2020年2月12日水曜日

浅草一文の夜





 浅草一文。いい、居酒屋だ。ぼくが、こちらのお店を知ったのは、二十代の後半。銀座の広告代理店に勤務していたとき、小説家の常盤新平さんと知遇をえたことがあり、「いつか、いってごらん」と、ご教示いただいたことがきっかけ。

 以来、おりにふれて、うかがっている。そういえば、作家の半村良氏の『小説 浅草案内』にも登場していたっけ。純江戸風の提灯と縄のれん、古町屋の居酒屋は、旨く安く、それでいて、人情のこもった接待があり、人生の荷物をおろしてこころやすらかに納得のゆくひとときがすごせる。華美な酒食はださないが、居酒屋は、それでいい。
 ぼくなどは、一文の、へのへのもへじの暖簾のかかった小上がりに落ち着いて、もろきゅう、名物の筋煮込み、魚のかま焼き、絶品の納豆オムレツで、清酒をぬる燗で三合ほど。それで、三千円いかない。それから、浅草ビューホテルちかくのバーBARLYへと、河岸をかえる。

 この夜は、アートディレクターの池田龍平氏、アメリカ現代詩研究の二宮豊氏と、呑んだ。来年のリリースを予定している、インターナショナル・ポエトリ・サイトのための顔合わせだった。
 二宮さんは、「PEDES」というポエトリ・マガジンを創刊準備中。その創刊号に寄せる詩の自筆原稿も手渡したのだった。

 サイトのほうも、すでに、サンフランシスコのジュディ・ハレスキ、ロンドンのアストリッド・アルベンといった、欧米でいま注目されている気鋭の詩人たちが参加を表明しており、まだ公表はできないが、スロヴェニア、韓国、中国からも、詩人たちが参加予定だ。日本側も、錚々たる詩人たちが集結中。

 写真は、一文名物、とろ鮪の葱間鍋。ねぎまは、焼き鳥、というイメージがあろう。が、もともとの江戸時代には、丸太に切った葱の間に具材がうかぶ鍋のことであった。江戸の味と情緒をのこす老舗なら、軍鶏、鴨、あんこう、河豚、湯豆腐の鍋は、おしなべてこの葱間である。また、葱間鍋から発展した神田ぼたんの鳥すき、駒形どぜうの丸鍋を鑑みても、醤油、酒、葱が江戸風の定形であることは、いわずもがなだろう。
 また、脂くさいとろは、江戸期には、猫またぎと蔑視されてい、棄てるべき部位だった。それを、もったいない一心で、葱間にして食したのが江戸庶民である。

 ちなみに、浅草一文では、現代の百円が一文。品書の値段は、すべて、文で、表記されてい、勘定も文でくる。たとえば、清酒は六文、とか。

 鍋の野菜はすべて江戸野菜、葱も目白葱だが、鮪は、店の刺身ではだせないとろだろう。そこが、かえって、いい。店のこだわりでもある。一文の魂、というわけ。
 とろは、一、二分だしにさらすと、脂の刺がぬけて、かえしになじんだやわらかい味になる。それを熱々の目白葱といただくと、江戸の冬にタイムスリップする感覚。ところで、落語なんかだと、鍋はむしろこの葱が主役であり、鮪や鴨はその脇役というかんじがする。粋というのは、不思議だなあ。

 文学やアートの話で盛り上がりながら、お銚子をつぎつぎと空けた。三時間後、バーリィさんへうつってからも、銀座菊水で買ったパルタガスを三人でくゆらせ、ドライマティーニを呑みながら、二時間ほど歓談。

 浅草の冬夜は更けゆくのだった。

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