〆切におわれ、風邪をひいたりと、ブログの更新がまたおろそかになってしまいました。
先週の木曜日、11/16に、記念すべき第10回「LUNCH POEMES@DOKKYO」が、好評のうちに閉幕。今回のゲストは、詩のみならず、児童書『ごはんはおいしい』(写真:鈴木理策、福音書館)を刊行されたばかりの詩人、ぱくきょんみさん。翻訳、絵本、エッセイとジャンルを越境し多彩に活躍されている。
第一詩集『すうぷ』から、『その子』、『ねこがねこ子をくわえてやってくる』、最新詩集『何処何様如何草子』まで、たっぷり朗読してくださった。
ぱくさんの詩は、一見、ひらがなの多い、平易な日本語で書かれている。でも、その詩の言葉をよく味わうと、日本語そのものが、じつは多言語性へとひらかれており、他者と他世界との複雑な翻訳関係を内包していることに気づかせてくれる。その詩風の源には、在日韓国朝鮮人二世という、ぱくさんご自身のバックボーンがあるのかもしれない。ぱくさんの洗練されたモダン、実験的な詩を、ぼくは好んできたのだけれど、今回の朗読とお話からべつの姿も見えてきた。
1、ぱくさんの詩には、食べること(食物・食事・料理)がよく登場する。どうしてかな、と思っていた。お話の冒頭で、ぱくさんが詩に興味をもたれたのは、ラジオできいた詩人・石垣りんの朗読がきっかけだったという。ぱくさんといえば、ご自身も翻訳された、実験的な詩風で知られるアメリカの女性詩人ガートルード・スタインというイメージがあったから、これは、意外。
2、死への興味。東電OL殺害事件をはじめ、社会的事件をからめながら、殺人事件について詩を書くこともある、ぱくさん。もともとミステリやホラー、犯罪学の本も大好きなのだとか。これも、意外。とはいえ、ぱくさんは社会にたいしつよい関心をおもちだし、死への関心も、国や言語のみならず、あの世とこの世の境にあらがいがたく魅かれているからかも。
3、シネフィル(映画狂)を自覚されていて、いまもたくさん映画を観られている。最近、出色の作だったのは、M・ナイト・シャマラン監督の『スプリット』。これも、怖い系ですね。イベント後の昼食会で、学生さんと『ブレードランナー 2049』について論争する場面もあった。詩を書くときも、映画、映像を意識するとか。
幻の母国、韓国を書く連作詩「ハングゲ」(韓国へ、という意味)も朗読してくださる。ぱくさんのお話からも、近年の詩は、時間や記憶をモティーフにした作品がおおいようだ。
後日、ぱくさんが、本番では使用できなかった石垣りんの朗読を送ってくださる。ぼくは、ぱくさんの声を思いうかべながら、石垣りんの朗読に聴きいった。
ぱくさんの朗読は、詩の言葉の喉元から咲きだすような朗読だった。言葉の陰影と味わいが深まってゆくような、とてもいい詩人の声だった。
後日、ぱくさんが、本番では使用できなかった石垣りんの朗読を送ってくださる。ぼくは、ぱくさんの声を思いうかべながら、石垣りんの朗読に聴きいった。
ぱくさんの朗読は、詩の言葉の喉元から咲きだすような朗読だった。言葉の陰影と味わいが深まってゆくような、とてもいい詩人の声だった。
ぱくきょんみさん、ありがとうございました!
次回12/21開催の「LUNCH
POEMES@DOKKYO vol.11」は、詩人のヤリタミサコさんをゲストにおむかえする予定です。ことし九月に他界された詩人、藤富保男さんとの思い出や、長年の交流についても語っていただく予定です。
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