左から鯨井謙太郒さん、石田瑞穂、笠井瑞丈さん
さる1月21日日曜日、東京国分寺「天使館」で開催された笠井瑞丈さんと鯨井謙太郒さんによるダンス・デュオ・パフォーマンス、「ダンス現在Vol.3《暁ニ告グ》」を観覧した。
そして、これ以上は、おふたりのダンスがすべてを語ってくれることだろう。
客席には、詩人の城戸朱理さん、写真家の小野田桂子さん、和光大学准教授の遠藤朋之さんがおられる。
ダークスーツを着た笠井さん、鯨井さんがステージに登場し、端座する。すると、1969年のウッドストックでジミ・ヘンドリックスが奏でた伝説的な「Star
Spangled Banner(星条旗よ永遠なれ)」が大音響でながれた。フェンダー・ストラトキャスターのディストーションでゆがみまくったアメリカ国家をバックに、ふたりのダンスがはじまる。オイリュトミーの所作をはじめ、さまざまなダンスの身体性が双つのダンサーの肉体を音叉に、交差し、波濤をうちあい、いったんは退潮し、一筋の河となって流れ、響きあう。そうして、溶けあったり、別れていったりする身体の闇洋を、ときおり、三島由紀夫の言葉が闡明して、落雷する。
双つの肉体が手刀で空を切り、痙攣して踊りながら断片的に暗唱する三島の言葉は、「文化防衛論」だろうか(笠井さんはダンス中、三島が寄稿した1月21日掲載の朝日新聞記事を引用したと発言。初回公演の1月14日は三島由紀夫の誕生日だった)。日本の文化、身体と言葉は、生きた行動様式であるとともに、ひとつの「型」(かたち)である。「菊と刀」は、暗黒舞踏の初源から、数々のダンサーたちが挑み踊ってきただろう。
笠井さんと鯨井さんの双つの肉体は、即興で踊りつつ、身体と言葉の、未知の「形」を追究してゆくようだった。その瞬間、双つの肉体は双数をうちやぶり、一体の透明な器として共鳴している。まるで、三島由紀夫の言葉を踏みながら、その思想の影から踊りでよう、とでもいうように。
ぼくと年齢もちかい笠井瑞丈さんのダンスを初めて観たのは、もう、十数年もまえ。ヒップホップ、コンテンポラリーダンス、オイリュトミーと現代舞踏を縦横無尽にゆききする若き笠井瑞丈さんは、ぼくに圧倒的な交差点的身体を目撃させてくれた。空中線のように鍛えあげられ、ひきしめられた肉体とともに、そのダンスは、ほんとうに未知の輝きできらきらしていた。
その、笠井瑞丈さんと鯨井謙太郒さんがともに踊るというのだから、観ないわけにはいかない。
もちろん、おふたりのデュオには、大満足。同門の笠井さんと鯨井さんは稽古や公演をともにしてきたが、コラボレーションは初めてだとか。今回のおふたりのデュオは、スタイルや資質の差異をこえて、おたがいのダンスをより解き放っていたように見受けられた。
閉幕後、お誘いをうけて、関係者打ち上げに参加させていただいた。ぼくにとって、天使館訪問は初めて。ふだんは稽古場であるスペースを、本公演では特設ステージに仕立てた。洋館のような造りの稽古場には、ダンス途中に笠井さんが弾いていたグランドピアノが一台あり、やわらかい光沢の白壁にかこまれてい、客席むかいの上座の壁は一面、鏡張になっている。公演中は、この鏡壁に純白のカーテンがかかっていた。ダンス終盤、鯨井さんがこのカーテンを踊りながらとりのぞくと、ステージを観覧している客席がそのまま映りこみ、観客は自身の鏡像とむきあうという演出がなされていた。
もう、入館することもかなわないかもしれないので、ぼくはかの「天使館」の内部をきょろきょろとみまわす。
さいごに、小野田さんが、笠井さん、鯨井さんとぼくをスマホで撮ってくださった。そのときの写真が、うえの写真です。
せっかくの機会だから、三島由紀夫についておふたりにたずねた。鯨井さんは、三島由紀夫の言葉がそのまま身体(行動)となって顕現したことを指摘。笠井さんは、三島の政治思想そのものには共感していないそう。
いわずもがな、三島は高度経済成長期における戦後日本において、日本人の伝統文化、言葉、身体性が記号化、表層化されてゆくことを、異常ともいえるほど危惧していた。戦後日本というシステム、それは、あらゆる存在の異他性を情報・貨幣価値として流通させては消費構造下に組み込んでゆくメガストラクチャー(超構造体)にほかならない。
笠井さんも、鯨井さんも、言葉と身体による表現をつうじて、そんな現代日本に闘争を挑んでいるのではないか(余談だけれど、同時代において、べつべつの構えから戦後日本に対決を挑んだ詩人思想家として、三島由紀夫と吉本隆明を比較批評してみるのも、悪くはないと思う)。
そして、これ以上は、おふたりのダンスがすべてを語ってくれることだろう。
天使館を辞去して、城戸朱理さん、小野田桂子さん、遠藤朋之さんと国分寺駅まで歩く。そのあいだ、城戸さんと小野田さんが、この日の早朝、評論家の西部邁氏が急逝された訃報をつたえてくださる。そして、駅近くの小料理屋へ。ぼくらは、終電まで、今回の公演、詩と舞踏について語りあったのだった。
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