2020年6月29日月曜日

7/5トーキョー・ポエケットの開催中止



ポエケット事務局から、お知らせをいただきました。

告知をだしたばかりでしたが…先週のコロナ感染者数の増加により、東京都の要請で、ことしのトーキョー・ポエケットは開催中止とあいなれり。ポエケットで、開催中止は今回が初めてだとか。

こころから、残念です。

来場をたのしみにしてくださったみなさま、ごめんなさい。

また、出展ブースを予定していた方々や、ポエケット事務局、運営委員のみなさんの落胆とご苦労もいかばかりかと察して余りあります。

とはいえ、来年2021年にむけて、ポエケットは開催復活をめざすという。内々にだが、ぼくも、来年の出演のオファーをいただいた。光栄です。

けさは仕事でたちよった神田のニコライ堂でコロナ平癒のお参り。

来年こそは、笑顔で、会場でお逢いしたいですね。

それまで、ポエケットを応援しつつ、力をあわせてコロナをのりきりたいとおもいます。

2020年6月27日土曜日

ポエケット with PEDES



 きたる7月5日日曜日、「トーキョー ポエケット イン 江戸博2020」にゲストポエットとして招かれている。その際、ブースもだすのだけれど、ぼくが詩を寄せた新創刊の詩誌「PEDES」と共同で出展します。
 売れ行き好調の「PEDES」は、田上友也氏、二宮豊氏を二十代前半の詩人が中心になって立ち上げた。ゲスト詩人は、宿久理花子氏。詩のほかに、田澤敬哉氏の小説、やなかいずみ氏の写真作品、箕芳氏のグラフィックノベルなども掲載。デザインも、ヒップでカッコイイ。本ブログやイベントでも定期的に共演している、ご存じの面々だ。

 その詩誌からは「今 ここ」がひしひしと伝わってくる。ポエムではなく、この世界にポイエーシス(創造)とはなにかを問いかけるエディティングだからだろう。
 はや四年のつきあいになる田上氏、二宮氏の詩作品、時流にとらわれない個は、一年毎に着実に成長している。
 また、今回、初読の田澤氏の短編小説「鳥打帽」にも、おどろかされた。田澤氏の詩はキーンであり、先鋭。しかし、小説のほうは、けっして派手ではないが、丹念に文の呼吸をかさねながら、じつに繊細に、濃やかな情感を紡ぎあげてくる。小説も、今後がたのしみだ。

 そんな若いメンバーたちとだすブースは、純粋にワクワクする。
 ちなみに、「PEDES」の巻頭には、ぼくの「AO」という詩が掲られている。すばらしくステキなデザインをほどこされ、満寿屋の手書き原稿のまま。ほんとうに、光栄です。が、徒花、異彩をはなってしまっているかも。誌面を汚していないかしらん。

 当日は谷口昌良氏との写真詩画集『空を掴め』と、最新詩集の『Asian Dream』謹製署名本も持ち込みます。レンカさんの踊りも、乞うご期待。本ホームページのニュース欄もご覧ください。
 今年はコロナもあって、短いひとときですが、会場でお会いできるのをたのしみにしています!

2020年6月15日月曜日

谷口昌良+石田瑞穂『空を掴め Catch the Emptiness』刊行




現代アート界で注目をあつめる、六本木の新進気鋭のギャラリー「YUTAKA KIKUTAKE GALLARY」出版部から新刊が出版されました。写真家の谷口昌良氏とぼくの共著、写真詩画集(とでも名づけるべきだろうか)『空を掴め Catch the Emptiness』です。
カドミウムグリーンのドイツ装、A5ノートよりひとまわりちいさい瀟洒なたたずまいが、ぐっときます。

So Booksのリリースはこちらから。

ご存知、谷口昌良さんは本ブログでも何度も登場している。アートギャラリー「空蓮房」を主催される写真家にして僧侶、さらにはギャラリスト、写真評論家、コレクターとしても知られる。谷口さんは、1979年に渡米。ニューヨークでニュー・カラー・フォトグラフィの旗手レオ・ルビンファインに師事した。帰国後は二十年以上の沈黙を経て、2009年から写真集『写真少年』シリーズや、写真家の畠山直哉氏との共著『空蓮房 仏教と写真』を上梓され意欲的に作品発表や執筆活動にとりくんでいる。以後、谷口さんの写真作品は、サンフランシスコ近代美術館およびデンバー美術館のパブリックコレクションにも収蔵され話題をよんだのだった。

谷口さんは、2018年から静岡の三保の松原を定期的に訪れ、アナログカメラを片手に撮影旅行をはじめた。重度の近眼で乱視の谷口さんだが、あえて眼鏡を外ってシャッターをきる。まさに、空を掴むがごとく。撮影対象は、一見、松だが、そこに写しだされたのは驚くべき未見の写真世界だ。三保の松原にゆかりの禅僧白隠の書画のようでもあり、撮る主体とピントを光の表面で迷宮入りさせてしまうアメリカン・ニュー・カラー・フォトグラフィ、その観音業のようでもある…これ以上は、本書を手にみずからの裸眼でお確かめください。

とまれ、本書については、ぼくも未だにこころの整理がついていないのだ。それはとある晩春の午後、駒形どぜうで昼酒をきこしめし蔵前の空蓮房で本書の企画をうかがい作品を依頼されてから、いわゆる即吟というやつで、それからあっというまに本書が上梓されたからかもしれない。ゆえに詩のタイトルも「雷曲」。その疾走感は作品にもあらわれているとおもう。読みかえすたび、本書はぼくのペンに到来した出来事ではなく、他者の旅を生きたような、不思議な感慨にとらわれる。

谷口昌良さんのみならず、ギャラリストにして話題のマガジン「疾駆/chic」の編集長菊竹寛さん、そして、まさに電光石火でこれほど美事な装幀をされたデザイナー木村稔将さんとお仕事ができたことは衷心より光栄です(ちなみに装幀は、写真を光沢紙に、詩を風合いある厚手の特殊マット紙に印刷。一冊の書物で別々の紙をつかいわける離れ業。活版印刷のフォントも美しく、さらにインクには光沢系の粒子が混入してあり、光線の角度が変わると砂浜のように煌めくのだった)。谷口さん、菊竹さん、木村さん、ここに記して感謝いたします。来年はイギリスに招聘されているので(今年の予定だったがコロナで延期)、本書に英訳をつけて持参しようと考えている。

そして、大変遅ばせながら、告知を。7/5開催の「東京ポエケットin 江戸博」にゲストポエットとしてお招きにあずかりました。踊り手のレンカさんに『空を掴め Catch the Emptiness』を舞っていただく予定です。この件は、近々、再告知いたします。

乞うご期待!

2020年6月9日火曜日

左右社WEB「詩への旅」が掲載



新型コロナ・ウィルスにともなう非常事態宣言解除後も、遠出については、一進一退の状況がつづいている。ぼく個人は、都内や他県に仕事や出張ででかける機会がふえてきたけれど…以前のように、人が自由自在に旅できるには、いますこし時間が要るようだ。

でも、そんなときだからこそ、こころはせめて詩的に旅していたい。

というわけで、今月も、左右社WEB連載中の詩的紀行エッセイ「詩への旅」第九回が掲載されました。


ロックダウンの余波で、思うように取材旅行にゆけないので…今回は満を辞しての「近旅」。地元埼玉県にゆかりある詩人、立原道造の浦和をとりあげました。

おかげさまで、多くの方にお読みいただいています。ぜひ、ポエジーの旅をお愉しみください。

2020年5月26日火曜日

解除後、バー再訪。




さいたま市では、コロナ・ウィルス禍による非常事態宣言が解除された。結局、アベノマスクは届かなかったな。もう、どーでもいいけど。そんな今朝は、夏の装いで自転車を漕ぐ通勤者の人数もおおかった気がする。だんだんと以前の日常がもどってきそうだ。
ぼくはといえば、ここ二週間、原稿の執筆や大学のオンライン講義で、多忙だった。さらに来週からは、箱根をはじめ県外への出張仕事もはじまる。あすはひさしぶりに横浜へ。

そこで、肩ならし(?)に、浦和の名バー「リンハウス」へ。
都内での仕事だったから、夕方早めに浅草の鎌寿司でかるくつまんで呑み、浦和へ。人もまばらな湘南新宿ラインのグリーン車内にて、銀軸のボールペンでツバメ印のノートに注文の詩のつづきを。
バーカウンターに着くと、マスターが「あれ、だしましょうか」。
自宅ではあまりつかわれることのなかった、1920年代のバカラのクリスタルコブレット(高杯)を、おいていただいている。酒は、マスターのオリジナルカクテル「ルーチェ」。光、という意味で、レシピはマンゴー、桃、サンジェルマン、エルダーフラワーなど。スタートもいいが、フィニッシュにも愛飲している。

この夜は、「シングルモルト余市アップルブランデーウッドフィニッシュ」でしめくくる。竹鶴政孝さんと妻リタさんの結婚百周年を記念し、春にリリースされた幻のボトル。キックとともに、北国のリンゴのさわやかな香りが花ひらく。すばらしかった…。
帰り際に、常連の小説家Kさんがぶらり入店。「安倍の野郎…自民は全員クビだ、クビ」と苦笑する小説家と政治から古剣術談義へ。浮きかけた腰をスツールに留めなおし、光を、おかわり。

2020年5月19日火曜日

原成吉著『アメリカ現代詩入門』を読む



 新型コロナ対策で、ぼくが教えている大学やカルチャースクールでも完全オンライン講義が実施されている。コンピュータがぜんぜんダメなぼくも、教務課の職員さんに教えていただきながらズームとメールを併用している。
 ところが…、話題のズームは、どうしても不完全なコミュニケーションツールだから、事後処理や補完のための仕事が雪だるま式にふくれあがる始末。コミュニケーションも一方通行になりがちで、「ないよりはまし」が、ぼくのズームへの評価かなあ。むしろ、シンプルに、メールだけのほうが、学生さんたちとの文通にも似て、詩という複雑にして繊細な文芸を教えるには適しているとおもう。言葉の力はやはりすごい。不幸中の幸いで、ぼくにはウェブ連載と著書があり、それらを活用してなんとかのりきろうとしている。
ぼくは会社員や公務員のテレワーク化にかんしては推進派なのだが、こと講義となると、リアルのほうが圧倒的に情報伝達力も交感力もすぐれていると痛感せざるをえない。今回のコロナ禍からは、いろいろなことを学んでいる気がする。

そんな事情もあって、ブログの更新がおくれてしまいました。

さて、オンライン講義についてモヤモヤ感をぬぐえないぼくが、くりかえし読みかえしている本がある。アメリカ近現代詩研究が専門で獨協大学教授の原成吉先生が著された『アメリカ現代詩入門 エズラ・パウンドからボブ・ディランまで』(勉誠出版)です。
 書名があらわす多彩で幅広い射程も魅力だが、本書の特長は、パウンドやウィリアム・カーロス・ウィリアムズなどのモダニズム詩をアメリカ詩の「第一世代」、チャールズ・オルソンら第二次世界大戦後の詩を「第二世代」、アレン・ギンズバーグらビート・ジェネレーション以降の詩を「第三世代」とした切り口。ウォルト・ホイットマンやロバート・フロストからはじまるアメリカ詩史から脱却した観点にある。ヨーロッパ古典詩の定型韻律ではなく、アメリカ独自の口語と事物を種に「固有の詩形、実験的なラインブレイク」を咲かせてきたのが、アメリカの近現代詩。その進展と分岐を、原先生はアメリカ詩史を物語る原理とした。


 たとえば、ウィリアムズ。ロンドン、イタリアへと渡り「モダニズムの興行師」となったパウンドとは対照的に、ウィリアムズはニュージャージー州ラザフォードで開業医をいとなみながら「アメリカ土着のモダニズム」を探求しつづけた。左記にふれた本書の概要は、ぼくにはウィリアムズのなした詩業そのものにも聴こえる。
欧州芸術と世界史から糸を紡ぎ〈引喩と虚構〉の詩を巧みに織りなすパウンドにたいし、ウィリアムズはアメリカを虚構ではなく言葉の種子、詩の第一質料にした。アメリカという種子が孕む多彩かつ膨大な他者や事物たちが織りなす日常を、ウィリアムズはいっさい排除することなく、新しい詩的言語によりポエジーが成立する特異な強度へとくみかえる。それにより、観念ではなくリアルによってつねに生成し変化する詩を書いた。そう、本書のすぐれた帯文が語るように「『いま、ここ』にあるすべてをうたう」アメリカの詩は、ウィリアムズからはじまったのだ。
アメリカが種子であるなら、ウィリアズの詩は胚葉体。個体化する多様体であり、自己の境界を自己が創りだしてゆく複雑怪奇な自己生成系の詩である。…これ以上、書きつづけると論考になってしまうので、ペンを留めよう。ぼくも、いつか、じぶんのウィリアムズ論をものしてみたいのだ。

なにより、原先生の言葉は、とても平易でやわらかい。何年も講義やゼミで練成し、学生に語りかけてきた言葉で書いてあるから。ところで、原先生はぼくにこんな話をしてくれたことがある。先生が書かれた文章や訳された詩は、発表前にかならず奥様に聴いていただき、その感想を参考に朱筆をいれてゆくのだと。
まるで、ウィリアムズと妻フロッシーのようではないか。

2020年5月7日木曜日

酒食日誌(1)




 新型コロナへの非常事態宣言が、埼玉では延長され、家に静居の日々がつづく。大学はオンライン講義、打ち合わせもオンライン。
 そんな折、家呑みが、畢竟、愉しみである。

 ぼくは小説家ではないので、コロナ以前は外出もおおく、喫茶店やバーを書斎がわりに原稿を書いてきた。携行用の原稿用紙やノートに書きつけた草稿は、コンピュータで清書してもらう。有名な話だが、作家の内田百閒や池波正太郎は外出できず蟄居して書くので、自宅の酒食が最重要だった。内田氏も池波氏も食事日誌をつけてい、毎食のメニューにこころをくだいていた。
 
さて、おなじ境遇となったぼくも、少々、晩酌について記そう。今晩の石田家の献立は、

先付 香物 山うどのたいたん 烏賊一夜漬
酒肴 明石蛸ざく
主菜 若鶏の信州平茸はさみ焼き
食事 筍と山うどの炊きこみご飯 味噌汁

酒 神龜純米吟醸限定生酒

 酒器は、小山冨士夫作斑唐津盃と江戸期麦藁手片口茶碗。ここのところ、いっきに夏日の気温になってしまったので、黴やすい春の徳利はしまい、初夏初秋の酒器をだしてしまった。酢蛸を盛った李朝期の刷毛目皿は、もともと酒器としてつかわれていた伝世品。
 気分転換も兼ね、夕食は、ぼくが包丁をふるう。そこが、作家と詩人のちがいなのかもしれないなあ。