2021年3月14日日曜日

鬼怒川への旅と蓮田の一夜




  

 東日本大震災から十年の311日、ぼくは、鬼怒川金谷ホテルの仕事で栃木県の鬼怒川へ。サイレンが鳴ったときは、国際ポエトリーサイトの制作準備でもお世話になっているデザインカンパニー、stoopaの池田龍平さん、写真家の砺波周平さんとともに、帰宅途中のちいさな食堂で黙祷を捧げた。

 

 ぼく自身は、東日本大震災十周年について、日本現代詩歌文学館の記念アンソロジーへの作品寄稿やエッセイなどで、いまできる応答をこころみた。

 

 あらためて、震災の犠牲者の方々に哀悼の意を表したい。

 

 おふたりと別れてからは、ぼくは、蓮田駅で下車。おなじく蓮田の神亀酒造の社長さんから薦められた、住宅街に佇む手打蕎麦やさんへ。店名は明かさない。

 

 夕方の早い時間だったが、夕食をすませるために春野菜の天ぷらと、この辺では珍しい十割そば、そしてお銚子を一本たのむ。

天ぷらはいうにおよばず、社長も推輓の十割そばが、まったくざらつかず、ふくよかな蕎麦粉の香がして、逸品だった。女将さんに味を褒めていると、蕎麦やのご夫婦は被災後、福島から蓮田にきて店をひらいたという。 

そうか、これは会津十割そばだったのか。

 

 ほかにお客さんはいなかったから、「もう十年になるんですねえ」と語る女将さんに酌をしてもらいつつ、肴は店主のおまかせで呑みなおした。酒は、福島は宮泉銘醸の寫楽。女将さんから、この十年の話をうかがっていると、店主が「よろしければ、どうぞ」と、福島の鰊山椒をだしてくれた。

 

 冒頭でも書いた国際ポエトリーサイトは、東日本大震災十周年の年にオープンしたいとずっと考えていた。前へ進むことが、ぼくの精一杯の詩的応答であり、最善だと思うから。

 

 物想いに耽りつつ、分院里の盃をあげていたら、緊急事態宣言中の閉店時間、八時にちかづいた。〆に十割そばを、もう一枚。偶然はいったお店だったけれど、店主と女将さんのおかげで福島を身近に感じた。

 

 コロナ次第だけれど、初夏には、左右社WEBで連載中の「詩への旅」の取材も兼ね、草野心平さんの幻影をおってふたたび福島を音ずれたいと考えている。

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