2019年5月2日木曜日

浅草へ、どぜうで一杯。








  ゴールデンウィークは、ひたすら、執筆だった。

 どうも疲れたし、ふだん使いの満寿屋の原稿用紙も尽きかけているから、浅草にでかけ、呑みにゆく。‎一月にいちどは、どぜう鍋で一杯やり、精をつけたいのだった。ついでに、原稿用紙も買おう。

 昼下がりの、すこし空きはじめた、駒形どぜう本店へ。一階の桟敷席に案内してもらう。簀をしいた床にじかに檜かなにかの厚い一枚板がわたされてい、客は板をはさんで二列に座って食事をする。
 この駒形どぜう独特の食卓は、創業者が話題作りのために考案したのだとか。往時は、お給仕さんも秋田出身の女性、つまり、秋田美人のみ。これも、創業者の話題作りのアイディア。

 浅草の不良酔人、阿佐田哲也をはじめ、文士がかよった駒形どぜうだが、詩人の西脇順三郎や蔵前に引越した筑摩書房時代の吉岡実が称賛した店でもある。鰻もいいが、どぜうはとにかく精がつき、江戸風流な味わいが酒徒にはたまらない。

 前回、書いた、空蓮房の谷口昌良さんは駒形橋ちかくの生まれで、いつぞや、浅草流のどぜう鍋の食し方を指南いただいたことがある。

 ともかくも、着座し、どぜう鍋定食とぬる燗をたのむ。定食は、鍋のほか、田楽、ご飯、どぜう汁‎がつく。どぜう鍋は、マル、サキの二種類があるが、マルは、どぜうが丸身のままはいり、サキは身がひらいてある。

 甘い白味噌と柚子風味の田楽をほおばり、ぬる燗で一杯やり、鍋が煮えるのをまつ。おっと、そのまえに、青葱と山椒をどぜうが隠れるまで、盛れるだけ盛ろう。‎
 葱がしんなりしてきたら、どぜうとともに箸で口にはこぶ。このとき、中皿ではなく小皿でちびちび食べるのが、いわゆる、江戸浅草しみったれの美学なのだ 笑

 ここで、お銚子が三本は空く。

 さて、どぜうを食べ終えた時点で、お食事、ご飯とどぜう汁をたのむ。ここで、身がなくなり出汁だけになった鍋に、やおら、のこりの葱を盛る。葱がしんなりしてきたら出汁とよくまぜ、熱々の葱出汁をご飯にかけて食べるのである。食が太い方は、おかわりもしよう。おかずは、どぜう汁にたっぷりはいったどぜうの身で十分。なんと優雅な、しみったれの美学。

 酒粕をたっぷりつかったどぜう汁は、こくがあり、ちっとも臭くなく、美味です。

 たっぷり呑み、食べたあとは、余計なことは考えず、電車が混まないうちにまっすぐ帰宅。海外ミステリを読み、のんびり午睡でもして、英気を養うのだった。

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