「百年ののち」〜よいお年を
黄昏が、だいぶ、ながくなってきた。
ダンジョンでのライブのあと、共演してくださった村岡佑樹さんと野澤夏彦さんのロックバンドAram (アラム)の新譜CDを入手することができた。歳末の原稿を書く手や書架を整理する手のそばで聴いている。
夜と、妻いわく「ふられちゃった男子?」がコンセプトのep。ジャケにつかわれている写真作品が印象的だ。シャガールを憶わせる、光をぎりぎりまで削いだ、薄闇でバレエする少女たちの表情に暗さはない。それは、どこか、Aram の音楽的リアリティを語っている気がする。
ロックバンドであるにもかかわらず、メンバーのルックスをふくめ、このアルバムは極力、ロックぽくない。静謐、とさえいえる。ゼロや希薄とはちがうのだが、カリスマだの反抗だのとは異質な強度とアーティストシップが、このバンドをつらぬいている。ポスト•サイケとかいうキャッチコピーも、ささやかれているようだけれど。
ぼく個人は、夜を生きる者たちの音楽ーー隠れひそむ秘めやかな靭さと、夜へあふれだす逆説的な光源と、闇の温もりのようなものを感じている。
ダンジョンで共演した感触で語れば、かれらの音楽的な感性は、とてもひろやか。アラムのネーミングのとおり、その音のドアのむこうには、アメリカの文豪サローヤンがいて、現代アートが展示されていて、コンテンポラリーダンスが四肢を転変させている。
現代ロック、いわんやショービズの文脈では語れない世界がある。ジャズやポストロックといった影響を超えて、テクニックも、創造する宇宙も、すでに独自の領域に踏みこみつつあるようだ。歌詞も、いいですね。
朝を待つのにつかれて
あなたは夜へ
身をなげた (「百年ののち」)
2018年の終わりに、音楽の夜と朝をひたと凝視め、靭くしなやかにロックする、若きバンドの舟出を祝福したい。
かれらの見つめる、いや、ぼくらのまえにひろがる「百年ののち」は、どんな世界だろう。
そんな想いをいだきつつ、Aram を聴きながら新年を迎えようとしている。
みなさん、よいお年をお迎えください。
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