以前、古山子こと小山冨士夫作の徳利について書いたとき。桃山時代の無地志野盃ととりあわせられれば理想、と書いた。
すると、近頃、頻々に骨董についての手紙やメールを交わしている詩人の城戸朱理さんが、誕生日の祝い物にと、なにやら小包をお送りくださった。
小包を落掌し、開封してみて、おどろく。
桃山時代の織部志野盃が、はいっていた。
無地志野なら紅も差し、人肌のごとき温みある色だが、「織部志野は雪のような青みを帯びて、それもいいものです」と、送り状にあった。その盃は、古唐津の山瀬窯盃の肌を想わせる灰青でもある。
お気持ちもうれしくて、二合半はいる古山子の徳利を三度みたし、半升瓶を呑みあかした誕生日だった。
翌日、一枚板のテーブルにのこされた盃と徳利を、城戸さんにスマホで写メしたら、「志野織部の盃も古山子の徳利も唐子の古染付皿も、まるで昔からそこにあった感じがするのが面白かった」とのご感想をいただきました。
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