2017年8月28日月曜日

ちいさな夏休み、その2





わが軽自動車ジムニーを駆って、埼玉の秘境、飯能市へ。

高麗神社(こま・じんじゃ)でお参り。高麗神社というと、ゴーゾ先生、詩人の吉増剛造さんの詩集『オシリス 石の神』に登場するマイナー神社だ。

西暦716年、高句麗國を追われた高句麗人のため、武蔵国に高麗郡をもうけ、厚遇し住まわせたのが由来で、奉られているのは、高句麗人の王族、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)。全国でもめずらしい、異人を異人として祀る神社です。

奥武蔵に、こんな独立国のような郡があった史実を知る人はすくない。埼玉県北部には昔から、朝鮮民族との交流を偲ばせる文化がある。たとえば、朝鮮料理の影響を受けた、郷土料理とか。

ぼくの母方の祖父は、農家だったのだけれど、日本海軍人として出征し、敗戦後は、現金収入を得るためにドカタ仕事をしていた。そのとき、朝鮮人の労働者と交流したらしい。ドカタ仕事の昼飯時、朝鮮の男や女たちは、七輪に鉄網をのせ、焼き肉をしていたという。戦後の、食材のかぎられた埼玉県北部で、祖父は豚の焼き肉をわけてもらい、その旨さに感嘆し、ナムルの作り方を教わった。そんな祖父は、けっして、人種差別的な発言をしなかった。

十年は参拝していなかった高麗神社の容は、ぼくの記憶とちがっていた。杉の古木がたちならんだ、奥武蔵の低山にいだかれたかたちはおなじ。けれど、社はもっと古侘びていて、巨きな注連縄がめぐらしてあり、全体が近づきがたく厳しい気をはなっていたように思う。社殿は、三年ほどまえに建て替えられ、場所もすこし、山肌から遠のいたそうだ。なるほど。9月に招聘されている、韓国政府主催「平昌・韓日中詩人祭2017」の成功と、無事帰国を祈願した。

お参りのあとは、ちかくの清流、高麗川へ。早瀬の水がきれいで、冷たくて、満足いくまで涼をとる。写真の石は、河原でひろった自然石。うすいグリーンの緑泥石片岩は、水流に磨かれ、濡らすときらきら光る。若葉みたいなかたちだ。ぼくは、旅先でお土産や記念品を買うのを、好まない。でも、よく、自然が造形した石をひろって帰る。そんな小石が、机上にいくつもころがっている。紙押さえにも便利だけれど、言葉に倦んだとき、ぼくは、よく掌に石をのせ、重さをはかったり、にぎったり、指腹でなぜたりするのだ。そして、また、ペンを執る。

川遊びのあとは、埼玉県北名物の地うどんを食べに。高麗駅ちかくの「はら」にゆく。写真は、有機ではなく、無肥料、無農薬、完全自家栽培のうどん粉で「ぶつ」、こだわりの「水うどん」。どうして、水うどんかというと、つゆにつけて食べるより、真水や塩をつけて食べたほうが美味、というのが名の由来らしい。たしかに、粉そのものの芳醇な馨。もちもちとしつつ、さらりとした舌触り。ぼくは初めて、塩をつけて食べるうどんを、旨い、と思った。並300gをぺろりとたいあげる。

飯能市、ちょっと遠いけど、いい山里だ。ちいさな夏休みの一日が、あっというまに暮れて。 

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