パリ「ヴィジュアル詩展」出品-谷口昌良さんとのコラボレーション
詩人の河津聖恵さんとヤリタミサコさんから、今年秋にパリで開催予定の「ヴィジュアル詩展」への出品をお誘いいただいた。
視覚詩は、北園克衛の前衛詩誌「VOU」を原点とする。言語偏重のポエジーを、視覚作品により言葉から解放し、新たな詩の地平をめざす詩的グループだ。同展は現代詩手帖でもレビューが掲載された。お手紙をくださったヤリタさんによれば、昨年、永眠され、視覚詩もおおく遺された藤富保男さんや、視覚詩人の高橋昭八郎さんの作品が欧州を中心に再評価されており、展示にも世界各地から観客が来展したとか。
このお誘いに、ぼくは興趣をそそられた。
とはいえ、視覚詩を実作した経験のないぼくは、こまった。じぶんで書作品を制作することも考えたのだが。
ふと、友愛、というキーワードが脳裏をよぎった。
視覚詩は、アートではないが、ダダ•シュルレアリスムの影響から出発している。そして、運動体としての視覚詩からは、ブルトン•グループほど濃密ではないものの、どこか、友愛の重要性を感じてしまうのだ。もっとも、この友愛はべとつかず、幽霊的でもあって、新しい共同体の芽生えにちかい。そんな、幽霊的な友愛から、ポエジーをひきよせられまいか。
と、そんなとき、気鋭の写真ギャラリー空蓮房を主宰する、写真家の谷口昌良さんのお顔がうかんだのだった。
すでに、写真家の畠山直哉氏とのプロジェクトで多忙な谷口さんだったが、蔵前で呑みながらご相談すると、快諾してくださる。
「どこからはじめます?」
「とりあえず、文通でもしましょうか」
こうして、ぼくと谷口さんとの、視ることとポエジーをめぐる文通がはじまった。ぼくは万年筆に満寿屋謹製A4版原稿用紙で、谷口さんはメールとWordで。
朝、仕事まえの一時間、ぼくは頬白たちの歌を聴きながら原稿用紙にむかう。手紙をしたためる時間は、執筆の時間とも、対話の時間ともちがう、なにかとてもいい時間だ。
それは、友愛の時間、かもしれない。
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