2021年9月3日金曜日

ある一日、新倉俊一先生に

 


  夫婦で逗子に遊んだ。


 ただ、ただ、静かに海を眺めに。


 駅ちかくの、魚屋さん直営の居酒屋で昼餉。近海魚のお刺身、大盛の釜揚げしらすご飯。緊急事態宣言で呑めずとも、来たかいはあり。


 それから、海岸沿いにそぞろ歩き、標高90メートルの山頂まで、ちいさな山登りをした。木陰が涼しくて、鬼やんまが芒のうえを飛びかい、野生の百日紅が緑と海に映えて美しかった。


 だれもいない山頂から、江ノ島、三浦半島、煌めく相模の海を飽きるまで眺めた。そして、逗子の空にちかい場所で、ぼくは、そっと新倉俊一先生の最晩年の詩集『ウナジョルナータ』

の詩を口遊む。


まだ神無月だというのに

アフロディーテやらアテナイやら

女神たちがつぎつぎと

海を渡ってやってくる

             (「ある一日」より)


 新倉俊一先生は、いうまでもなく、エズラ・パウンド、エミリ・ディキンソン、西脇順三郎研究の大家であり、英米詩の翻訳者・紹介者として高名だが、詩人としても知られている。けれども、先生が自作詩集を刊行されたのは、2000年代にはいってからのこと。ちなみに、『ウナジョルナータ』は、装幀がユニークだ。表紙は西脇順三郎のデッサン画で飾られているのだけれど、まったく同じ絵が、新倉先生が1976年に角川書店から翻訳刊行された『エズラ・パウンド詩集』の裏表紙に使用されている(つまり、この二冊の表紙と裏表紙は鏡像のように反転している)。『ウナジョルナータ』を新倉先生からご恵贈いただいた折、「あれ、この詩集、どこかでみたことが…」と不思議な既視感に悩まされた。


 ぼくは、大学院生のころ、新倉先生のエドガー・アラン・ポーについての講義を受けた。現代哲学、数学、記号論にインスパイアされたぼくのレポートは、ほかの教授からはCだのFだのをいただいたが、新倉先生だけはAプラスをくださった。一年間の講義の最終日に、新倉先生は大学院生たちのまえでにかみながら、「いつも他者の詩ばかり読んだり書いたりしてきたけれど、たまにはこういう娯しみもないとね」とおっしゃり、西脇順三郎が登場する長い自作詩を朗読してくださった。もう、二十年以上まえのことで、当時、先生はまだご自身の詩を発表されたり、詩集にまとめたりはされていなかった。


 そんな先生の姿に、ぼくは、不思議な感動をおぼえた。新倉先生は、壮年のポエジーを他者に惜しみなく与え、老年のポエジーをご自身のためにとっておかれたのかもしれない。真摯で、紳士な先生は、そういう方だったようにおもう。


 新倉先生、どうぞ、安らかにお眠りください。

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