2017年5月21日日曜日

「LUNCH POEMS@DOKKYO」Vol.6


写真前列中央・佐峰存氏

詩人の佐峰存さんを迎えた第6回「LUNCH POEMS@DOKKYO」が、無事、閉幕しました。

第一詩集『対岸へと』(思潮社)が、昨年度のH氏賞候補作となり、話題をよんだ佐峰存さん。ぼくも、ロンドン詩界の気鋭James Byronが編集長をつとめるポエトリー・マガジン「WOLF」に、『対岸へと』から英訳詩の掲載をお願いしたことがある。佐峰さんは、『対岸へと』におさめられた詩篇「砂の生活」の英訳“Life In The Sand”を寄せられた。しかも、英訳を、ご自分で手がけられて。というのも、佐峰さん、書く詩もいいのだけれど、アメリカの名門イエール大学を卒業されていて、英語も堪能なのだ。

現代音楽とのコラボをはじめ、他者と多数にひらかれた、グローバルな詩人としても活躍が期待される佐峰さんだが、今回の「LUNCH POEMS@DOKKYO」での目玉は、佐峰さんご本人による“Life In The Sand”の英語による朗読だろう。後日、YouTubeなどにアップを予定している映像を、ぜひ、お愉しみに。

https://hara-zemi.jimdo.com/lunch-poems-dokkyo/

佐峰さんの詩は、現代詩に馴染みのない学生さんには、実験的で、難解だったかもしれない。でも、佐峰さんの落ち着いた声と明晰なお話は、活字では聴きとれないなにかをとどけてくれる。作者ご本人の声と姿が語る言葉は、特別な言葉だし、詩人と出逢う機会がどんなに貴重な体験かを教えてくれた。

本番収録後の質問コーナーでは、海外客員教授のジュディ・ハレスキさんと、友人で、カリフォルニアはバークレーからこられた詩人のバーバラさんからも質問。佐峰さんは英語で応答されたのだが、ぼくらも、英語で参加して、会場はいつもとはちがう盛り上がりを見せた。獨協大学外国語学部主催の「LUNCH POEMS@DOKKYO」ならではの光景だった。


佐峰存さん、ご来場のみなさま、ほんとうにありがとうございました。

2017年5月14日日曜日

熊を届けに—郡上八幡旅行記



ゴールデンウィーク、いかがおすごしでしたか?

ぼくは妻と、岐阜から、郡上八幡、高畑温泉へと旅してきました。

郡上は、生まれて初めて。義理の妹夫婦、古瀬一家が移住した土地。生後四ヶ月になる第一子、きっぺいくんを育てている。美しき〈水の町〉・郡上八幡の中心に、長良川へとそそぐ清流・吉田川と小駄良川が合流する。街の小径という小径には、水路がめぐらされ、清水が流れている。街のどこにいても、鈴を鳴らすように涼やかな水音がして、透きとおった水には、にしき鯉が泳いでいる。山の緑ときれいな空気、そしてゆたかな水系に育まれた郡上八幡は、子育てに、とてもいい街だろう。









自然だけじゃない。郡上八幡はもともと織物や染物で名高い、伝統ある商いの街。郡上城を戴く城下町だ。いならぶ歴史的保存建築の町家には、郡上の人々が実際に住まわれていて、まさに、タイムスリップしたような時空がひらけている。そして、超新鮮な川魚や山菜をふんだんにつかう呑み屋が多く、しかも、安い。

岐阜に講演にきた美食小説家・立原正秋がかよったという郡上鰻の名店「魚寅」。関東風に蒸すのではなく、注文を受けてからさばいた鰻を備長炭で直火焼きする、関西風でだすのだが、その身は蒸したように甘く、やわらかい。蒸さないので、旨味がそのままぎゅっと身にとどまっている。おすすめの酒は、郡上の地酒「ダルマ正宗」。黄味がかった三年ものの古酒だけれど、まったく臭みがなく、コクがあるのに呑みやすい。







伝統文化だけではなく、おしゃれな家具屋や、地ビールを自家醸造する「郡上八幡麦酒こぼこぼ」ブリュワーリーもある。

地酒は絶品、逸品ぞろいです。市販のお茶パックでさえ、郡上の水で煎れると、玉露のごときまろやかな味になる。その水で造った酒の味たるや、いわずもがな、だ。老舗「上田酒店」の「郡上踊 純米酒 樽酒」を、一杯。郡上白鳥山中にある鍾乳洞の水、日本でもめずらしい純粋硬水で造るという酒は、口あたりがとにかくなめらかで、フルティーな馨が鼻腔にまっすぐ、さわやかに吹きこむ。時を経ると、米と水の風味がしっとりと舌をつつみこんだ。よく、「美酒は水のごとし」なんていうけれど、「郡上踊」にはこの言葉がぴったりくる。水って、酒造りには大切なんだなあ、と実感させてくれるいい酒だ。









翌日は、街から車で二十分ほど静かな山間にはいった、秘湯高畑温泉湯之元に投宿。郡上は鮎でも有名だが、稚鮎は六月の第一土曜日をすぎないと、解禁にならない。でも、天然温泉でゆっくり疲れをほぐしたあとは、川釣りの「天魚」(アマゴ)を、活け作りと焼き魚でいただく。









アマゴは、いまが旬。卵をはらみかけて、よく脂がのっている。とても警戒心のつよい魚で、一日に釣れるのは、鮎七尾にたいしアマゴ一尾、だとか。刺身は、クセも臭みもない。意外なことに、瑞々しい桜色をした身はとろっとまろやかで、舌感触もいい。かすかに笹を思わせる、不思議な馨が口中にじわじわひろまる。たぶん、ここのアマゴを食しつづけたら、新鮮な海魚さえ臭く感じてくるだろう。熟れた野生の果実のようで、酒がなくとも、ただただ、食べていたい川魚だ。郡上八幡でさえ、天然のアマゴの刺身はおろか焼き魚も食べられない。渓流にちかい、山中の宿だからこそ供することのできる料理だろう。

そんな、自然も伝統も文化もある旧い土地だもの。ぼくのような詩人には、たまらない。いつか、ここに逗留して、詩を書いてみたい。

さて、ぼくらの旅の目的には、郡上ですくすく育つきっぺいくんに、ロンドンはパディントンから来日した「パディントン・ベア」を届ける、という使命があった。

パディントンが「やあ」とあいさつすると、きっぺいくんは、にこ〜っと笑い、頭から、ガブッとお口にいれたのだった。










2017年5月4日木曜日

空蓮房での個展




新緑の美しいゴールデンウィーク、いかがおすごしですか?

6月1日から6月30日まで、蔵前のギャラリー「空蓮房」で、詩人・石田瑞穂の個展が開催されます。展示は、拙詩集『耳の笹舟』の装幀者でもある、装幀家・奥定泰之さんがアートディレクターをつとめる。

そして、本源的な書作品と並行して、直木賞作家の宮部みゆき氏や山本兼一氏の題字も手がける人気書家・北村宗介さんが、作品をともに展示。詳細は、下記リンク、空蓮房ホームページをご覧ください。

http://www.kurenboh.com/

今月中旬には遠藤朋之さんによる英訳バージョンもアップされる予定です。

蔵前のお寺、長應院の境内にある空蓮房は、とてもユニークな写真専門のギャラリーとして知られている。茶室とほぼ同構造のモダンなギャラリーは完全予約制で、一回の観覧につき一名しか入場できない。観客一名の観覧時間は最大一時間。そのあいだ、観客はギャラリー内部で、一対一で展示作品とむきあうことができるのだ。空蓮房を主催する谷口昌良さんいわく、視ることを根底から問いなおすためのギャラリーだという。

過去には、写真家の港千尋氏、鈴木理策氏、彫刻家の内藤礼氏など、錚々たるアーティストたちが個展を開催して反響をよんだ。

詩人の個展は、ぼくが初めて。

そして、6月24日には、アメリカから来日中の女性詩人ジュディ・ハレスキさん、オイリュトミスト/ダンサーの鯨井謙太郎さんが出演するクロージングイベントが開催!

それにしても、ぼくはもとより、各界から豪華なアーティストたちがつどってくださった。個展なのに、他力本願? 笑

ぜひ、おこしください。

2017年5月3日水曜日

第五回「LUNCH POEMS@DOKKYO」閉幕


2017年4月20日、今年度最初となる第五回「LUNCH POEMS@DOKKYO」が、無事、閉幕しました。

ゲストは、いま注目の若手女性詩人、暁方ミセイさん。学生時代に書かれた作品もおさめられているという第一詩集『ウイルスちゃん』から、朗読と、自作解説をしていただいた。暁方さん、ほんとうに、ありがとうございました。

獨協大学外国語学部の学生たちも喜んでいたし、だんだんと、学外からおこしのお客さんもふえてきた。当日の詳細や学生たちのレビューは、下記リンク、「LUNCH POEMS@DOKKYO」実行委員会が設置されている原ゼミ公式ホームページをご覧ください。また、「LUNCH POEMS@DOKKYO」公式サイトも、来月の完成をめざして鋭意制作中。暁方ミセイさんの朗読と講演動画も、アップの予定です。お愉しみに!

https://hara-zemi.jimdo.com/

今回の「LUNCH POEMS@DOKKYO」、今春から獨協大学に客員教授として招かれているアメリカの女性詩人、ジュディ・ハレスキ(Judy Halebsky)博士も観覧された。ぼくとミセイさんは、イベントのあと、ジュディの研究室に招待され、しばし歓談。

ドクタ・ハレスキは、カリフォルニアはオークランド在住の詩人。ドミニカン大学教授でもある。金沢と東京の大学でスカラシップを得て留学されており、四年間の滞日経験もある。詩のみならず、彫刻、俳句、舞踏、能楽も研究されていて、そのすべてが、彼女の詩作品に織り編まれてゆく。真にマルティカルチャラルな、実力ある詩の書き手だ。

じつは、その、ジュディ・ハレスキさんとコラボレーションする予定があります。次回のブログをお愉しみに。

みなさん、よいゴールデンウィークをおすごしください。


2017年4月23日日曜日

「哀悼ー生きうるための言葉を求めて」無事閉会





去る四月十五日、日曜日。東陽町の「アートスペース  Kiten」にて、朗読とトーク「哀悼ー生きうるための言葉を求めて」が開催。三時間にもおよぶ、熱気あふれるイベントになった。ぼくにとっても充実した、新たな出逢いをもたらしてくれた会。ご来場くださり、時間を共有してくださったみなさまに、お礼を申し上げます。

イベントの企画者であり、コーディネーターでもある詩人・俳人・批評家の生野毅さんは哀悼でありながら鬼気迫る朗読をされた。伴奏者の入澤明夫さんは、三器のオカリナをつかいこなして、ほとんど初見で詩と即興演奏する。本イベントの縁起ともなった、後藤健二氏と湯川遥菜氏にささげられた詩篇「哀悼」を書かれた添田馨さんも、「初朗読」とは思えない、巧みな、じつに堂々としたリーディングで聴衆を魅了していた。会場には、詩人批評家の近藤洋太さん、渡辺めぐみさん、現代思想や表象文化論の論者・宗近真一郎さん、トランス・ジェンダーアーティスト/パフォーマーの坂本美蘭さんの姿もある。

本イベントの模様は映像作家の安東順健さんの手で撮影されており、ゆくゆくはDVD化され、YouTubeなどでもアップされていく予定だとか。よって、本ブログの写真も、冒頭の入澤明夫さんのリハ光景と、文末の大宮での打ち合わせ時のスナップのみです。むかって右列の手前から添田さん、生野さん、安藤さん。左列手前から、入澤さん、ぼく。
饗宴のみなさんにも、あらためて、お礼を。





見沼の桜回廊


みなさんは、ことし、どんなお花見をされたでしょう。ぼくは、例年どおり、見沼の「桜回廊」を彷徨していました。

花見なのに、彷徨、という言葉づかいは適さないと思われる方もいるかも。でも、ぼくの住んでいる見沼の桜並木は、ほんとうに、長い。元来、東京湾とも接した昔の見沼は遠浅の海。地名にも「東縁(岸)」、「西縁(岸)」がある。その、かつての海、いまは広い広い農業保護区を囲繞する東縁から西縁にかけて、断続的に桜並木が植樹されているのだ。全長、なんと約二〇・二キロメートル。桜並木がぜんぶつながれば、青森県岩木山の桜並木をぬいて日本一の長さになるという。

個人的には、見沼の桜は日本一などにはならずに、知る人ぞ知る静穏な桜の名所であってほしい。








延々尽きせぬこの桜のしたを、ぼくは毎年、七、八キロだけ漂流する。胡坐で花見酒、はしない。スキットルにシングルモルトをいれて、歩きながら、ちびり、ちびり。今年は花冷えの春日がつづき、永く花が保った。そんな年は桜もゆっくりと散華するので、道が花びらいっぱいにちり敷かれ、桜の雪景色のようになる。

枝には、桜の小鳥、キビタキ(黄鶲)がきて、かまびすしく鳴きかわし、冬鳥のヒヨドリと陣取合戦にあけくれている。キツツキも幹をドラミングして。さわがしいせいか、めずらしくコダカが空で旋回していた。タンポポ、レンギョウ、ゴマノハグサ、モクレン、セイヨウナノハナ、ドウダンツツジもいっせいに咲いて。

そして、とうとう、桜の花も本格的にちりはじめた、ある朝。見沼代用水沿いを散歩していたら、お腹のおおきな鴨が、フェンスにとまったまま威風堂々、わがもの顔でがあがあ鳴いている。龍神や女神伝説の風光が、かろうじていまものこる、見沼。いつまでも、のどかで、平和でいてほしい。

桜さん、ことしもありがとう。また来年、お会いできますように。




2017年4月6日木曜日

さくら、さくーイベントの告知も


とうとう、庭の枝垂れ桜が満開に。雪だみぞれだと、寒い日がつづいたから、春、の実感が湧かなかったけれど。陽がぬるみだしたとたん、薄紅に滝のごとく咲きこぼれた。

これはもう、花見酒、しなきゃ。そんな、逸る気持ちをおさえつつ、まずは春の到来を、純粋に寿ぎたく。


かくして、ぼくの机上に、風に飛ばされてきた桜の花びらの色をした、ちいさな詩集がとどく。菊井朋氏の第一詩集『耳の生存』(七月堂)。無論、拙詩集とは別個の長篇詩、別の「音」にみちびかれ書かれた詩集で、とても不思議なざわめきをつつみこんだ言葉たちだ。


「数えることのできないほどの
大勢の耳たちが
いちもくさんに駆け出す
やわらかに震える耳朶を白く輝かせ
とても幸せそうだ(あれはなんという花だろう)

窓が待っている 駆け出す耳の周りでチラチラと
塵が金色に輝き いのちのウネリを見せ始め
蜂蜜のように甘く香る 降るのは
針のような雨
夕焼けが町を染め
影絵のように
わたしのこころは立ち尽くす
やがて虹がかかるのだ
このひらかれた幸福に」


「このひらかれた幸福に」、そう、春のとば口に咲く生命のあいまに、死者や、潮騒や、見えないものたちが擦過して、あえかな音を遺して去来する。その「音」の源は、詩集に差しはさまれた、村上昭夫の詩「雪」(『動物哀歌』)にもあるみたいだ。だれにも聴こえないはずの音楽を、彼岸と此岸を吹き抜ける風電話のように詩がうたう。



さて、ぼくがロンドンから日本に帰国した直後の三月二十二日。イナー・ロンドンにある国会議事堂のちかくで、イスラム主義に影響をうけたとされる男によりテロ事件がひきおこされた。その数日前に、ぼくも詩人や編集者たちとともに、テロの犯行現場から目と鼻の先のウェストミンスター寺院やビッグベンを観光したばかりだった。この場をかりて、哀悼の意をささげます。

I wish to express my deepest condolences to those who lost loved ones by the terrorist acts and attacks on March 22nd, and also to express my sympathy  to all who in London.

そして、きたる四月十五日土曜日。東京の東陽町にある「アートスペース.kiten」にて、まさに「哀悼ー生きうるための言葉を求めて」が、開催。詩人・俳人・批評家の生野毅さんの企画で、詩人の添田馨さん、音楽家の入澤明夫さん、それからぼくも出演します。

二〇一四年八月に、イスラム過激派組織「ISL」にシリアで拘束されたと見られる湯川遥菜さんと、ジャーナリストの後藤健二さんが、翌十五年二月に、同組織により殺害されてしまった事件は記憶にあたらしい。添田さんは、このテロ事件を背景に詩篇「哀悼」を発表された。この詩に感銘をうけた生野さんが、何重にもアポリア(難問)をはらんだこの事件を、詩の哀悼の言葉から問いかえしたいという。さすがは、生野さん。じつにジャープな企画で、ぼく自身、とても挑みがいのあるイベントと感じていて、いまから愉しみ。ぜひ、ご来場ください。