2019年4月26日金曜日

パリ「ヴィジュアル詩展」出品-谷口昌良さんとのコラボレーション



 詩人の河津聖恵さんとヤリタミサコさんから、今年秋にパリで開催予定の「ヴィジュアル詩展」への出品をお誘いいただいた。

 視覚詩は、北園克衛の前衛詩誌「VOU‎」を原点とする。言語偏重のポエジーを、視覚作品により言葉から解放し、新たな詩の地平をめざす詩的グループだ。同展は現代詩手帖でもレビューが掲載された。お手紙をくださったヤリタさんによれば、昨年、永眠され、視覚詩もおおく遺された藤富保男さんや、視覚詩人の高橋昭八郎さんの作品が欧州を中心に再評価されており、展示にも世界各地から観客が来展したとか。
 このお誘いに、ぼくは興趣をそそられた。

 とはいえ、視覚詩を実作した経験のないぼくは、こまった。じぶんで書作品を制作することも考えたのだが。
 
 ふと、友愛、というキーワードが脳裏をよぎった。

 視覚詩は、アートではないが、ダダ•シュルレアリスムの影響から出発している。そして、運動体としての視覚詩からは、ブルトン•グループほど濃密ではないものの、どこか、友愛の重要性を感じてしまうのだ。もっとも、この友愛はべとつかず、幽霊的でもあって、新しい共同体の芽生えにちかい。そんな、幽霊的な友愛から、ポエジーをひきよせられまいか。

 と、そんなとき、気鋭の写真ギャラリー空蓮房を主宰する、写真家の谷口昌良さんのお顔がうかんだのだった。

 すでに、写真家の畠山直哉氏とのプロジェクトで多忙な谷口さんだったが、蔵前で呑みながらご相談すると、快諾してくださる。
 「どこからはじめます?」
 「とりあえず、文通でもしましょうか」

 こうして、ぼくと谷口さんとの、視ることとポエジーをめぐる文通がはじまった。ぼくは万年筆に満寿屋謹製A4版原稿用紙で、谷口さんはメールとWordで。
 朝、仕事まえの一時間、ぼくは頬白たちの歌を聴きながら原稿用紙にむかう。手紙をしたためる時間は、執筆の時間とも、対話の時間ともちがう、なにかとてもいい時間だ。

 それは、友愛の時間、かもしれない。

2019年4月19日金曜日

ぼくのキャンパスライフ





 去る4月6日土曜日に東京は学習院大学の目白キャンパスで講演と朗読の機会を得た。

 昨年にひきつづき、オープンキャンパスの催でまねかれたのだった。会場の大講義室には二百名ちかい聴講者の方々がいらっしゃった。


 このオープンキャンパスは、高等部の父母から学習院大学卒業生の方々までが参加でき、毎年、桜も咲きほころんで、華やかな雰囲気につつまれる。大学の恩師の特別講義、最終講義を聴きにこられ、そのまま同窓会、といった卒業生もおおく、会場には学生さんのみならず、さまざまな世代の方々がおみえになった。なかには、昨年も聴講されたお客さんたちが、「ことしはお友達もつれてきました」、と来場されていて、終了後にお話させていただいた。


 学習院大学は卒業生の結束力がつよいのだなあ。

 記念撮影後には、「これを呑んでお花見してください」と、きれいな桜色の包装の「限定純米大吟醸 越州桜日和」をお贈りいただいた。学習院大学の皆様、ほんとうにありがとうございました。

 さて、そんなことがあったのも、つい二週間前。すでに、桜は散り、いまは、若葉が枝という枝に柔らかい火花を噴きあげている。ことしもフェリス女学院大学での講義がはじまり、鶯の鳴く丘にたたずむ緑園都市キャンパスにかよっている。


 ことしは四十五名の履修者にたいし、六十名ほどの乙女たちが教室内にいらして、昨年にひきつづき聴講される学生さんもおおい。なかには、三年連続でおみえになっている学生さんらもいる。すると、フェリスでお世話になって、もう四年が経つのだなあとつくづく感じ入るのだった。


 フェリスの学生さんたち、とても勉強熱心な学生さんたちだと思う。講義は近現代の詩歌がテーマだが、文学が専門ではない学生さんもおおい。ぼくが講義をつづけられるのも、大学側のあたたかいご支援と、優れた聴き手である学生さんたちの賜物だろう。
 とまれ、毎年、苦心するのは、講義でとりあげる詩人のチョイス。講義は詩歌史が中心なので、朔太郎、賢治など、毎年とりあげる詩人もいる。講読する詩作品は毎年変えるが、三年連続で聴講してくださっている学生さんたちを飽きさせてはいけない、プレッシャーがあるのだった。

 ことしは、獨協大学の「LUNCH POEMS@DOKKYO」もリブートするので、来月は、ひさしぶりに主催教授の原成吉先生と新ゼミ生たちに会いにゆこう。それまでに、ゴールデンウィーク返上で原稿を書きあげねばなるまい。

 フェリスの講義後は、図書館にこもって、大学関係の仕事でもしてゆくかなどと殊勝な考えをおこすこともあった。結局、「ひさしぶりだから」と自分に言い訳しつつ、足はおのずと横浜の盛り場へとむかい、あの独特な店構の野毛たべもの横丁の鮨屋「まんぼう」に開店と同時にすべりこむ。おつぎは、関内の名バー「カサブランカ」へと梯子をかけ、老舗ジャズ喫茶&バー「ちぐさ」へ。店員さんと再会を祝しつつ晩年のシャーリー・マクレーンの声に思わず目頭をおさえ、バーボン&ソーダをおかわり。〆は、もちろん、「大来」の湯麺である

 終電の湘南新宿ラインにギリギリセーフで飛び乗った。

 当然、翌朝は、宿酔い。嗚呼、毎年このパターンが、永劫回帰するのだな、と達観しつつ、ぼんやりした頭で埼玉の鶯の歌をきくのだった。

2019年4月11日木曜日

連載エッセイ「詩への旅」スタート



 春から、エッセイの新連載がスタートします。

 ひとつめは、左右社ホームページ「ウェブ連載」ではじまった紀行エッセイ『詩への旅』。

http://sayusha.com/category/webcontents

 国内外の詩人が書いた一篇の詩から出発して、詩人と作品ゆかりの土地を旅し、詩人が通ったり作品に登場した店で酒食もする、という企画。
紀行あり、プチ旅あり、詩人と作品世界の紹介あり、居酒屋談義あり。もりだくさんな内容になってゆくと思います。詩の読者や文学ファンのみならず、旅好き、酒食がお好きな方にもお読みいただけたら、うれしいです。
 更新は、毎月一回。連載は二年から三年の継続を予定しています。そして、連載終了後には、書籍化も企画されています。

 ぜひ、立ち読みしていってください。
 
 ふたつめは、ロンドン発のファッション/アートマガジン『Wall Paper*』にて、東京のアートを詩人がリポートする「Tokyo Poetry Art-icle」。現在、関西で日本語版が準備されているアートマガジンでの隔月連載です。
 昨年12月、東京板橋のユニークなアートスペース「Dungeon」で開催された、アートと詩のコラボレーション展「直角はありません」にご来場いただいた編集者の方からのオファー。近年、アーティストとのコラボレーションや美術館の企画にたずさわる機会もおおく、ぼく自身、もうすこし切実に、現代アートを再認識してみたいと考えていた矢先。個人的にも、よいタイミングで、心踊る企画をいただいたと思う。

 連載開始時に、あらためて、本ブログで詳細を告知させていただきます。

 どうぞ、ご期待ください。

2019年4月4日木曜日

見沼桜回廊でお花見





 やっと、お花見にゆくことができた。

 フリーランスの特権をいかし、平日の朝、歩いてすぐの「桜回廊」‎へ。ぜんぶつながると、22kmの桜並木になり、そうなると、日本一の長さになるとか。さいたま市は、近年、桜祭とやらの広報に力をいれ、懸命に桜を植樹している。年々、桜回廊をおとずれる花見客もふえてきた。かつては、地元民さえ知らない、知る人ぞ知る、大桜並木道だったのに。
 まあ、あまり人出がおおくなると、お佐久良さまも、五月蝿いと、ご機嫌を損ねられるというもの。ほどほどが、いいですね。いつまでも、江戸時代にタイムスリップしたかの、静かな見沼の鄙里のお花見であってほしい。

 そういえば、桜回廊のちかくには、書家の北村宗介さんや小説家の京極夏彦さんといった、文人墨客が隠棲されている。見沼の里は、いかにも、現代の文人墨客の鄙里といった趣がある。

 8kmほど歩いたと思うのだが、桜、桜、桜。無限とも思える、薄墨色の花のかがよいに、眩暈をおぼえる。ぼくはもう慣れてしまったのだが、初めて見沼の桜回廊をくぐる人は、桜花に酔って、気分が悪くなる方もいる。
 お花見といっても、一本のソメイヨシノの袂をじっくりみあげはしない。なにせ、延々つづく桜並木なのだから、たちどまって見惚れていたら、きりがない。一歩あるくたびに、桜の差異と反復が無限に戯れてゆくようで。桜花の海に透体脱落する感覚こそ、見沼桜回廊のお花見なのだった。
 だからかもしれないが、東京に住んでいたときとちがい、一本の桜をじっくりお花見することがなくなってしまった。

 ことしも存分に桜の精を浴びさせていただいた。一年にいちどの、最高の休日でした。

 お佐久良さま、ありがとう。また、来年も元気に、お咲きになってください。