2017年4月23日日曜日

「哀悼ー生きうるための言葉を求めて」無事閉会





去る四月十五日、日曜日。東陽町の「アートスペース  Kiten」にて、朗読とトーク「哀悼ー生きうるための言葉を求めて」が開催。三時間にもおよぶ、熱気あふれるイベントになった。ぼくにとっても充実した、新たな出逢いをもたらしてくれた会。ご来場くださり、時間を共有してくださったみなさまに、お礼を申し上げます。

イベントの企画者であり、コーディネーターでもある詩人・俳人・批評家の生野毅さんは哀悼でありながら鬼気迫る朗読をされた。伴奏者の入澤明夫さんは、三器のオカリナをつかいこなして、ほとんど初見で詩と即興演奏する。本イベントの縁起ともなった、後藤健二氏と湯川遥菜氏にささげられた詩篇「哀悼」を書かれた添田馨さんも、「初朗読」とは思えない、巧みな、じつに堂々としたリーディングで聴衆を魅了していた。会場には、詩人批評家の近藤洋太さん、渡辺めぐみさん、現代思想や表象文化論の論者・宗近真一郎さん、トランス・ジェンダーアーティスト/パフォーマーの坂本美蘭さんの姿もある。

本イベントの模様は映像作家の安東順健さんの手で撮影されており、ゆくゆくはDVD化され、YouTubeなどでもアップされていく予定だとか。よって、本ブログの写真も、冒頭の入澤明夫さんのリハ光景と、文末の大宮での打ち合わせ時のスナップのみです。むかって右列の手前から添田さん、生野さん、安藤さん。左列手前から、入澤さん、ぼく。
饗宴のみなさんにも、あらためて、お礼を。





見沼の桜回廊


みなさんは、ことし、どんなお花見をされたでしょう。ぼくは、例年どおり、見沼の「桜回廊」を彷徨していました。

花見なのに、彷徨、という言葉づかいは適さないと思われる方もいるかも。でも、ぼくの住んでいる見沼の桜並木は、ほんとうに、長い。元来、東京湾とも接した昔の見沼は遠浅の海。地名にも「東縁(岸)」、「西縁(岸)」がある。その、かつての海、いまは広い広い農業保護区を囲繞する東縁から西縁にかけて、断続的に桜並木が植樹されているのだ。全長、なんと約二〇・二キロメートル。桜並木がぜんぶつながれば、青森県岩木山の桜並木をぬいて日本一の長さになるという。

個人的には、見沼の桜は日本一などにはならずに、知る人ぞ知る静穏な桜の名所であってほしい。








延々尽きせぬこの桜のしたを、ぼくは毎年、七、八キロだけ漂流する。胡坐で花見酒、はしない。スキットルにシングルモルトをいれて、歩きながら、ちびり、ちびり。今年は花冷えの春日がつづき、永く花が保った。そんな年は桜もゆっくりと散華するので、道が花びらいっぱいにちり敷かれ、桜の雪景色のようになる。

枝には、桜の小鳥、キビタキ(黄鶲)がきて、かまびすしく鳴きかわし、冬鳥のヒヨドリと陣取合戦にあけくれている。キツツキも幹をドラミングして。さわがしいせいか、めずらしくコダカが空で旋回していた。タンポポ、レンギョウ、ゴマノハグサ、モクレン、セイヨウナノハナ、ドウダンツツジもいっせいに咲いて。

そして、とうとう、桜の花も本格的にちりはじめた、ある朝。見沼代用水沿いを散歩していたら、お腹のおおきな鴨が、フェンスにとまったまま威風堂々、わがもの顔でがあがあ鳴いている。龍神や女神伝説の風光が、かろうじていまものこる、見沼。いつまでも、のどかで、平和でいてほしい。

桜さん、ことしもありがとう。また来年、お会いできますように。




2017年4月6日木曜日

さくら、さくーイベントの告知も


とうとう、庭の枝垂れ桜が満開に。雪だみぞれだと、寒い日がつづいたから、春、の実感が湧かなかったけれど。陽がぬるみだしたとたん、薄紅に滝のごとく咲きこぼれた。

これはもう、花見酒、しなきゃ。そんな、逸る気持ちをおさえつつ、まずは春の到来を、純粋に寿ぎたく。


かくして、ぼくの机上に、風に飛ばされてきた桜の花びらの色をした、ちいさな詩集がとどく。菊井朋氏の第一詩集『耳の生存』(七月堂)。無論、拙詩集とは別個の長篇詩、別の「音」にみちびかれ書かれた詩集で、とても不思議なざわめきをつつみこんだ言葉たちだ。


「数えることのできないほどの
大勢の耳たちが
いちもくさんに駆け出す
やわらかに震える耳朶を白く輝かせ
とても幸せそうだ(あれはなんという花だろう)

窓が待っている 駆け出す耳の周りでチラチラと
塵が金色に輝き いのちのウネリを見せ始め
蜂蜜のように甘く香る 降るのは
針のような雨
夕焼けが町を染め
影絵のように
わたしのこころは立ち尽くす
やがて虹がかかるのだ
このひらかれた幸福に」


「このひらかれた幸福に」、そう、春のとば口に咲く生命のあいまに、死者や、潮騒や、見えないものたちが擦過して、あえかな音を遺して去来する。その「音」の源は、詩集に差しはさまれた、村上昭夫の詩「雪」(『動物哀歌』)にもあるみたいだ。だれにも聴こえないはずの音楽を、彼岸と此岸を吹き抜ける風電話のように詩がうたう。



さて、ぼくがロンドンから日本に帰国した直後の三月二十二日。イナー・ロンドンにある国会議事堂のちかくで、イスラム主義に影響をうけたとされる男によりテロ事件がひきおこされた。その数日前に、ぼくも詩人や編集者たちとともに、テロの犯行現場から目と鼻の先のウェストミンスター寺院やビッグベンを観光したばかりだった。この場をかりて、哀悼の意をささげます。

I wish to express my deepest condolences to those who lost loved ones by the terrorist acts and attacks on March 22nd, and also to express my sympathy  to all who in London.

そして、きたる四月十五日土曜日。東京の東陽町にある「アートスペース.kiten」にて、まさに「哀悼ー生きうるための言葉を求めて」が、開催。詩人・俳人・批評家の生野毅さんの企画で、詩人の添田馨さん、音楽家の入澤明夫さん、それからぼくも出演します。

二〇一四年八月に、イスラム過激派組織「ISL」にシリアで拘束されたと見られる湯川遥菜さんと、ジャーナリストの後藤健二さんが、翌十五年二月に、同組織により殺害されてしまった事件は記憶にあたらしい。添田さんは、このテロ事件を背景に詩篇「哀悼」を発表された。この詩に感銘をうけた生野さんが、何重にもアポリア(難問)をはらんだこの事件を、詩の哀悼の言葉から問いかえしたいという。さすがは、生野さん。じつにジャープな企画で、ぼく自身、とても挑みがいのあるイベントと感じていて、いまから愉しみ。ぜひ、ご来場ください。