庭の古樹しだれ桜が、例年より10日もはやく開花し、春彼岸の中日には、あれよあれよというまに満開。
春の酒器をだすまえに、春が去ってしまいそうなので、いそいそと春の盃と徳利を桐箱からとりだした。
徳利は、骨董ではなく、古山子こと小山冨士夫作。陶工直筆の箱書には「黒地白釉紋徳利」とある。骨董ではないと書いたけれど、半世紀以上前に焼かれた徳利だ。高さは15センチ、径は9センチ。おおぶりの徳利で、酒は2合半はいる。ぼくの晩酌にはちょうどいい酒量だ。胴の所々がふっくらとゆがんでい、口のひらきがおおらかで、成人男性のひとさし指がちょうど一本はいるくらい。
底には、白釉紋で古山子と彫ってある。底部から腰にかけて指痕がそのまま残されていて、陶工の指先の息吹が伝わる。釉調は画像だと黒光りしているが、実物の鉄釉は酒を吸ってしっとりとしてい、古作の手摺れ感がよく再現されている。写真では再現できない、自然の象る色味だ。掌のうえで徳利の肌を撫でていると、胴の微妙な起伏とあいまって、さわり心地が好い。
輪線もかなりモダンな印象だが、さすがは本歌を愛し研究した小山冨士夫。骨董の盃とあわせてもおもったほど違和感がないのだ。どっしりとおおらかな作行だが、記したように育ち方から使い心地まで細やかに計算されている。酒豪で鳴らした小山冨士夫は酒器づくりが巧い。おおいに酒徒好きのする徳利である。
あわせた盃は、冬からつかっている龍泉窯南宋青磁盃(右)、そして、拙ブログ初登場になる古萩七化盃(左)。伝世品の完器。共箱には「江戸時代作」と書かれている。
七化、とは、最上の陶土は吸水性が高く、酒を注ぎつづけることで色味が急流のように変化してしまい、育つというよりは文字通り「化ける」器のことをいう。
この盃の土は大道土らしく、高台の内側はなめらかな白。たぶん、焼成時は、雪色をめざした盃だったのだろう。けれども、写真のごとく、永い歳月にわたり酒を注がれることで元の色肌に帰れないほど変化してしまい、現在は花曇りに観る桜花の色彩に変化している。いわば、旅する盃、失郷の盃である。
箱の蓋裏には墨字で「早蕨」という銘があり、いまの色調ともまた異なっていたことが察される。うまい銘だ。ちなみに、ぼくはこの盃を「流桜」と仮銘して遊ぶ。
春は気分がゆるやかになり、酒器もおおらかなものが好もしいが、早春にぴったりの盃だとはおもう。けだし、古山子の徳利とあわせるには、なにかがたりない。
この徳利とあわせるなら、もっと素直で、自然の雄大さを感じさせる盃がほしい。希わくば、桃山時代の無地志野盃。しかも、ややおおぶりで口径がひろくあき、肌は人肌色に焼きあがった作が好もしい。まあ、ぼくにとって、そんな名器は夢幻にすぎないが…その夢の盃と古山子の徳利なら、理想の酒器のひとつとなるだろう。
夢と桜を愛でつつ、昼から花見酒を愉しんだ。
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