2018年10月26日金曜日

秋の箱根にて






昨秋、箱根にオープンしたばかりのKホテルに取材仕事で投宿した。二万平米の森にひっそりたたずむリゾートホテルは、全室十四室。すべての部屋に十和田石の湯舟の浴槽がついている。アートディレクターの池田龍平さん、写真家の砺波周平さん、アシスタントの阿部さんとのお仕事。

箱根湯本駅から強羅駅まで、箱根登山鉄道でガタン、ゴトン、紅葉トンネルの内側を低速で走り、紅い大涌谷に架かる眼鏡橋をしたにゆっくり登ってゆく。一輌しかない、オレンジ色のちいさな車躯の登山鉄道とは、小学生のとき以来の再会。途中、二回の「スイッチバック」がある。バックしながらでも着実に登ってゆく移動の感覚が懐くしく、愛おしい。

取材初日の夜は、ロアール地方の星付レストランで十年修行したシェフのつくるディナーをいただく。柿の葉につつまれ、葉をひらけばそこに秋の吹寄せがあるという趣向の、真鴨のフォアグラ西京焼き。あえてワイングラスでいただくシャンピニオンのコンソメスープなど、お料理はどれも素晴らしかった。
深夜はバーで、携行したフランス渡の十九世紀末ショットグラスに、信州マルス蒸留所のモルトウィスキーを注いでいただく。

取材二日目の暁方。コマドリたちの歌声を聴きながら、部屋のウッドテラスに備え付けの温泉にはいる。名高い箱根仙谷の湯は、絹のようになめらかな鉱泉。曙光が、明星岳の山の端と空に浮かぶ雲を紅く染めあげて。ブナやコナラの樹冠が透明な光をかきまぜてそよぐ。
箱根の二日間のすべてが、なんだか、秋の産んだ幻のようだった。

2018年10月17日水曜日

「いばらき詩祭2018」




塚本敏雄氏


右:石田瑞穂 左:村岡佑樹氏

去る10/13。つくばエクスプレスのつくば駅ちかくで開催された、「いばらき詩祭2018」に出かけた。目路いっぱい広がる黄に色づいた田畑と、青空を背になだらかな筑波の山なみ。こころも車窓におおきく広がるよう。

改札口で出迎えてくださったのは、詩祭ディレクターの詩人塚本敏雄さん。主催の茨城詩人会の方々とのご挨拶もそこそこに、「朗読について」というタイトルで、塚本さんとぼくが前座トーク。
いま、「前座」と書いたけれど、この詩祭の特色は、つづいてのオープンマイク朗読がメイン、ということ。前々回に書いた、「ポエマホリックカフェ」の伝統でもある。近現代詩を永く担ってきた伝統ある詩誌「白亜紀」や「青い花」同人、茨城詩人たちのみならず、県内外からエントリーした一般客もおおい。二十二名の参加者たちが、二時間におよんで朗読された。
朗読の順番は、その場でのくじ引き。このチャンス・オペレーションなら、参加者だれしもが途中退席もせずに、緊張感をもって他者の朗読に聴き入るだろう。どの詩も、声も、いばらきや筑波の風光、土の香、時間を詩行にたわわに稔らせていて、最初から最後まで聴きいってしまった。

ラストは、塚本敏雄さんの朗読。パワーポイントを用いつつの新しい試みで、ぼくは、初めて聴いた。スクリーン上で写真と詩の言葉がわかりやすくプレゼンテーションされており、たしかに、聴きやすい。それでいて、不思議と、塚本さんワールドがひろがるのだから。身近に共創しうるミュージシャンやアーティストをもたない詩人にとってPCは、興味深い可能性だろう。
つづいては、ぼくとロックバンドAramのベーシスト、村岡佑樹さんとのデュオ。今回、村岡さんが奏でるアクースティックギターとぼくの朗読は、アンプラグドで挑んだ。その形態が決定したのもイベント一日前で、朗読のための詩作品が決まったのは、当日その場という 笑 あえて、極度に即興性を高めてみた?わけだけれど、村岡さんにはいい迷惑だったかも。

それにしても、茨城詩人の方々の温かいおもてなしとホスピタリティには、感じ入ってしまった。手ずからご用意してくださった昼弁当に夕餉のお魚。署名入り詩集もお求めいただけた。めずらしく詩祭に同行した妻は、オープンマイクを聴いて、「こころと言葉を失くしたような人がおおいのに、詩をつうじて自分の言葉を保ちもとうという方々に出逢えてよかった」といっていた。
たしかに、情報速度は飛躍的にあがりはしたものの、自分の体と声で言葉を保持し、他者と隣席しようとする身体性は薄まりつつあるのかもしれない。その意味で、オープンマイクは、詩人よりもだれよりも、そうした身体性と他者との出逢いを回復しさきへうながす、創造の十字路なのかもしれない。

茨城詩人会や詩祭で出逢ったみなさま、硲杏子会長、高山利三郎さん、司会の関和代さんと柴原利継さん、そして、塚本敏雄さん。こころから、ありがとうございました。

2018年10月12日金曜日

踊り手 レンカさんと


Photo by 大洞博靖氏


きたる12月。開催日は未定だけれど、東京は板橋宿本町ちかくのギャラリー「ダンジョン」で、詩と美術のコラボレーション展が開催される予定です。ダンジョンを主催する映像作家の安藤順健さんと詩人・評論家の生野毅さんがタッグを組んでディレクションをする。
ぼくは、展示はしないのだけれど、今年8月にワタリウム美術館で共演したバンドAramのベーシスト・村岡佑樹さんと、今回、初共演となる踊り手のレンカさんとで、ポエトリー・リーディングに挑みます。さらに、Aramからもうお一方、出演予定。

さて、9/27、「開座・森下アトリエ公演 夜たらし」にてレンカさんが踊るという。安藤さん、生野さんとともにうかがった。共演は、岡庭秀之(舞)さんと金子雄生(トランペット・民族楽器)各氏。場所は、墨田区のとあるマンションの一室。でも室内は、古畳と木箱が雑然と置かれた、大正期の芝居小屋の雰囲気。金子さんがダークでフリーなフレーズのあいまに、映画「死刑台のエレベーター」のあのメロディーを引用し、白髭で着物姿の舞手、であるはずの岡庭さんが即興で古典落語をぶつ。そのテクスチャーの表裏で、レンカさんが、舞った。

今回のレンカさんの「舞」は、あまり激しく大振な動きはせずに、たたずみ、ゆれ、顔と指先と肉体と白い肌が見せる表情のうつろいで、言葉にならないなにかを、うったえかけてくる。岡庭さんの艶っぽい落語の近傍、白熱灯をもちいた「変顔」芸で、子どものように遊びまわりながら。
その動きは、とてもシンプルだ。両腕を肩まで水平にゆっくりとあげ、ライトの光を指先で散らしながら、祈りスレスレに、ゆっくりと体の正面であわせるだけで、他界のようなゾーンを降ろしてしまう。そして、その動作は肉体のエロティシズムを放散しつつ、人形の冷たい自動性もおびている。光のなかで、儚げにゆれる、乾いたエロスを。
レンカさんは、自身の身体を、ダンスと呼んだり、舞踏と呼んだりするのを好まないみたいだ。さるダンス・カンパニーで学んだ彼女の「踊り」は、いまはどのスクールにも属していない。ただただ、惹きこまれ、ずっと観ていたくなる素直な美しさと深さを宿している。
夜には、予告なく新宿の路上にでて、見ず知らずのミュージシャンやパフォーマーたちと一期一会のセッションを愉しむという、レンカさん。Aramのみならず、そんなフリーな肉体とアーティストシップをもつ踊り手と、これから、一夜の夢をみることができるなんて。とても、光栄で、たのしみ。

(レンカさんについては、公式ツイッターhttps://twitter.com/qurioneをぜひチェックしてください)

2018年10月5日金曜日

「いばらき詩祭2018」に出演



来週10/13土曜日、つくば市の詩人、塚本敏雄さんのお誘いで、「いばらき詩祭2018」(主催:茨城県詩人協会)に出演します。詳細は、下記リンク先、つくば市の公式ホームページをごらんください。


最初に、塚本敏雄さんとぼくとで、詩の朗読についてのトーク。つづいて、オープンマイク、最後は塚本敏雄さん、ぼくによる朗読、という構成。

朗読では、この秋、某メジャー・レーベルから新譜をリリースする、ご存知、Ukiyo Girlのベーシスト・村岡佑樹さんとデュオします。Ukiyo Girlは、アルバムリリースにともないAram(アラム)と改名して活動してゆくそう。

トークにあたり、塚本敏雄さんから、「事前に詩の朗読について意見交換しましょう」というメールをいただく。数日後、塚本さんから、2000年から五年間にわたって継続した、オープンマイク朗読イベント/マガジン企画「ポエマホリックカフェ」の記録単行本と冊子をお送りいただいた。ミュージシャン・詩人の友部正人氏や、ぼくも愛読する詩人の田口犬男さんも参加されたプロジェクト。一周年記念アンソロジー『ポエマホリックカフェ アニュアル』には、塚本さんの詩「『山月記』論」が収録されていた。

すべてのものは彼方からやってきて
果てしなく ぼくたちの体にぶつかる

ぼくも、詩の朗読についての想いをしたためて投函する。一時間で、満寿屋のB5版原稿用紙に三枚。お手紙というより、なんだか、エッセイになっちゃったけれど。朗読イベントと、考え、書くことが結ばれて、豊かなひとときだった。当日も、たのしみ。

 ぜひ、お越しください。