そういえば、昨年末、学生さんたちと東京神田神保町に遊んだとき、古書「呂古書房」で、珍本を発掘した。
北園克衛の句集『村』である。
一九八〇年、書肆「瓦蘭堂」からの刊行、とある。この薄手の句集を呂古書房の棚で目にしたとき、かの〝ハイブラウ〟な前衛詩人が、え、句集?というのが、正直な、ぼくの第一印象。最初は、同姓同名の俳人かとおもった。
興をおぼえ、店主にたのんで本をあらためさせてもらうと、正真正銘、あの北園克衛の句集である。
刊行年をみて、ピンときた方もあるとおもうが、北園克衛没後の出版。奥付をみると、編者が船木仁、藤富保男(写真も)、装幀が高橋昭八郎という錚々たるメンバーだ。推測でしかないが、北園克衛の三回忌にあわせて、編者たちにより編まれ刊行され、おもに親族や親しき人にくばられたのではなかろうか。『村』は、生前の北園克衛が「瓦蘭堂」俳号で、八十島稔主催の句誌「風流陣」に四八号まで投句していた作品と、その後発見された「句帖」、「走り書き帖」から編纂されたという。巻末の句論「俳句近感」で北園克衛は、俳句が「スケッチに陥ちたり、都会化してゆくのは寧ろつまらない」とも書く。
編者の藤富保男さんによれば、『村』というタイトルは、北園克衛がしばしばエッセイに登場させた故郷三重県伊勢市朝熊町の「村」からも着想された。北園克衛の句にたちゆれる望郷の情をとらえての、高橋昭八郎さんの装幀も、すごく、いい。本文用紙は和紙、表紙は落ち着いたベージュの特殊紙。タイトルの墨書は北園克衛の筆。表紙デザインが、校正稿のトンボにみえる。村から漂う往の日本情緒と、都会的なモダンのセンスが融合しているのだ。
藤富保男さん撮影の、「村」の雰囲気をのこす北園克衛生家周辺の写真も、貴重な資料といえよう。
ぼくは、ソファに寝そべって『村』を読み、元旦の初読書を愉しんだ。最後に、北園克衛の俳句をひいてみよう。
元日を句ならずうつらうつらかな
荒れし床に梅一輪の日頃かな
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