2021年4月24日土曜日

春の「目白コレクション」へ

 






 今春も、恒例の学習院大学でのイベントはハイブリッドで開催。打ち上げもないので、終了後は、キャンパスからほどちかいデサントビルへ。

 

 東京を中心に日本全国から旬の骨董屋さんが出店する、おまちかね、「目白コレクション」が開催されているのだった。なぜか、メジコレの開催日が、学習院のオープンキャンパスといつもかぶるのである。

 

 骨董界注目の催しなので、お客さんは、例年どおりの盛況ぶり。けだし、出展者が、いささか寂しい。新潟のベテラン「花地蔵」さん、岐阜の俊英「アンティーク21」も、今回は、欠席。もちろん、新型コロナのためだろう。

 

 そんななか、酒器は、「利菴アーツ」が李朝前期の本歌を列べて頑張っていたかな。あと、魯山人の染付木葉皿に桃山の無地唐津片口と李朝前期粉引盃の優品をあわせた「奈々八」も秀逸だった。けだし、ぼくには、とても手が届かない値付だったけれど。会場を愉しく逍遥するも、酒器は、前回ほど目星いものがない。

 

 かわりに、今回は、食器をさがした。すると、掘り出し物が。

 

 ぼくの収穫は、明末清初の古染付皿。意匠は唐子(からこ)で、とても可愛らしい。伊万里では実現できなかった、くきやかなブルー&ホワイトで、ゆるやかにたわんだ造形が魅力。おおらかな線で描かれた、唐時代の子どもたちが凧を揚げて遊ぶ図は、逍遥遊、という言葉がぴったりだ。

唐子絵は古染付のなかでも人気があり、稀少な品。無傷、ニュウすらなく、コンディションが大変よろしいとなれば、なおさらだろう。

 

 意気揚々と湘南新宿ラインのグリーン車にのり、缶ビールで祝杯。帰宅後は、作り置いたぼくの手製テリーヌを古染付皿にのせ、早めの晩酌。徳利は鶏龍山窯柳絮紋徳利。盃は分院里の白磁耳盃。

2021年4月18日日曜日

左右社WEB連載「詩への旅」第15回が掲載

 



 すこし、掲載が遅くなってしまった「詩への旅」が掲載されました。おかげさまで、今回で15回目。読者のみなさまと、担当編集者のTさんに、お礼を。

 

 http://sayusha.com/webcontents/c21/pわが心深き底あり──西田幾多郎の哲学の道

 

 今回は、哲学者西田幾多郎の〝歌〟をおって、京都東山の通称「哲学の道」を歩く旅。

 

ほんとうは、三月中に掲載のはずが、諸事情あって、いまになってしまいました。

 

 コロナの影響で、京都にゆきたくても、ゆけない方も、すこしでも京旅気分を味わっていただければ幸いです。

 

 ぜひ、ご一読ください。

2021年4月11日日曜日

東日本大震災十周年への

 

 

 東日本大震災十周年を記念して、岩手県北上市にある日本を代表する文学館「日本現代詩歌文学館」からアンソロジー『あの日から、明日へ 大震災と詩歌』が刊行された。

 

 三百ページちかい大部の本で、東北地方を中心に、現代を代表する詩人、俳人、歌人、川柳作家による東日本大震災への詩的応答がこころみられている。

 

 ぼくの詩は、左右社WEBで連載された連詩「見えない波α」から「#47」が暁方ミセイさんの「#46」につづくかたちで掲載。こうしたアンソロジーにおいて、個人作品ではなく、連詩のかたちで掲載をいただくことは極めて稀だとおもう。その意味でも、編集委員の皆様には記して感謝したい。もちろん、プロジェクトに参加いただいた詩人の皆様、左右社さんにも。

 

 書店ではみつけにくいとおもうが、ご興味のある方は現代詩歌文学館にお問い合わせを。日本の詩歌史においても貴重なアンソロジーだとおもう。

 

 東日本大震災十周年の際はいくつかの文芸誌や雑誌に作品や論考を寄稿した。詩作品はともかく、ジャーナリスティックな文章は、災厄に直接ふれて書かざるをえない。そんななか、じぶんにとって異色の一篇となったのが、今月発売の『詩と思想』掲載のエッセイ。一見、西脇順三郎についての短い随想なのだけれど…じつは、震災への応答をこころみるエッセイになっています。

 

機会があれば、ぜひ、お読みください。