2017年12月31日日曜日

よいお年を




  みなさん、どんな年の瀬をおすごしですか。ことしから、ぼくはおせちづくりに参入。

 妻がとりよせている丹後の地野菜がとどく。どれも原種にちかい野菜で、無農薬、無肥料で育てられているという。生産者は、「やさいや 土のこ」さん。それでも、こんなりっぱな蕪がそだつ。

 見通しのよい蓮根は、茨城の方がおすそわけしてくださった。節穴はきらきらした瑞々しい純白で、皮むきをする刃が身にまったくひっかからない。皮がむきにくいのは、しなびているからだとか。これは、酢蓮にする。

 庭でつんだ梔子は、きんとんの色づけに。

 ことしも、たくさんの方にお世話になった。

 4月には、ロンドン•ブックフェアに。6月には、蔵前のギャラリー、空蓮房さんで個展とイベント。秋には、韓国と南紀伊に。‎そして、もちろん、獨協大学でランチポエムズ。ことしのイベントや講演は、36回にのぼった。

 詩人の管啓次郎さんと暁方ミセイさん、そして毎月豪華なゲストを招いて展開した左右社ホームページ連載の『連詩 見えない波α』も、いよいよ佳境にはいった。

 日本はもちろん、イギリス、韓国で出逢った詩人たち、アメリカはオークランドから飛来した詩友Judy Halebsky、拙詩とコラボレーションしてくださったアーティストのみなさま、獨協大学、フェリス女学院大学、早稲田大学で出逢った学生さんならびに先生方、イベントにおこしくださったみなさま、いつもご迷惑をおかけしている編集者のみなさま、家族親戚、草木鳥獣、法界万霊、すべてに感謝を。

 春日部の「麵や 豊さん」秘伝のレシピで煮豚をことことしていたら、あ、そとは大晦日の小雪。

 おせちづくりがおわったら、横浜を散歩。歩きつかれたら、グランドホテルのバーでマティーニでも呑もう。湊に、雪が、ふっているといい。‎

 みなさん、よいお年をお迎えください。

2017年12月26日火曜日

「LUNCH POEMS@DOKKYO」Vol.11


詩人ヤリタミサコさん



11回をかぞえた「LUNCH POEMS@DOKKYO」。

今回は、詩集『私は母を産まなかった/ALLENMAKOTOと肛門へ』(水声社)を上梓し、文字のみならず音声や視覚から詩を探求するフルクサス/アヴァンギャルド詩人ヤリタミサコさんをお招きした。

また、ヤリタさんは、『EE・カミングスの詩を遊ぶ』(水声社)や『ギンズバーグが教えてくれたこと−詩で政治を考える』(水声社)などの著書で、アメリカ近現代詩研究者・翻訳者としても知られる。

 ヤリタミサコさんを、ぜひ、お招きしたいと第一声をあげたのは、視覚詩の先駆的詩人カミングスで卒論を書こうとしている学生さんたち。しかし、ぼく個人は、映像収録の環境から(いまのところ)スクリーンやプロジェクターがつかえない現行の「LUNCH POEMS@DOKKYO」では、ヴィジュアルポエットをお招きするのは、むずかしいと感じていた。

 ところが、そんなディレクターの杞憂を晴らすように、ヤリタさんは見事多彩なパフォーマンスで会場を沸かせてくださった。学生さんたちの柔軟な感性が実現した企画でもある。

 ヤリタミサコさんは、今秋に他界され、視覚・音声といったジャンル性をもとび超えた詩人・藤富保男さんと長年にわたる交流があった詩人。収録イベントの冒頭では、藤富さんの詩篇「ふタりノかンけイ」(詩集『やぶにらみ』所収)を、遺稿をもとに朗読。その秘められたエピソードと、藤富さんとの思い出を、ぼくらに語り聴かせてくださった。藤富保男さんの生原稿!は来場者全員にカラーコピーされて配布。すごい、お土産がついた。ちなみに、この詩は男性(漢字とひらがなの詩行)と女性(カタカナの詩行)がデュオになって朗読する。ヤリタさんは、ぼくを男性パートに指名してくださった。とても、光栄でした。

 カミングスの和訳詩の朗読や解説はもちろん、ヴィジュアルポエット・高橋昭八郎さんの作品のヤリタ・カヴァー・ヴァージョンも披露してくださる。

また、現代音楽ファンならご存知だと思うけれど、ヤリタミサコさんは作曲家フィリップ・グラスのアルバム「Hydrogen Juke Box」がテクストにしている、ビート詩人の教祖アレン・ギンズバーグの詩篇「ウィチタ竜巻スートラ」を1994年に翻訳されている。村上春樹・柴田元幸訳に先駆けて。ヤリタさんは、村上・柴田訳とご自身の訳をひきくらべながら、翻訳とポエジーの関係性をレクチャーしてくださった。

このときの映像は、後日、「LUNCH POEMS@DOKKYO」公式ホームページならびにYouTubeにてアップされます。ぜひ、ご期待ください。


 こうして、多彩で、内容の濃い時間がまたたくまにすぎてしまった。

 イベント後は、ヤリタミサコさんのご希望で原成吉教授の講義を聴講。さいごは、ヤリタさん、原先生、ぼくによるハプニング的なイベントへと発展した。

 すべてが終了すると、学生さんたちが、すこし早めのクリスマスもかねて、忘年パーティをちかくのお店で開催してくれた。うえの写真は、そのときの模様。学生のみなさん、お顔が正面から写ってしまっているけれど、ごめんね。学生さんたちは、あたたかくフレンドリーなヤリタさんのお人柄にも魅せられていたようだ。

 長時間おつきあいくださったヤリタミサコさん、ほんとうにありがとうございました。原先生、実行委員会の学生のみなさん、おつかれさまでした。

 次回、第12回目となる「LUNCH POEMS@DOKKYO」は、変化球?いま注目の若手女性歌人、野口あや子さんがご出演。


新年118日のランチタイムに、獨協大学でお会いしましょう。

2017年12月21日木曜日

師走、浦和の夜





 東洋大学大学院で教えた学生さんたちが、浦和に遊びにきてくれた。

 北浦和の埼玉県立美術館(美術評論家で詩人の建畠晢さんが館長に就任された)と、浦和のうらわ美術館をはしご。「兎」が狛犬の調(つき)神社でお参り、「金木書店」、「武蔵野書店」と古本屋めぐりをしながら、さいごは古民家風茶屋「楽風」(らふ)でお庭をながめて抹茶をすする。ぼくのおすすめコースをコンプリートした学生さんたちと、原稿を終えたぼくがおち逢ったのは、もう、暮れ刻だった。

 みなさん、修士論文はほぼかたちになっており、残すは提出と卒業との由。お祝いと忘年会をかねて、行きつけの軍鶏料理屋「田楽」さんに誘った。

 奮発して、ペリエ・ジュエの96年をボトルでもらう。「ベル・エポック」の銘にふさわしい、アール・ヌーヴォーの巨匠エミール・ガレの手になる絵付けが美事、きめ細やかな泡だちが特長のシャンパーニュ。

 まずは、乾杯。よく冷えた、シルクというか、羽毛のようになめらかなバブルが喉元をゆったり舞い降りてゆく。

 料理をいただきつつ、みなさんの修論の概要や卒業後の進路をきく。ブタペストから来日し、谷崎潤一郎で修論を書いたAnitaさんは、帰国するという。出版社での就職が内定しているとか。「国費留学生ですので、もっといい就職ができると思いましたけれど。ブタは、いま、とっても不況で。大学はむずかしい」とのこと。将来は、日本文学の翻訳家になることが夢だとか。

 そのアニタさんから、拙詩集『耳の笹舟』のハンガリー語訳を許可してほしいとのオファーをうけた。レポートにも書いてくれたし、空蓮房での個展にもきてくれたから、「All yours」とお応えした。

 店主の上甲学さんから「特別に」と、田楽スペシャリテ、絶品「軍鶏レバーの塊」をもらう。男性陣からは、歓声。アニタさんは、エレクトリック・ブルーの瞳を、ただただ丸く凍らせて、仰天したのだった。

 ガレが描いたアネモネのボトルは、「ください!」というアニタさんに、さしあげた。

2017年12月15日金曜日

韓国、大学路の夜


左から、金永卓さん、李慧美さん、ぼく、韓成禮さん


李慧美さんの著者近影とサイン


左から、金永卓さん、李慧美さんの最新詩集



 翌日の夜は、大学路で対談の収録があった。

 大学路は、もともとソウル大学があった通りで、いまも学生街の名残と活気がある。

 詩人で、ソウルで詩専門の出版社を経営する金永卓さんが司会。対談のお相手は、詩人の李慧美(イヘンミ)さん。通訳を、お馴染み、韓成禮(ハン・ソンレ)さんがかってでてくださった(今回も、写真はハンさん)。

 おきづきの方もいらっしゃるかもしれないが、イさんは、現代詩手帖12月年鑑号で、ぼくが論考のなかでふれた若手女性詩人だ。紙幅があれば、全行を引きたかったけれど。

 1980
年代生まれのイさんは、韓国の若い読者から支持を得ている。女優のごとき麗人だが、ご本人は純粋かついたって謙虚。ハンさんが訳してくださった詩をいくつか読んで、ぼくはその詩才が本物であることを確信した。けっして、ルックスに頼った詩人ではない。そんなことは、もちろん、論考にひいた彼女の詩行にふれていただければわかることだけれど。

 ご恵贈いただいた詩集の後書きにあるというので、ここに書いてしまってもいいと思う。イさんは、小学生期に、クラスメイトからいじめをうけていた。そのころのイさんは、砂の感触に惹かれて砂場で遊んでばかりいる、ちょっとかわった子で、ぽっちゃりしていて、勉強もスポーツも苦手だったとか。

 対談中、彼女は「いまでも、人間が怖いんです。じぶんのなかの恐怖をなんとかしたい、救いをもとめて詩を書いているところもあります」とも発言されていた。ふだんは教師をしており、スキューバダイビングが趣味というイさん。ご両親も詩人だそうで、文才にも容姿にもめぐまれているのに、いつもどこか孤独な表情を灯していた。

 とまれ、日本と韓国の文学やアートの動向、韓国の20代について、韓国で人気のあるジャパンアニメや日本の韓流現象、そして北朝鮮問題やグローバリズムなど、話題はつきなかった。

 キムさん、今回はぼくらを「羊肉串焼」のお店につれていってくださった。

 スパイス、というか、唐辛子でまっ赤におおわれた、ちょうど日本の焼き鳥よりすこしおおきい肉串を、じぶんで炭火のうえでくるくるまわしながら食す。でも、見た目ほどは辛くない。食欲を盛りたてるほどよい香ばしさで、ビールといっしょだと、食べる手がとまらなくなる。

 「これは、中国北方の朝鮮民族の料理、延辺料理。旨く、精がつき、しかも安い。大学路のソウルフードです。学生たちはこの羊肉串焼を一晩に四、五十本とたいらげながら議論に華を咲かせます」と、キムさん。

 ぼくらは河岸をかえて、さっぱりとした味つけが評判の韓国家庭料理の店に。いつしか、対談にはキムさんとハンさんもまざって、フォークナー、ボルヘス、河鐘五(ハ・ジョンオ)、呉圭原(オ・ギュウォン)といった文人詩人たちの話題でもりあがった。午前一時。店から遠慮がちに請われて外にでるまで、ぼくらは年齢も国境もこえ、ただ、ただ、文学好きの学生に舞いもどっていた。

 イさんは、千鳥足のキムさんと腕をくみささえ歩きながら、ぼくにそっと告げる。「わたしの詩集のタイトルは、英語だとout of violetという意味です」(イさんの詩集の表紙をごらんください)。

 スミレ色の夜から韓国の蝶たちが飛びたち、ネオンと闇の透き間へ、消えていってしまった。

 ハンさん、キムさん、イさん、こころから、お礼を。

 また、遊びにきます。