石田瑞穂とギター:村岡佑樹(Ukiyo Girl)
Photo by 小野田桂子さん(C)
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田上友也
田澤敬哉
二宮豊
Photo by Mizuho Ishida
さて、8/10に東京は外苑前のワタリウム美術館で開催された、アメリカの偉大なビート詩人阿闍梨アレン・ギンズバーグに捧げるポエトリーリーディング・パーティ「ビート・ナイト」。とても盛況で、ぼく自身、収穫のあった朗読会でした。
イベントの全体的なレポートは、当日のディレクターで詩人の城戸朱理さんがブログで書かれているので、お読みください。
また、イベントのレビューが、『現代詩手帖』誌に掲載予定だとか。そちらも、愉しみに待ちたいと思います。
あまり、話が重複してもよくないので、ぼくは、オープンマイクの参加者について書こう。獨協大学のプロジェクト「LUNCH POEMS@DOKKYO」の卒業生、二宮豊、田上友也、田澤敬哉の三氏もキース・ヘイリングのポップアートのまえで、リーディングしたのだった。
田上友也は第一詩集『ぼくときみのあいだ』を上梓したばかり。自己と他者のかかわりが、ゆれうごき、すれちがい、それでもある瞬間には決定的に出逢う。その関係性が、恋心のような瑞々しい抒情を結露し詩われてゆく。話者にとって個人にすぎなかった他者が、詩のなかで世界そのもののひらかれを予感させる存在へと生成し、「ぼく」もすこしだけ成長してゆく。若い詩人のやさしい心根が、そのままペン先から滴ったような、青春詩集だ。
田澤敬哉も第一詩集『パーラー』を上梓したばかり。詩集のお披露目ともなったリーディングは、ギタリストの熊谷勇哉氏とのデュオになった。『パーラー』の装幀者、山口英悟氏も来場されている。熊谷さんの、ジプシーのロマ・ミュージックのような、無国籍的なアクースティックギターが奏でる音の網目に、詩人の声がキャッチされてふるえ、共震する。敬哉の詩からも、若者のやさしさを感じるのだけれど、もうちょっと現代に突き刺さる刃があって、透明な痛みや、あえて黙してみる哀しみもあるなあ。その繊細な詩の表情は、そのままリーディングの音色となって、夜の時間を静かにみたしていった。
アレン・ギンズバーグの師ウィリアム・カーロス・ウィリアムズをはじめとするアメリカ現代詩を研究する二宮豊は、ソロで、朗読。彼とはアメリカ西海岸オークランドの女性詩人ジュディ・ハレスキの詩をともに訳したのだが、ポエジーのツボをよくおさえた的確な読み手という印象があった。今回は、読み手のみならず書き手としても豊かな才能をおもちだなあ、と感心。リーディングは派手じゃないが、詩の言葉そのものの力で、ぐいぐい観客を朗読に惹きこんでゆく。やはり、詩の面白さ、言葉のツボをよく学び知られている。二宮さんの詩をもっと読んでみたいし、ぜひ、詩集も編んでいただきたい。
肝心のぼくは?最近、夫婦で見事にハマってしまったロックバンド「Ukiyo Girl」のベーシスト村岡佑樹さんの胸をかりて、ウィリアムズの「詩」の朗読のあと、詩とジャズが対話(インタープレイ)する近刊の新詩集『Asian Dream』(仮題)から、「Skies of America」(原曲はオーネット・コールマン)を朗読。ブルース、スティール、ノイズを自在にスイングして即興演奏するユウキさんの電音と、インタープレイできただろうか。他者の評価はともかく、ぼく自身は、とても刺激をうけたし、楽しませていただいた。なにより、「Ukiyo Girl」のベーシスト(今回はテレキャスター)が奏でる音楽に詩と声を抱かれてセッションできたことは、幸福のひとこと。帰宅してからも、しあわせな余韻がずっとのこっていて、朗読後にこんな気分でいられるのは、ぼくにしてはじつにめずらしいのだった。
主催のワタリウム美術館、城戸朱理さん、小野田桂子さん、「ビート・ナイト」で共演した詩人や作家のみなさま、なにより観客のみなさまに感謝を。そして、ぼくらを詩に導いて出逢わせてくれた、獨協大学の原成吉先生とアレン・ギンズバーグに、心から感謝します。生前、ギンズバーグやキース・ヘイリングの貴重なお話をしてくださった、和多利志津子前館長の思い出とともに。
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