2017年4月6日木曜日

さくら、さくーイベントの告知も


とうとう、庭の枝垂れ桜が満開に。雪だみぞれだと、寒い日がつづいたから、春、の実感が湧かなかったけれど。陽がぬるみだしたとたん、薄紅に滝のごとく咲きこぼれた。

これはもう、花見酒、しなきゃ。そんな、逸る気持ちをおさえつつ、まずは春の到来を、純粋に寿ぎたく。


かくして、ぼくの机上に、風に飛ばされてきた桜の花びらの色をした、ちいさな詩集がとどく。菊井朋氏の第一詩集『耳の生存』(七月堂)。無論、拙詩集とは別個の長篇詩、別の「音」にみちびかれ書かれた詩集で、とても不思議なざわめきをつつみこんだ言葉たちだ。


「数えることのできないほどの
大勢の耳たちが
いちもくさんに駆け出す
やわらかに震える耳朶を白く輝かせ
とても幸せそうだ(あれはなんという花だろう)

窓が待っている 駆け出す耳の周りでチラチラと
塵が金色に輝き いのちのウネリを見せ始め
蜂蜜のように甘く香る 降るのは
針のような雨
夕焼けが町を染め
影絵のように
わたしのこころは立ち尽くす
やがて虹がかかるのだ
このひらかれた幸福に」


「このひらかれた幸福に」、そう、春のとば口に咲く生命のあいまに、死者や、潮騒や、見えないものたちが擦過して、あえかな音を遺して去来する。その「音」の源は、詩集に差しはさまれた、村上昭夫の詩「雪」(『動物哀歌』)にもあるみたいだ。だれにも聴こえないはずの音楽を、彼岸と此岸を吹き抜ける風電話のように詩がうたう。



さて、ぼくがロンドンから日本に帰国した直後の三月二十二日。イナー・ロンドンにある国会議事堂のちかくで、イスラム主義に影響をうけたとされる男によりテロ事件がひきおこされた。その数日前に、ぼくも詩人や編集者たちとともに、テロの犯行現場から目と鼻の先のウェストミンスター寺院やビッグベンを観光したばかりだった。この場をかりて、哀悼の意をささげます。

I wish to express my deepest condolences to those who lost loved ones by the terrorist acts and attacks on March 22nd, and also to express my sympathy  to all who in London.

そして、きたる四月十五日土曜日。東京の東陽町にある「アートスペース.kiten」にて、まさに「哀悼ー生きうるための言葉を求めて」が、開催。詩人・俳人・批評家の生野毅さんの企画で、詩人の添田馨さん、音楽家の入澤明夫さん、それからぼくも出演します。

二〇一四年八月に、イスラム過激派組織「ISL」にシリアで拘束されたと見られる湯川遥菜さんと、ジャーナリストの後藤健二さんが、翌十五年二月に、同組織により殺害されてしまった事件は記憶にあたらしい。添田さんは、このテロ事件を背景に詩篇「哀悼」を発表された。この詩に感銘をうけた生野さんが、何重にもアポリア(難問)をはらんだこの事件を、詩の哀悼の言葉から問いかえしたいという。さすがは、生野さん。じつにジャープな企画で、ぼく自身、とても挑みがいのあるイベントと感じていて、いまから愉しみ。ぜひ、ご来場ください。







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