2020年2月24日月曜日

冬の酒器





南宋砧青磁盃


 ふと、書斎の窓から庭に目をやると、椿がまだのこっているのに紅白梅は満開。桃と河津桜まで咲きだしてしまった。ツツツッ、ツツツッという鳴声に、桜の枝をみれば、ホオジロまできていて。梅ヶ枝を、フランスの俊英、ダヴィット・ルーボーの白磁筒茶碗に投げ入れてみた(写真上)。

 年々、春がはやまる気がする。嗚呼。二月も半ばだというのに、そろそろ、冬の酒器を仕舞わなくてはならないのか。

 というわけで、いそぎ、冬の酒器をご紹介したい。
 
 話は、昨年、秋のこと。いまさらですが…学習院大学のオープンキャンパスにお招きいただき、トークと朗読をした(学習院大学のみなさま、その節は、ほんとうにお世話になりました)。ここ近年、学習院大学から連続してお招きにあずかっているのだが、なぜか、オープンキャンパスの開催日と良質で知られる骨董市「目白コレクション」がかさなってしまうという。ぼくは、講演後、珈琲を喫する間ももどかしく、キャンパスから勇んで市に駆けつける。

 その収穫が、この砧青磁盃(写真下)。海揚がりの品で、無地完器。一二〜一三世紀にかけてつくられた南宋の盃だという。近年、いきおいのある骨董雑誌「工芸 青花」で「高麗李朝展」が話題をよんだ、井上オリエンタルアートさんからおゆずりいただいた。随筆家で酒器好きとしても知られる青柳恵介氏が、井上さんに託したばかりの品だという。展示スペースには、同氏旧蔵、同価格の絵志野盃もあり、ぼくは、会場内を一時間もうろうろしながら懊悩したのだった。
結局、これまで縁のなかった青磁盃を、勉強のつもりでおわけいただく。店主さん曰、「水治療といって、毎朝七十回ほど濡巾で磨くと、より艶がでて肌がなめらかになってきます」。不思議なものだなあ。青磁盃で呑む晩は、酒を注ぐまえに、井戸水をふくませた袱紗で磨く。それをみた家人に、「また、いいこ、いいこ、してる」と呆れられながら。店主さんがおまけでつけてくださった「高麗李朝展」のパンフレットを矯めつ眇めつ青磁の奥深さに愕きつつ…。

今月末からの京都出張にも、この盃を、旅鞄にいれてゆくつもり。

2020年2月12日水曜日

浅草一文の夜





 浅草一文。いい、居酒屋だ。ぼくが、こちらのお店を知ったのは、二十代の後半。銀座の広告代理店に勤務していたとき、小説家の常盤新平さんと知遇をえたことがあり、「いつか、いってごらん」と、ご教示いただいたことがきっかけ。

 以来、おりにふれて、うかがっている。そういえば、作家の半村良氏の『小説 浅草案内』にも登場していたっけ。純江戸風の提灯と縄のれん、古町屋の居酒屋は、旨く安く、それでいて、人情のこもった接待があり、人生の荷物をおろしてこころやすらかに納得のゆくひとときがすごせる。華美な酒食はださないが、居酒屋は、それでいい。
 ぼくなどは、一文の、へのへのもへじの暖簾のかかった小上がりに落ち着いて、もろきゅう、名物の筋煮込み、魚のかま焼き、絶品の納豆オムレツで、清酒をぬる燗で三合ほど。それで、三千円いかない。それから、浅草ビューホテルちかくのバーBARLYへと、河岸をかえる。

 この夜は、アートディレクターの池田龍平氏、アメリカ現代詩研究の二宮豊氏と、呑んだ。来年のリリースを予定している、インターナショナル・ポエトリ・サイトのための顔合わせだった。
 二宮さんは、「PEDES」というポエトリ・マガジンを創刊準備中。その創刊号に寄せる詩の自筆原稿も手渡したのだった。

 サイトのほうも、すでに、サンフランシスコのジュディ・ハレスキ、ロンドンのアストリッド・アルベンといった、欧米でいま注目されている気鋭の詩人たちが参加を表明しており、まだ公表はできないが、スロヴェニア、韓国、中国からも、詩人たちが参加予定だ。日本側も、錚々たる詩人たちが集結中。

 写真は、一文名物、とろ鮪の葱間鍋。ねぎまは、焼き鳥、というイメージがあろう。が、もともとの江戸時代には、丸太に切った葱の間に具材がうかぶ鍋のことであった。江戸の味と情緒をのこす老舗なら、軍鶏、鴨、あんこう、河豚、湯豆腐の鍋は、おしなべてこの葱間である。また、葱間鍋から発展した神田ぼたんの鳥すき、駒形どぜうの丸鍋を鑑みても、醤油、酒、葱が江戸風の定形であることは、いわずもがなだろう。
 また、脂くさいとろは、江戸期には、猫またぎと蔑視されてい、棄てるべき部位だった。それを、もったいない一心で、葱間にして食したのが江戸庶民である。

 ちなみに、浅草一文では、現代の百円が一文。品書の値段は、すべて、文で、表記されてい、勘定も文でくる。たとえば、清酒は六文、とか。

 鍋の野菜はすべて江戸野菜、葱も目白葱だが、鮪は、店の刺身ではだせないとろだろう。そこが、かえって、いい。店のこだわりでもある。一文の魂、というわけ。
 とろは、一、二分だしにさらすと、脂の刺がぬけて、かえしになじんだやわらかい味になる。それを熱々の目白葱といただくと、江戸の冬にタイムスリップする感覚。ところで、落語なんかだと、鍋はむしろこの葱が主役であり、鮪や鴨はその脇役というかんじがする。粋というのは、不思議だなあ。

 文学やアートの話で盛り上がりながら、お銚子をつぎつぎと空けた。三時間後、バーリィさんへうつってからも、銀座菊水で買ったパルタガスを三人でくゆらせ、ドライマティーニを呑みながら、二時間ほど歓談。

 浅草の冬夜は更けゆくのだった。

2020年2月7日金曜日

Good By Pork Pie Hat for Waseda Univ.




横浜での連泊出張から帰宅すると、「石田さん、ブログは?」という催促メール 苦笑 また、郵便物のなかに、今年度の早稲田大学の講義「日本の詩、世界の詩」のテスト答案が送付されてきていたのだった。

テスト。人生において、もう、二度と、おめにかかりたくないもののひとつである。二日酔いには、ときどき、逢いたいが。それでも、ぼくは、毎年、採点がたのしみ。答案からは、学生さんたちがどう詩を読み、受けとめてくれたのか、その生の声が聴こえるから。

今年は、田村隆一の詩集『言葉のない世界』劈頭の詩「星野くんのヒント」を、出題した。それと、拙詩集『Asian Dream』と左右社WEB連載中の詩的紀行エッセイ「詩への旅」を、補助問題に。

どの答案も、若い感性と好奇心が横溢する、読み応えのあるものだった。回答は記述式で二百字程度。上記の三問から自由に選択して、記入してもらう。ところが、一問のみならず、二問、三問、答案をびっしり字でうめてくれた学生さんたちが、何人もいた。ぼくとしては、詩に「答」はないとおもっている。でも、テストだから、仕方ないのです。とまれ、ぼくの採点は、だいたいにおいてABしかつけない。教師としては甘々なのです。

早稲田大学のみなさん、おつかれさまでした。

「詩への旅」について回答してくれた学生さんのなかには、試験後の春の旅行について、詳細に旅程を書きこんでくれた答案が、いくつかあった 笑 たのしんできてくださいね。

さておき、本年度で、早稲田大学での講義は、諸事情あって終了となります。詩人の城戸朱理さんから引き継いで、五年間。学生さんたちは、昨年の横浜「ちぐさ」でのイベントにもきてくれたり(感想をありがとう)、ぼくは教鞭をとった(微力ながら)だけではなく、たくさんのことを学んだ。

 五年間、ありがとう。こころからお礼を申し上げます。

 写真は、最後の講義の帰りに、早稲田古書店街のディスクユニオンで購入した、ヒップで気鋭のトランペッター、アビシャイ・コーエン(同名の、これまたすごいベーシストがいる)のトリオ・アルバム。
なんと、ミスタ・コーエンのサイン入り!
収録曲から、チャールズ・ミンガスの名曲をカヴァーした「Good By Pork Pie Hat」(ライブ)を、早稲田の学生さんたちに捧げます。


See You Later Alligator!