地元の北浦和公園内にある埼玉県立近代美術館で、「駒井哲郎 夢の散策者」展が開催されています。
9/12からはじまって、10/9まで。平昌詩人祭にゆく直前が開催日だったので、〆切もつづき、なかなかゆくことができなかったが、なんとか時間をつくって鑑賞した。建築家・黒川紀章が設計し、1982年に建った近現代美術専門の美術館は、いまの美術館の規模からすると小体だが、緑のなかにたたずむ美しい美術館だ。
そんな、郊外の小宇宙で、駒井哲郎のちいさな銅版画たちに、静かにふれられたことが、忙しい日々のなかでことのほかうれしかった。
1949年制作の「夢の始まり」からはじまる展示は、1935年〜1953年までの初期作品にも焦点をあてたということかもしれない。上写真の「束の間の幻影」(1951)は高名な作品だ。でも、
40年代の「夢」の連作は、詩的としかいえない駒井哲郎の固有の銅版画世界が、すでに確立されていたことを物語る。渡仏し、ビュランやヨーロッパの銅版画の伝統を学んだ駒井哲郎は、たしかに、技術的にも奥行きとひろがりをえたけれど。ぼくは、中世の木版画のような、不思議な夢のぬくもりをつたえる初期作品に、深い好感をいだいた。
そして、もちろん、詩人・安東次男との詩画集『からんどりえ』と『人それを呼んで反歌という』。その原画が、展示されていた。60年刊行の『からんどりえ』からは「Juin 球根たち」と「Novembre 樹木」。ぼくは66年にエスパース画廊から刊行された『人それを呼んで反歌という』をもっているのだけれど、原画を観たのは、はじめて。表紙原画や「人それを呼んで反歌という」は駒井特有のあたたかく深い白と黒で、詩画集とは色彩が異なっていた。ほかの銅版画や展示資料のあいだをさまよいながら、なんどもたちかえって観る。『からんどりえ』と同時期の「手」という作品にも魅せられ、見入った。
おもしろかったのは、駒井哲郎愛用のプレス機が展示されていたこと。世田谷美術館での回顧展で観た記憶がある。
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