そろそろ、夏もゆきそうなので、ここ毎夏の酒器、桃山時代の古唐津皮鯨皿と大正期の硝子徳利をしまう(ごくろうさまでした)。
かわりに、この初夏に譲っていただいて、いまだつかえなかった酒器を共箱からだした。
写真の、江戸中期古瀬戸麦藁手茶碗は、以前、本ブログでも紹介させていただいた。これを、酒を注ぐ片口に見立てる。
あわせた盃は、これも、永らく未使用だった、李朝堅手盃。ほんとうは、秋草紋の画かれた古伊万里盃でもあれば、いうことないのだけれど。
この李朝堅手盃は二十代半ばのころ、はじめて韓国出張したときにソウルは明洞(ミョンドン)にある若手の骨董屋さんから譲っていただいた。時代はさがるが、茶碗や祭器のおおい李朝堅手盃のなかでもめずらしく小ぶりで、高台からすっと花がひらいたような猪口にちかい器形をしている。
いま眺めても、青みをおびた雪白の発色がなかなかいい。呑み口に、ちょとホツ(ちいさな傷)があって、金繕いしてあるのだが、無傷の完器だったら手がでなかったと思う。
ところが、この盃、常の如しというか、あわせられる徳利や片口が、まったくなかった。ゆえに、ときおり小料理や寿司やに懐中するほかは、ずっとお蔵入りしていたのである。今回、古瀬戸麦藁手茶碗と組ませてみたら、まあまあ、いいかな。とりあえず、この組で、毎晩、呑んでいます。
光が透明になる秋は、李朝や古伊万里の、温みある白磁がいいなあ、と思う。そして、紅葉を偲ばせる麦藁手片口は、晩夏から初秋にかけてつかいたい。茶渋で照った古瀬戸麦藁手に酒を注いだら、思いがけず、雨漏り(しみ)がうかび、悦ぶ。酒徒にはたまらない器の景色だけれど、家族には理解されないのだった。
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