2018年8月18日土曜日

ワタリウム美術館「ビート・ナイト」に出演




石田瑞穂とギター:村岡佑樹(Ukiyo Girl)
Photo by 小野田桂子さん(C)



田上友也


田澤敬哉


二宮豊
Photo by Mizuho Ishida


 さて、8/10に東京は外苑前のワタリウム美術館で開催された、アメリカの偉大なビート詩人阿闍梨アレン・ギンズバーグに捧げるポエトリーリーディング・パーティ「ビート・ナイト」。とても盛況で、ぼく自身、収穫のあった朗読会でした。
イベントの全体的なレポートは、当日のディレクターで詩人の城戸朱理さんがブログで書かれているので、お読みください。
また、イベントのレビューが、『現代詩手帖』誌に掲載予定だとか。そちらも、愉しみに待ちたいと思います。

あまり、話が重複してもよくないので、ぼくは、オープンマイクの参加者について書こう。獨協大学のプロジェクト「LUNCH POEMS@DOKKYO」の卒業生、二宮豊、田上友也、田澤敬哉の三氏もキース・ヘイリングのポップアートのまえで、リーディングしたのだった。

田上友也は第一詩集『ぼくときみのあいだ』を上梓したばかり。自己と他者のかかわりが、ゆれうごき、すれちがい、それでもある瞬間には決定的に出逢う。その関係性が、恋心のような瑞々しい抒情を結露し詩われてゆく。話者にとって個人にすぎなかった他者が、詩のなかで世界そのもののひらかれを予感させる存在へと生成し、「ぼく」もすこしだけ成長してゆく。若い詩人のやさしい心根が、そのままペン先から滴ったような、青春詩集だ。
田澤敬哉も第一詩集『パーラー』を上梓したばかり。詩集のお披露目ともなったリーディングは、ギタリストの熊谷勇哉氏とのデュオになった。『パーラー』の装幀者、山口英悟氏も来場されている。熊谷さんの、ジプシーのロマ・ミュージックのような、無国籍的なアクースティックギターが奏でる音の網目に、詩人の声がキャッチされてふるえ、共震する。敬哉の詩からも、若者のやさしさを感じるのだけれど、もうちょっと現代に突き刺さる刃があって、透明な痛みや、あえて黙してみる哀しみもあるなあ。その繊細な詩の表情は、そのままリーディングの音色となって、夜の時間を静かにみたしていった。
アレン・ギンズバーグの師ウィリアム・カーロス・ウィリアムズをはじめとするアメリカ現代詩を研究する二宮豊は、ソロで、朗読。彼とはアメリカ西海岸オークランドの女性詩人ジュディ・ハレスキの詩をともに訳したのだが、ポエジーのツボをよくおさえた的確な読み手という印象があった。今回は、読み手のみならず書き手としても豊かな才能をおもちだなあ、と感心。リーディングは派手じゃないが、詩の言葉そのものの力で、ぐいぐい観客を朗読に惹きこんでゆく。やはり、詩の面白さ、言葉のツボをよく学び知られている。二宮さんの詩をもっと読んでみたいし、ぜひ、詩集も編んでいただきたい。

肝心のぼくは?最近、夫婦で見事にハマってしまったロックバンド「Ukiyo Girl」のベーシスト村岡佑樹さんの胸をかりて、ウィリアムズの「詩」の朗読のあと、詩とジャズが対話(インタープレイ)する近刊の新詩集『Asian Dream』(仮題)から、「Skies of America」(原曲はオーネット・コールマン)を朗読。ブルース、スティール、ノイズを自在にスイングして即興演奏するユウキさんの電音と、インタープレイできただろうか。他者の評価はともかく、ぼく自身は、とても刺激をうけたし、楽しませていただいた。なにより、「Ukiyo Girl」のベーシスト(今回はテレキャスター)が奏でる音楽に詩と声を抱かれてセッションできたことは、幸福のひとこと。帰宅してからも、しあわせな余韻がずっとのこっていて、朗読後にこんな気分でいられるのは、ぼくにしてはじつにめずらしいのだった。

主催のワタリウム美術館、城戸朱理さん、小野田桂子さん、「ビート・ナイト」で共演した詩人や作家のみなさま、なにより観客のみなさまに感謝を。そして、ぼくらを詩に導いて出逢わせてくれた、獨協大学の原成吉先生とアレン・ギンズバーグに、心から感謝します。生前、ギンズバーグやキース・ヘイリングの貴重なお話をしてくださった、和多利志津子前館長の思い出とともに。

 ほんとうに素敵なライブショットを撮ってくださった写真家の小野田桂子さん、ありがとうございました。

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