「シンコを食べないと私の夏はおわらない」と書いたのは、小説家山口瞳だが、ぼくの場合は、大学のレポートを採点しないと夏がおわらない。
二百篇ちかいレポートや詩を採点しおえたある午后、東京の九段下にでかけた。おめあては、「鮨政」。いみじくも、山口瞳がシンコを食した老舗店で、とまれ、ぼくはそこでシンコを食べるのではない。コハダで、呑む。
鮨政は、数寄屋橋次郎とならぶ江戸前鮨の名店だけれど、とみに、コハダが有名だ。鮨のシンコはコハダの稚魚をさばいて〆、しゃりのうえに五、六枚しいては握る。初鰤、初鰹などといっしょで旬の走りのネタであり、職人の技術の見せ場のようなところもある。じつは、ぼく、このシンコをすごく旨いとおもったことがない。それでも、あれば、夏の風物詩としてたのんでしまうのだが。
とまれ、鱧のお造りからはじめて、コハダをありがたくいただいた。鮨政のコハダは、粋のよさはもとより、すこうし長めに塩をするとか。香りよく、きりっと〆られてい、脂もよくのっている。
そういえば、鮎のうるかもそうだし、古漬けもそうだけれど、日本酒の肴にはぴりりと舌にここちよい刺激のあるものが、酒米の旨味をいっそう福よかにして、よい。香辛料のそれともちがう、和食のぴりりは、なんとも名状しがたい繊細な刺激だけれど。この、ぴりりは、鮨政のコハダにも響いていて、夏の疲れた胃腸と舌を元気づけてくれる。
鮨をつまみながら、春夏に出逢った学生さんたちの顔をおもいうかべた。フェリス女学院大学にいたっては、二年、三年とつづけて受講する学生さんもおおく、十五週間無欠席の学生さんもけっこういて、学力、意欲、ともに高い。成績評価は、接戦につぐ接戦で、むずかしかった。
鮨政の暖簾をくぐって、千鳥ヶ淵へ夕涼みにでた。ビルの合間をそよぐ夜風が、やや泥臭い水の匂いをはこぶと、頭上のソメイヨシノから濃い緑が降る。東京の夜の匂い。山口瞳なら、このままホテルグランドパレスのロビーでコーヒー、というところだろう。千鳥ヶ淵の夜気をみたすように、鈴虫が鳴きだした。音だけでも、涼しさを感じはじめたころ、ぼくは、神保町のバーへと歩きだすのだった。
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