いま、東京浅草にちかい蔵前のギャラリー空蓮房で開催中の石田瑞穂(詩譜)+谷口昌良(写真)「空を掴め」展、さまざまなお客さまにおこしいただいています。もちろん、会場には十全なコロナ対策をしていただきながら。
こうした状況下でも、予想を上回る来客数がある。一般のお客はもとより、先週は写真家の畠山直哉氏、小平雅尋氏、そして写真詩画集『空を掴め』の生みの親でもある、ギャラリストの菊竹寛さんとデザイナー/装幀家の木村念将ご夫妻もいらした。谷口さんの写真作品はともかく、ぼくの詩譜は…ただ冷や汗がでるばかり。
ぼくが日頃からお世話になっているクリエイター、編集者のみなさま、仕事仲間や友人知己も応援にきてくださり、こころからお礼を申し上げます。
さて、今月の初めには、今回の展示に協奏してくださった詩人のみなさんのオンライン・ポエトリーパフォーマンス「In the Empty Lotus」が収録され、会場内のQRコードからご覧いただけるようになった。こちらも、非常に好評です。ぼくも、さっそく、展示を愉しみながらポエトリーパフォーマンスを拝聴したのだった。ちなみに、PCやスマホがまったくダメなぼくも、かんたんに視聴できました 苦笑
二宮豊さんは本展のために書き下ろした詩を朗読。日本語の詩に耳を澄ます愉楽を大切にした作品だ。きちんと意味もたどってゆける。展示と、その外にひろがるコロナの世界を若き詩人はどうみつめているのか。印象的な作品とリーディングだった。
永方佑樹さんは、展示室内を言葉を発し舞うように歩みながら『空を掴め』をリーディングしてゆく。読む呼吸がとても鋭く、静かで、その呼気は声の鋏となって詩の行とコロナ世界を分裁してゆく。すると、詩譜と写真作品に、「だれか」の息と声がまつろい空間そのものがゆるやかに変容してゆくのが不思議だった。
マルティーナ・ディエゴさんは、イタリアの伝説の詩人、ジャコモ・レオパルディの『無限』から、日本語とイタリア語で朗読を捧げてくれた。とても光栄だが、現代詩人のディエゴと古典詩人のレオパルディが奏でるイタリア語のリーディングは圧巻。現代と古典、ふたつのイタリア語が音叉のように響く、音楽だ。さすがはストラディバリウスの国、なんて、ヘンな感想がついうかんでしまう。
佐峰存さんは自作詩をスリリングに捧げてくれる。その詩と声によって、展示に新たな世界の境界が書き重ねられていくよう。そういえば、朗読前の控え室でのこと。アメリカの高校で詩を書きはじめた佐峰さんは、日本語の詩を横書きで読み書きすることにまったく抵抗がないとか。日本の行書と英語の筆記体が入り混じる詩譜に面して、佐峰さんの声が静かにうねっていることに、耳を澄ましたい。
詩篇「雷曲」の英訳者、関根路代さんも、英語で「雷曲」をリーディングしてくださり、翻訳者としてのコメントを寄せてくださった。関根さんは、今回ただひとり、いわゆる創作者ではない。けれども、翻訳者が語った「雑念」という言葉に、本展の鍵のひとつが、ある気がする。
空蓮房さんによると、「In the Empty Lotus」を視聴しつつ展示を観る方は、ゆうに一時間、観覧制限ぎりぎりまで展示室ですごされ、愉しまれているそうだ。
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