2017年6月30日金曜日

空蓮房詩個展、イベント閉会











6/24土曜日の空蓮房詩個展イベント「あなたを未だ知らない」は、無事、閉幕。

お越しくださったみなさま、出演者のジュディ・ハレスキさん、北村宗介さん、鯨井謙太郒さん、奥定泰之さん、そして、すばらしい声明をご披露くださった谷口昌良さん、こころからお礼を申し上げます。

さまざまなお客さんにご来場いただきました。学生さん、出版関係の方も多く、詩人では、城戸朱理さん、渡辺めぐみさん、曉方ミセイさん、佐峰存さんらがおこしくださった。

このイベントの模様は、某文芸誌にレヴューが掲載されますので、ぼくは多くを語らないことにします。また、イベントのコンセプトについては、空蓮房公式ホームページでご覧ください。


今回のイベントは、二会場、同時開催方式。長応院と空蓮房のあいだに、白布で「白道」(びゃくどう)を敷き、観客の方々にはそのうえを裸足で歩いて二会場をゆききして、観覧いただいた。本堂では、ぼくとジュディの朗読と、北村さんのライブ書パフォーマンス。空蓮房では、鯨井さんが、ソロダンスを踊る。

写真家の小野田桂子さんがこのイベントを撮影してくださいました。後日、空蓮房公式ホームページに写真が掲載されると思います。本ブログの写真も、一番上だけぼくの撮影で、あとは小野田桂子さんの撮影です。

さらに、本イベントは、後日、映像でもお楽しみいただけます。映像作家の奥定正掌さんと、女性映画監督として注目をあびる横浜聡子さんが撮影。詳細は、追って、ご報告を。

写真、映像ともに、ぜひ、お楽しみに。

長応院本堂でのポエトリー・リーディング、日本語と英語がクロスする、ぼくとジュディのメニューは以下のとおり。

  1. Walk the Line
  2. 雪風
  3. Dark Matter, Pine Trees, Relativity, Room 205
  4. 耳鳴り
  5. Dark-Eyed Junko (A Bird Call)
  6. 雪わりのバラライカ
  7. 即興詩
  8. Out of the Gate(詩人・塚越祐佳さん訳「スタート・ライン」、ジャムセッション)

谷口さんの声明は、序曲が「四智讃」、終曲が「双盤念仏」でした。

北村宗介さんがライブ書で譜したのは、三筆、弘法大師空海の「灌頂記」。灌頂歴名ともいって、空海さんのいわゆる伝法灌頂に参賀した百五十名の名簿録。北村さんのライブ書は、凄まじい、の一言。北村さんがライブで書いたのは、正味、半時間ほど。そのあいだに、半切よりひとまわりおおきい和紙に、九枚、書かかれた。日頃から「灌頂記」を譜されていて、ほぼ暗譜していないと、写せないだろう。しかも、途中から、筆では速度が足りないと、紙をひねって紙縒(こより)にしたものに墨をつけ、書き継がれていた。

ぼくら本堂組は拝見できなかったのだけれど、鯨井さんのダンスもすばらしかった、との由。空蓮房内は茶室とおなじで、三畳くらい。だから、観客のみなさんは、鯨井さんの肉体とダンスをごくまぢかで観たことになる。観客のおひとりは、「鯨井さんの肌に汗が流れる様まで観れた」と、興奮されていた。

今回のイベントは、自分でいうのもなんだけれど、かなり即興性が高く、複雑な仕立てだった。それを可能にしたのは、出演者の方々のみならず、長応院はじめ、スタッフのみなさんと、応援にはいってくれた学生のみなさんの力がおおきい。イベントを、自分事とし力をおしまず、一丸となって動いてくださった。観客のおひとりは、「お盆やお祭りのような雰囲気で、おもしろくて、なつかしかった」とおっしゃっていた。これは、じつに、空蓮房的な出来事だった。

伝統的な祭事も、イベントも、縁の下の力もちがいないとはじまらない。しかも、それは、資本主義的な利害関係の外でおこる出来事。文学、アートのみならず、暮らしにおける既成の境界やエリアをこえでて、人と人、時間と土地、他力と縁がむすばれながら、新しい世界を創る。これも、本イベントの、想定外の収穫のひとつでした。

終演後は、ちかくの居酒屋「駒忠」で盛大に打ち上げ。北村さんが、写した「灌頂記」を、その場で一枚一枚プレゼントしてくださる。紙縒で書いた空海さんは、鯨井さんのものに。その席で、原先生がイベントを「ジャンルや言語をこえて、ポエジーがすべてをむすんでいた」と評してくださった。

城戸朱理さんはじめ十名ほどで、二次会は浅草の名バー「バーリィ」さんへ。


アメリカの詩、日本の詩。まだまだ、詩話がはずむ。ぼくは言葉の花束を抱いて、終電で帰宅したのでした。

2017年6月19日月曜日

空蓮房詩個展、鯨井謙太郒さんのこと




20152月に神楽坂で開催された公演『毒と劔』を観て以来、鯨井さんは、ずっと気になるオイリュトミストであり、ダンサーだった。6/24のイベントでは、展示のある空蓮房のなかで、鯨井さんが踊ってくださる。本番を数日後にひかえたいまも、実感がわかない。

吉岡実氏、野村喜和夫さん、城戸朱理さんをはじめ、舞踏やオイリュトミーと詩が、身体と言葉の境界線をともにダンスする、させる行為について、ぼくは遠い憧れをいだくだけだった。その方法も、きっかけも、なかなか目のまえに醸成してこなかった。

個展のお話をいだだき、酒場で独り自身の詩や「個」について考えをめぐらすと、なぜか、鯨井さんの姿がうかんできてしまうのだった。準備もなにも、文字どおり手ぶらだったが、伝手をたどり鯨井さんに相談してみることにした。

ぼくらは、ほとんど言葉を交わしたことがないのに、鯨井さんは共同制作を快諾してくださった。

そして、晩春。鯨井さんと空蓮房に出向く。まず、泥鰌と鯨料理「駒形どぜう本店」でまちあわせ。サングラスをかけ、頂頭で長髪を団子にした長身の踊り手があらわれる。昼から乾杯しながらご挨拶。鯉の洗いやどぜう鍋をつつき、鯨井さんの故郷の仙台や幼少期のころのお話に耳をかたむける。仙台市育ちの鯨井さんは、鯉や泥鰌といった川魚はほとんど食したことがないらしい。それから、なぜか、子どものころの遊び話-どんな犬を飼っていたか、どんな虫や草をとり、木の実を食べ、ガラス玉や貝殻をひろい、どんな鳥の声を聴いて育ったか−に夢中。仕事の話はせずに。ビールと酒が数本空いたころ、西脇順三郎や吉岡実、池波正太郎の影をもとめて浅草の路地をそぞろ歩く。ぼくは、吉岡実後期の詩「夏の宴」を耳によびおこしていた。

谷口昌良さんをまじえて空蓮房で打ち合わせ。鯨井さんは、展示のある空蓮房、その純白の繭のなかでぜひ踊りたいとおっしゃった。

その後、蕎麦呑みを好むという鯨井さんの言葉にうれしくなり、「並木藪蕎麦」へと。めずらしく閑として、すぐに混みはじめたけれど、海老天ぷら、天ぬき、蕎麦味噌を肴に、一杯。菊正宗樽酒をぬる燗にしてもらい、お銚子を二本、また二本とあけてゆく。現代詩はもとより、アルトー、白秋、三島、折口、柳田、ユング、海外文学の話がはずむ。詩集を上梓したこともある鯨井さんは、読書家。そうした対話のなかで、ふと、鯨井さんは、詩や言葉がダンスやオイリュトミーへと生成する瞬間を感覚的に語りはじめる。詩人として、貴重なお話を聴かせていただいた、贅沢な時間だった。

つぎの仕事に向かうぼくは、浅草線の車内で、鯨井さんと別れる。

こんどは鯨井さんにあれを訊こう、これをもっと話そう、と思うのだが、六時間もご一緒させていただいたのに、ぼくは鯨井さんのプライヴェートについて、なにも知らないことに気づいた。車窓をふりかえると、サングラスをかけた鯨井さんが、もうどこか他者のように遠ざかってゆく。


彼がつかまえた蜻蛉の目玉の色、ちいさな足でかけぬけた谷道。ある子どものもつ記憶の肌触りのほかは。