2017年11月30日木曜日

平昌 韓中日詩人祭2017、詩が流れるアリランコンサート





キム・ナンジョ先生







嘯嘯さん






杉本真維子さん



石田瑞穂


9月15日。午前中は、韓国、中国、日本の詩人たちがおなじテーブルをかこんで議論する「学術セミナー“平和、環境、癒し”」が、アルペンシアコンベンションセンターで開催。午後が、前回書いた、詩人たちが各サテライト会場にわかれて参加した「詩朗誦コンサート」。写真はすべて、ご存知、われらがコーディネーターにして脩美なる韓国女性詩人、韓成禮(ハン・ソンレ)さんのご提供。多謝。

そして、夕食後に開催されたのが、本フェスティバルの目玉というべき「詩が流れるアリランコンサート」。会場は、アルペンシアリゾートコンサートホール。約600シートが埋まった。

各国二名ずつの詩人と、クラッシクの声楽家、韓国民族音楽・民謡の歌い手たち、韓国でもよくテレビ出演しているという人気バンド「ジプシー・キャラバン」が出演。国際的に活躍している韓国の無国籍音楽合奏団「デトックス・チャンバー・オーケストラ」の伴奏をバックに、ひとつのステージを織りあげてゆくというコンサートだった。とても贅沢。

トップバッターは、韓国詩界のエミリー・ディキンソンともいうべき、キム・ナンジョ先生。ぼくは、先生の日本語訳詩集『神のランプ』(花神社)を、偶然、神保町の古書店で入手して以来、ずっとキム・ナンジョさんの秘かな愛読者だった。今回のフェスティバルで、ご本人と邂逅できるなどとは夢にも思わず、朗読まで聴けるとは。

日本側の詩人は、杉本真維子さんとぼくが出演。コーディネーターのハンさんから、「ちゃんとした服装できてくださいね」と念をおされていた。杉本さんは、フォーマルドレスで登場。ぼくは、空蓮房個展イベントでも着ていたポール・スミスのビスポーク・スーツ。

「アリラン」とは、古くから伝わる韓国民謡のこと。なかでも、もっとも知られ、愛されている江原道(カンウォンド)「旌善(チョンソン)アリラン」、慶南(キョンナム)「密陽(ミリャン)アリラン」、湖南(ホナム)「珍島(チンド)アリラン」が、韓国の声楽家と民謡歌手のすばらしい歌声にのって、韓中日の詩人たちの言葉と声に編みあわさっていった。

このとき読まれた詩は、リアルタイムで原語と韓国語訳がスクリーンに表示される。中国と日本の現代詩は、はたして、アリランにマッチしたのか? ぼくには、すばらしい音の織物にきこえた。異邦の現代詩は、意味を剥がれ、声と音だけになったことが、かえってさいわいしたのだ。どの朗読もすごくよかったけれど、印象的だったのは、中国の同世代の詩人、日本でも知られる嘯嘯(シャオ・シャオ)。彼女は舞台のうえで瞑想し、ヨーガのような動作をしてから、やおら舞いはじめた。それから、朗読にはいってゆく。中国の、とくに若手の現代詩人たちの朗読は、とてもエンターテイン。まじめに文学する、だけではダメ、観客をしっかり楽しませよう、という意識がつよいみたいだ。そんな懐の深さが中国の詩人らしい。

9月16日。フェスティバル最終日の午前は、開会式のおこなわれたコンベンションセンター・ホールにて、「フォーラム“平和、環境、癒し”」。15日の議論をもとに、本フェスティバルのテーマを成果にまとめ、公式発表した。それから、韓国全国の小中高生を対象にした「詩創作公募展授賞式」。そして、韓中日のすべての詩人たちが各国の平和と友好を祈念する「詩人の日 宣言式」および閉会式が執り行われた。日本を代表して宣言に署名したのは、詩人・石川逸子氏。拍手喝采して、記念撮影。

が、これで終わりではなかった。

一行は、平昌から一路、韓国北朝鮮国境地帯、通称DMZへとむかう。バスで片道五時間の道のり。夕刻、国境そばの臨津閣に到着し、そこでもイベントが開催された。日本側の出演詩人は、天童大人さん。マイクをいっさい使用しない、肉声だけでの詩朗読を長年追求されてきた詩人だ。さすがに、鍛えあげられた声で、朗々と、堂々と朗読される。咆哮というより、声の大砲といった、フェスティバルをしめくくるにふさわしい朗読だった。


さきに書いたように、DMZにはテーマパークがあって、週末ということもあり、大勢の家族連れや観光客でにぎわっていた。トランプ米大統領が北朝鮮にたいしチキンレースのごとき稚拙で圧迫的な外交をくりかえし、安倍晋三もお追蹤して、国際関係の緊張がたかまっていたのだが。その日の韓国の人々の幸福な笑顔は、民族分断を二度とさせてはならないという、おなじ朝鮮民族への信頼と平和を祈念する明るみに、ぼくには、映った。

2017年11月29日水曜日

平昌 韓中日詩人祭2017、韓国の「朗読家」たち




飛田圭吾氏


萩原健次郎氏


江原道詩朗読同好会のみなさん

またもや、ご無沙汰してしまっています。


さて、これから、何回かにわたり、ずっと書けなかった韓国・平昌への旅について書いてゆきたいと思います。

でも、いきなりですが、この国際詩人祭については他紙にレポートが掲載されることになり、あまりつまびらかには書けません。

前回までの記事は、926日からのバックナンバーを、ぜひ、ごらんください。



915日。平昌での出演を終えると、ぼくらはそれぞれグループ別にサテライト会場にむかった(写真はすべて、韓成禮さんの撮影)。

ぼくらが到着したのは、江陵文化院。韓国の地元詩人協会の方々と日本、中国の詩人たちが交代に朗読する。

ぼくは、この日はお休みで観戦。

日本からは詩集『折れ曲がった大地』を上梓したばかりの若い詩人、飛田圭吾さんが朗読する。飛田氏はこの日から、韓国に滞在。前回、韓国をおとずれた飛田さんはその魅力にひかれ、フェスティバルが終了したあとも、ソウルで仕事を得て、詩を書き、暮らすのだとか。これから、日本を飛びだして詩人になろうとする若者が、増えるような気もする。彼の書く詩も、おのずと、生にたいして切実な感覚を刻んでゆく。飛田さん、がんばって。

京都からは、萩原健次郎さんが朗読。ぼくが大学生だった90年代前半、神田の古書店で、詩集『K市民』を手にいれ、愛読していたことがあった。以来、すばらしき同人詩誌「紙子」を羨望し、つかずはなれず、読んできた。その詩人と、今回のフェスティバルではじめてお逢いできて、うれしい。朗読も、やわらかい関西弁だが、マイクのリッキング(ぺろぺろ舐めるふり)など、ひとくせもふたくせもあるユニークなパフォーマンスだった。

おもしろかったのは、江原道地域の「朗読家」同好会メンバーの朗読。韓国では、詩が、歴史的に継承され、日常的に愛されている。日本にいらっしゃるかどうかわからないのだけれど、韓国の朗読家たちは、いわゆる名詩を音楽にのせて、いかにじょうずに暗唱できるかを追求する。

その暗唱は、ソロのみならず、一篇の詩をまるでコラールのように複数の朗読家さんたちが詠い、一連ごとにリレーして暗唱をつないでゆく輪読パフォーマンスもあった。そんな朗読家の協会が地方にはたくさんあって、競技大会もあるのだそう。日本の詩人、いや、世界の詩人たちの羨望の吐息がきこる。ぼくらをガイドしてくれた韓国の女性詩人・韓成禮(ハン・ソンレ)さんいわく、「詩人自身の朗読よりずっとじょうず。優秀な朗読家の声には、みんな、涙する」とか。


ああ!いろいろ、書いちゃった 笑 きょうは、ここまでにします

2017年11月22日水曜日

LUNCH POEMES@DOKKYO vol.10





〆切におわれ、風邪をひいたりと、ブログの更新がまたおろそかになってしまいました。

先週の木曜日、11/16に、記念すべき第10回「LUNCH POEMES@DOKKYO」が、好評のうちに閉幕。今回のゲストは、詩のみならず、児童書『ごはんはおいしい』(写真:鈴木理策、福音書館)を刊行されたばかりの詩人、ぱくきょんみさん。翻訳、絵本、エッセイとジャンルを越境し多彩に活躍されている。

第一詩集『すうぷ』から、『その子』、『ねこがねこ子をくわえてやってくる』、最新詩集『何処何様如何草子』まで、たっぷり朗読してくださった。

ぱくさんの詩は、一見、ひらがなの多い、平易な日本語で書かれている。でも、その詩の言葉をよく味わうと、日本語そのものが、じつは多言語性へとひらかれており、他者と他世界との複雑な翻訳関係を内包していることに気づかせてくれる。その詩風の源には、在日韓国朝鮮人二世という、ぱくさんご自身のバックボーンがあるのかもしれない。ぱくさんの洗練されたモダン、実験的な詩を、ぼくは好んできたのだけれど、今回の朗読とお話からべつの姿も見えてきた。

1、ぱくさんの詩には、食べること(食物・食事・料理)がよく登場する。どうしてかな、と思っていた。お話の冒頭で、ぱくさんが詩に興味をもたれたのは、ラジオできいた詩人・石垣りんの朗読がきっかけだったという。ぱくさんといえば、ご自身も翻訳された、実験的な詩風で知られるアメリカの女性詩人ガートルード・スタインというイメージがあったから、これは、意外。

2、死への興味。東電OL殺害事件をはじめ、社会的事件をからめながら、殺人事件について詩を書くこともある、ぱくさん。もともとミステリやホラー、犯罪学の本も大好きなのだとか。これも、意外。とはいえ、ぱくさんは社会にたいしつよい関心をおもちだし、死への関心も、国や言語のみならず、あの世とこの世の境にあらがいがたく魅かれているからかも。

3、シネフィル(映画狂)を自覚されていて、いまもたくさん映画を観られている。最近、出色の作だったのは、M・ナイト・シャマラン監督の『スプリット』。これも、怖い系ですね。イベント後の昼食会で、学生さんと『ブレードランナー 2049』について論争する場面もあった。詩を書くときも、映画、映像を意識するとか。

幻の母国、韓国を書く連作詩「ハングゲ」(韓国へ、という意味)も朗読してくださる。ぱくさんのお話からも、近年の詩は、時間や記憶をモティーフにした作品がおおいようだ。

後日、ぱくさんが、本番では使用できなかった石垣りんの朗読を送ってくださる。ぼくは、ぱくさんの声を思いうかべながら、石垣りんの朗読に聴きいった。

ぱくさんの朗読は、詩の言葉の喉元から咲きだすような朗読だった。言葉の陰影と味わいが深まってゆくような、とてもいい詩人の声だった。

ぱくきょんみさん、ありがとうございました!

次回12/21開催の「LUNCH POEMES@DOKKYO vol.11」は、詩人のヤリタミサコさんをゲストにおむかえする予定です。ことし九月に他界された詩人、藤富保男さんとの思い出や、長年の交流についても語っていただく予定です。

ぜひ、お楽しみに。