東京は浅草にちかい蔵前のフォトギャラリー「Kurenboh 空蓮房」で、写真家の谷口昌良さんと写真と詩の展示に挑むことは、以前、本ブログでもお伝えしたとおり。
とある編集者の方から、「石田さん、ブログ、ぜんぜん更新されてませんが、大丈夫ですか? あと原稿も…」と、メールで心配もされ、新型コロナ罹患説までささやかれてしまった始末。
元気にしております。ただ、早、年末進行の原稿や取材にくわえ、展示の準備で多忙にしていたのだった。
展示は、今年の初夏に六本木の気鋭のギャラリーYutaka Kikutake Galleryから刊行されたばかりの、谷口さんとの写真詩画集にちなみ、「空を掴め Catch the Emptiness」と名付けられた。空蓮房の公式サイトでは、告知の一部がすでにアップされているので、展示の詳細はこちらをご覧ください。
会期中は、踊り手のレンカさんをはじめ、すばらしい詩人や翻訳家の方々とオンライン・イベントなどでコラボレーションしてゆく予定です。
今回の展示は、写真詩画集からの谷口さんの作品展示にくわえ、僭越ながら、ぼくが「詩譜」を揮毫することになる。詩譜というのはぼくの造語、というか、発見。すこしだけ、写真でおみせします。このブログの写真は、展示の一部、一点物の『空を掴め Catch the Emptiness』。詩譜はこの本に収められた詩篇「雷曲」を、原詩と複数言語による翻訳により植物的(ベジェタル)に織りあわせ、日本語の行書とアルファベットの筆記体を組み合わせて筆耕しながら、新たな詩的時空を生成させようとする試み。英訳は関根路代先生にお願いした。
そう。これを夜な夜な万年筆で筆記していて、多忙になってしまったのだ。とはいえ、この作業が、じつに愉しい。シングルモルトを舐めながら、時間と原稿をわすれ、つい、没入してしまった。
新型コロナ禍で、まさに、空を掴むような一年になってしまいそうな、今年。そんな世界を、写真と詩の双つの翼で問いかけてゆく展示にしたいです。
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