Photo by 大洞博靖氏
きたる12月。開催日は未定だけれど、東京は板橋宿本町ちかくのギャラリー「ダンジョン」で、詩と美術のコラボレーション展が開催される予定です。ダンジョンを主催する映像作家の安藤順健さんと詩人・評論家の生野毅さんがタッグを組んでディレクションをする。
ぼくは、展示はしないのだけれど、今年8月にワタリウム美術館で共演したバンドAramのベーシスト・村岡佑樹さんと、今回、初共演となる踊り手のレンカさんとで、ポエトリー・リーディングに挑みます。さらに、Aramからもうお一方、出演予定。
さて、9/27、「開座・森下アトリエ公演 夜たらし」にてレンカさんが踊るという。安藤さん、生野さんとともにうかがった。共演は、岡庭秀之(舞)さんと金子雄生(トランペット・民族楽器)各氏。場所は、墨田区のとあるマンションの一室。でも室内は、古畳と木箱が雑然と置かれた、大正期の芝居小屋の雰囲気。金子さんがダークでフリーなフレーズのあいまに、映画「死刑台のエレベーター」のあのメロディーを引用し、白髭で着物姿の舞手、であるはずの岡庭さんが即興で古典落語をぶつ。そのテクスチャーの表裏で、レンカさんが、舞った。
今回のレンカさんの「舞」は、あまり激しく大振な動きはせずに、たたずみ、ゆれ、顔と指先と肉体と白い肌が見せる表情のうつろいで、言葉にならないなにかを、うったえかけてくる。岡庭さんの艶っぽい落語の近傍、白熱灯をもちいた「変顔」芸で、子どものように遊びまわりながら。
その動きは、とてもシンプルだ。両腕を肩まで水平にゆっくりとあげ、ライトの光を指先で散らしながら、祈りスレスレに、ゆっくりと体の正面であわせるだけで、他界のようなゾーンを降ろしてしまう。そして、その動作は肉体のエロティシズムを放散しつつ、人形の冷たい自動性もおびている。光のなかで、儚げにゆれる、乾いたエロスを。
レンカさんは、自身の身体を、ダンスと呼んだり、舞踏と呼んだりするのを好まないみたいだ。さるダンス・カンパニーで学んだ彼女の「踊り」は、いまはどのスクールにも属していない。ただただ、惹きこまれ、ずっと観ていたくなる素直な美しさと深さを宿している。
夜には、予告なく新宿の路上にでて、見ず知らずのミュージシャンやパフォーマーたちと一期一会のセッションを愉しむという、レンカさん。Aramのみならず、そんなフリーな肉体とアーティストシップをもつ踊り手と、これから、一夜の夢をみることができるなんて。とても、光栄で、たのしみ。
(レンカさんについては、公式ツイッターhttps://twitter.com/qurioneをぜひチェックしてください)
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