2019年11月23日土曜日

「LUNCH POEMS@DOKKYO VOL.14」マルティーナ・ディエゴさんが出演



 第14回をむかえた、「LUNCH POEMS@DOKKYO」。今回は、日本に在住するイタリア人詩人、マルティーナ・ディエゴさんをおむかえした。

 ディエゴさんのプロフィールや、当日のイベントの模様を、実行委員会の学生さんたちが公式ホームページで紹介しているので、ぜひ、ごらんください。


 日本の大学に留学経験もあり、ある意味で、ダンテのように故郷をすてて東京にとどまり、詩を書きつづけている、漂鳥のような詩人マルティーナ・ディエゴ。ぼくが知るどんな〝ガイジン〟よりも日本語を流暢に話し、書く詩人。谷川俊太郎氏の詩や夏目漱石の俳句のイタリア語訳者としても知られるディエゴさん。その朗読と詩話は、最初から最後まで完全に日本語で、イタリア語も英語もでてこない。あたたかい人柄とエネルギッシュな話術で、ぐいぐい学生たちを惹きこんでゆくのだった。
 詩は人をあらわす、かどうかはさておき、ディエゴさんが醸す場のエネルギーは、彼の詩ととてもよく似ていた。

 第一日本語詩集『元カノのキスの化け物』から、「一人酒」と「悲しむ隙間の他に」を朗読してくださる。「月の電気の影に奪われて帰って/鍵の騒音と共に一人部屋に入る」(「一人酒」より)という、ネイティブの日本人詩人でも書けそうにない、独特の響きをおびた日本語の詩行が、ディエゴさんの持ち味。彼は、母国語のイタリア語から詩を日本語へ翻訳したのではなく、最初から日本語で書きはじめたという。

ディレクターとして、事前に「イタリア語でも朗読してほしい」と、ディエゴさんには依頼していた。だが、なんと、詩人からは「いまのところ、私の詩は日本語でしか表現できないんです」との返答。たしかに、『元カノのキスの化け物』を母国語で書けば、イタリア語と日本語の音叉から響く不思議なポエジーはかないそうにない。たとえば、「ただいまのこだまが聞こえないこと」というフレーズも、日本人には自然に聴こえる音とリズムでも、ディエゴさんが朗読すると、イタリア語独特の長くて舌がからまるような長母音と破裂音の連なりが効いていて、ラップみたいに聴こえる。

 最後に、ディエゴさんは詩篇「新里」を朗読。この字にも、ふるさと、とルビがふられる。ディエゴさんは、日本での失恋の痛手と海外生活の疲労感をのりこえるためにも、『元カノのキスの化け物』を三ヶ月ほどで一気に書き上げたという。ふるさと、とルビがふられた「新里」は、そんなディエゴさんが、いま、東京に感じる居場所だ。イベント中、『元カノのキスの化け物』をして、「たくましい詩が書きたかった」とくりかえし述べた詩人の姿が印象的だった。

ハイブラウな詩的実験と、ディエゴさんが私淑するアメリカの酔漢詩人チャールズ・ブコウスキーのナイーヴが混淆してうまれる魅力。日本現代詩のシーンにとらわれず、世界現代詩の海へと漕ぎだすディエゴさんの「たくましい詩」を、これからも注目してゆきたくなるイベントだった。

 マルティーナ・ディエゴさん、ほんとうに、ありがとうございました。

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