焼は、とくに、たれが辛口ですっきりとしている。ぼくの好み。作家の吉田健一が愛した金澤のどぜう蒲焼は、たれが甘口で、こちらは冷おろし原酒などのおもたい甘口の酒があう。それはそれで、美味しい。


 駒形のほうにあうのは、やはり、江戸の清酒だろう。菊正宗樽酒があれば、もっといいのだけれど。


 ちいさな泥鰌ながら、表はかりっと、内はふっくらと焼きあがった蒲焼を食しては、古唐津盃をあげ、切のいい江戸の酒をひと口。至福のひととき。


 これで、やっと夏を迎えられる。

2021年7月17日土曜日

野原かおりplus stoopa「sibira」





 テストアップも無事に成功した、国際ポエトリーサイト。そのデザインとプロデュースを担当していただいているデザインカンパニーstoopaさんについては、往々、書いてきている。

 

そのstoopaさんが満を辞して発表したアートブック・プロジェクト「sibira」に招かれ、詩作品「星の香」を寄せました。英訳は東京工業大学の関根路代先生にしていただく。装幀だけでも、かなりインパクトのある豪華本になった。詳細は、リンクから「sibira」特設サイトをご覧ください。

 

https://sibira.xyz

 

 グループメンバーはアートディレクターの野原かおりさんをはじめ、写真家の小渕喜幸さん、写真家の砺波周平さん、そしてstoopaさんという強力な布陣。ファインアートと商業マスメディアの双方で活躍するアーティストたちが集結した格好だ。おもしろいのは、長野県在住のメンバーがおおく、ゆえに、今回のプロジェクトも長野と東京を往還する日々から生まれた、ということ。

 

 今回の「01 From nowhere to anywhere」は、野原さんのドローイング作品集が主体となっている。ラインとドットで構成された、未見のドローイング。数学のカオス画像のような、枯山水のような、琳派のような線と色彩は、野原さんの柔らかな身体性を感得させつつ、端々に現代の怜悧なコンポジションを滲ませてもいる。ゆえにこのアートブックも、エッジとプリミティブ、生身とデジタル、東京と長野が複雑な交差系を編みなしている。

 

そもそも、野原さんの作品は、アートなのかデザインなのか。ただし、それらは境界線を問いかけるだけの凡景ではない。野原さんのドローイングは、その双方の名称を拒みつつ抱擁しながら、「どこからともなく どこへともなく」存在しているメディウムとしてぼくには映発する。

 

 その、線とドット、野原さんみずからのデザインと装幀に、写真と詩が野花のように咲いている。

 

 ぼくは、正直、いまだに、この美しいアートブックのなかでおこっている出来事を言語化できない。あまりに感覚的な言葉でいえば、左耳でバッハのソナタを聴きながら、右耳でアート・リンゼイを聴いている、ような。

 

野原さんのあとがきから引用するなら「言葉では言い尽くせない解像度で/線と体が邂逅する」、なにか。線と線のあいま、行間、余白として受けとるしかない、なにか。

 

sibirasybila(古代ギリシアの巫女)をおもわせよう。ところが、詩を書いているときに、シビラは長野山中のとある廃村なのだとstoopaさんから教わった。その村名はいまや地図にも記載されていない。かつては人が暮らしを営み、いまは滅びた村の名の痕から、現代社会と共振するアート、デザイン、写真、詩が、新たな粧で「どこからともなく どこへともなく」漂い生まれようとしている。

 

今回、このブログでは、交差する伏線たちをひくにとどめよう。そして、時をかけ、理解の成熟を愉しみつつ、後日、一本のエッセイをこのプロジェクトに捧げたい。

 

それだけのなにかが、このアートブックにはあるとおもう。

2021年7月11日日曜日




 

 ながらく更新ができずに、すみません。多忙でした…コロナでは、ありません。


 金谷ホテルグループのお仕事で、鬼怒川、那須高原、箱根、東京と、ちいさな旅を。写真は、金谷リゾート箱根でのスナップ。


 関東は4回目の緊急事態宣言とまんぼうになってしまったけれど。箱根では、仕事とはいえ、塵区から遠ざかり静かな森と湖と小鳥の歌に癒されていた。そして、もちろん、ミシュランで星を獲得したキャリアをもつ森シェフのフレンチにも。


 以前にも書いたように、鬼怒川金谷ホテルの季刊パンフレットで、砺波周平さんの写真を相方に、ショートエッセイの連載をしています。


 そして、同パンフレットには、鬼怒川金谷ホテル滞在記というコーナーもあり、さまざまなジャンルで活躍中のアーティストを招いてホテルに滞在してもらい、エッセイに綴っていただいている。

 2021年夏号のパンフレットには、芥川賞候補作家の木村友祐さんが滞在執筆をしてくださった。第2回はマルティーナ・ディエゴさん、第4回はおなじく芥川賞候補作家の温又柔さんが執筆してくださっている。


https://kinugawakanaya.com/#invi


 旅もままならない、いま。せめて、気分だけでも、上リンクより、ぜひ、ご一読ください。

2021年6月13日日曜日

今井智己「『十年』ーA decade」を観に(2)

 


そうした連作写真にたいし、唯一額装された最後の〝作品〟が、静謐な異光を孕んでいた。

それは、今井智己がすべての作品を撮り了え、下山した瞬間に出逢った光景だったという。

全体は、一日の光がついえる直前の、仄蒼いトーン。そこはなんの変哲もない無景観の湿地で、水鏡の内側へ、枯れ葦が祈るようにたおれこんでいる。泥水からつきでた石塊や枯れ草のうえには、微光がふりそそいで、ぼくの視線にはその色彩が雪とも灰とも映った。

全体のなかでその写真だけが、明確に、構成と重量感をもっていた。

 

 写真の繭を想わせる空蓮房で、独り、今井智己の写真とむきあっていると、こんな言ノ端が降ってきた。

 光自身にもみえない光がある。

今井智己が展示に寄せた言葉−写真の記憶は「遠く深く離れていく」−とともに。

 写真は光を受胎、いや、代胎するが、光景に欠けているなにかを補い、償い、現在の犯す過ちを匡すのではない。写真はそのように存在しているそのままの光景へと移り=写り住み、その〝現像〟の最中、代替行為はみずからの主体も場所も知ることがない。

 今井智己の写真作品、あるいは光景の代胎は、あらゆる存在の独自の生起がつねにすでに共通のものである、と、震災の「十年」をこれからも抱きしめる。


(2021.3.3-4.23 東京蔵前 ギャラリー空蓮房にて展示。前回、今回ともにブログ冒頭の写真は筆者撮影の隅田川光景)

2021年6月6日日曜日

今井智己「『十年』−A decade」を観に(1)

 


 今井智己「『十年』−A decade」は〝3.11〟、2011年3月11日午后2時46分におきた東日本大震災と、福島第一原発のメルトダウンからはじまる「十年」を撮影した写真作品展である。

 

 今井は、倒壊した福島第一原発〝建屋〟の背にひろがる阿武隈山系を尾根伝いに歩きつつ、十数か所のポイントから、地図と方位磁石をたよりに建屋の方角をむいてシャッターをきりつづけた。

 繭の白い内面を想わせる、日本の茶室の間取りにちかい空蓮房の壁面ぞいに、額もタイトルもなくただ撮影日だけが付された一連の写真作品が、細いワイヤーで宙吊られている。奥の水屋のような展示室には、額入りの大判作品と、プロジェクトの概要とドキュメントが流れる液晶ヴィジョンが対面で展示されていた。

 

 ワイヤーで吊られた最初の写真には、「2011.4.21」の日付がある。今井は、原発事故の周囲二十キロ圏内が立入禁止区域化される一月前に、この写真を撮ったのだった。

 その一枚には、東北の春霞の空、阿武隈の雄大な山並の奥に、かすかに福島第一原発のある陸地がみえ、消尽点のさらにむこうに、津波が大勢の生命を奪った、東北の冷たく澄んだ碧緑の海がわずかにみえる。写真は、人の視線からみると、静かにすぎる時の流れを奏でている。

震災から二年が経過した「2015.3.11」の作品には、シルエットになった雑木林のあいまから、おなじく霞んだ空、コバルトの海と白波、遠景からは窺い知れない建屋らしき建造物が、もうすでに、何事もなかったかのように白い点になって写っている。

 

時を経るにつれ、各撮影ポイントを夏の緑や冬の裸枝が繁茂して覆う。建屋への視線を遮る。無人になった土地に大自然だけが、美しい威声をあげて帰還してくる。

印象にのこったのは、撮影対象とともに写真作品の表情だった。今井は一眼レフカメラと三脚を担いで撮影ポイントを彷徨し、ファインダーにおさめたはずだが、作品はどれもスナップ写真のように軽い質感で、フラットな表情をしているのだ。  (つづく)


(於 ギャラリー空蓮房 2021.3.3-4.23) 

2021年5月28日金曜日

梅雨のどぜうを



 

 新型コロナ蔓延防止策がまたも延長、か。

 ここ二ヶ月、春日部の麺屋豊さん以外は、まったく外呑みしていないのだが、家呑みが板についてきてしまった。

 

 外で呑んでいる景色が、もう、思い出のようにすら感じられたので、いま、自分がゆきたい呑み処を戯れに想いうかべてみる。

 

一、浅草 駒形どぜう本店

二、浅草 鎌寿司

三、浦和鰻 中村家

 

筆頭に、どぜう、というのは自分でも意外だった。たしかに、ぼくの梅雨はどぜうを食さねば明けまい。そのことを自覚した。

 

 さて、そんな独酌の独り言のお供は、酒が「七賢 絹の味」、肴が「いざさ 柿の葉寿司」。

 盃は松浦系窯の古唐津立ちぐい、徳利は桃山時代の緋襷預徳利。柿の葉寿司は大正期の白タイル、手造り珍味数の子白子和は李朝刷毛目皿に盛って。

 

 まあ、こうして、じっくり自分の酒器とむきあう日々もいいものだが、いま、大変な思いをしている飲食店のためにも、早くワクチンでもなんでも接種して、梅雨のどぜう鍋と洒落込みたい。

 

 ことしの夏は京都に、鱧を食べにゆけると、いいな。

2021年5月25日火曜日

巣篭もりの誕生日





 以前、古山子こと小山冨士夫作の徳利について書いたとき。桃山時代の無地志野盃ととりあわせられれば理想、と書いた。

 

 すると、近頃、頻々に骨董についての手紙やメールを交わしている詩人の城戸朱理さんが、誕生日の祝い物にと、なにやら小包をお送りくださった。

 

 小包を落掌し、開封してみて、おどろく。

 

 桃山時代の織部志野盃が、はいっていた。

 

 無地志野なら紅も差し、人肌のごとき温みある色だが、「織部志野は雪のような青みを帯びて、それもいいものです」と、送り状にあった。その盃は、古唐津の山瀬窯盃の肌を想わせる灰青でもある。

 

 お気持ちもうれしくて、二合半はいる古山子の徳利を三度みたし、半升瓶を呑みあかした誕生日だった。

 

 翌日、一枚板のテーブルにのこされた盃と徳利を、城戸さんにスマホで写メしたら、「志野織部の盃も古山子の徳利も唐子の古染付皿も、まるで昔からそこにあった感じがするのが面白かった」とのご感想をいただきました。

2021年5月15日土曜日

巣篭もりの日々のなかで


 

またもや、グーグルブロガーの不調で、ブログのアップが遅くなってしまった。最近、調子が悪いみたい。

 

 新型コロナ禍も変異ウィルスが出現したり、緊急事態宣言が延長されたりで、巣篭もりの日々がつづく。

 

 さて、きたる74日にTOKYO POEKET 2021のゲストに招かれたのだが…残念ながら、二度目の延期とあいなった。変動のおおいコロナ禍の状況にもかかわらず、たゆまず準備をされてきた運営実行委員会のみなさま、そしてポエケットを愉しみにされていた出展者の方々に、お見舞いを申し上げたい。

 三度目の正直、来年こそは、笑顔でみなさまとお会いできますように。

 

 

 さて、そんな混乱のさなか。やっと愛用の満寿屋謹製原稿用紙がとどく。

 

 原稿用紙が切れていたので、二ヶ月ほど、万年筆やボールペンでノートに書くを余儀なくされていた。時世柄、原稿用紙も種類や販売店がすくなくなり、さらに、コロナが追い討ちをかけている。まあ、同世代の詩人をみわたしても、原稿用紙に手書きはぼくくらいなものだ。

 ぼくもいまは、手書き原稿をアシスタントさんにタイプ清書してもらい、詩も散文もデータ入稿するほかない。

 

 それでも、原稿用紙に手書き派は、確実に一定数は生存しているようで、満寿屋さんも健在だ。

 

 以前、小説家の朝吹真理子氏とお話ししたとき、執筆過程の半分は原稿用紙に万年筆で書いているとお聞きして、うれしかった。

 

 きょうはノートに書き留めた長篇詩を原稿用紙に清書。

かつて原稿用紙入稿が一般的だった時代。執筆者用箋の原稿の余白には、混入を避けるため、名入れや璽印が捺してあった。

 あのころの佳き習慣に倣い、ぼくはいまも、書家北村宗介さんから贈られた璽印を余白に捺している。

2021年5月1日土曜日

ゴールデンウィークはお家で

 




 そもそも、フリーランサーなので、毎年の黄金週間は自宅ですごす、というか、たまった原稿を書いていることがおおいのである。遊びにゆくのは、人波のひいた連休後に。

 

 きょうは、春の酒器たちを共箱に仕舞い、夏の酒器をだした。

 酒を注ぐ片口として見立てたのは、江戸時代初期の瀬戸麦藁手夏茶碗、盃は手前右が古山子こと小山冨士夫作の斑唐津盃、奥左が桃山時代の初源伊万里盃、です。ここ近年は、近現代の陶芸作品と古器をあわせるのが、なんとなくマイブーム。

 

 せっかく、休日だし、酒器もだしたし、新緑を眺めつつ昼酒を。いただいた唐墨をおつまみに。

 

 酒は白州町にある山梨銘醸株式会社の「七賢 絹の味」。

 

 七賢といえば、いま、準備中の国際ポエトリーサイトでもご一緒しているデザインカンパニー「stoopa」さんと、春に七賢の英語サイトをつくったのだった。

ぼくが詩的テクストを書き、翻訳家の渡辺葉さんが素晴らしい英訳をしてくださった。

 よろしければ、ご覧ください。

 

 https://sake-shichiken.com

 

 そして、みなさま、こんな状況下ではありますが、コロナに気をつけて、よきゴールデンウィークを。願わくば、酒は七賢をご用命ください。