2018年7月26日木曜日

Ukiyo Girl 村岡佑樹さんとのセッション


 いま、新譜をレコーディング中のロックバンド「Ukiyo Girl」の曲を、執筆時によく聴いています。歌詞も、いいですね。

Ukiyo Girl「翳りゆく月」 https://soundcloud.com/ukiyo-girl/khjkjyeo5myg

Ukiyo Girl公式サイト
http://ukiyo-girl.tumblr.com 
 そのUkiyo Girlのベーシスト村岡佑樹さんと、新宿のスタジオでポエトリーリーディングの収録があった。村岡さんは詩の朗読のためにベースではなく、Fenderのヴィンテージ・テレキャスター(写真、撮影も村岡佑樹さん)を持参。ギターとリーディングのデュオになった。近刊の新詩集『Asian Dream』(仮題)から一篇を読む。

 初めて、村岡佑樹さんの演奏と声をあわせてみた感想は、楽曲のセンスはもとい詩の言葉へのレスポンスが非常に優れているということ。あらかじめ詩のために曲を書いてくださるミュージシャンもいるが、村岡さんのスタイルは、基本的なテーマは決まってはいるものの、あとはぜんぶインプロヴィゼーション。

 ぼくの詩のリーディングは、即興性が高い。声の抑揚とリズムはもちろん、詩の言葉も即興的に声で書き換えたり、カットアップしたり、ループさせたりする。そこに、村岡さんのギターは、ピタッとついてくる。リヴァーヴをきかせた繊細なフレージングから、じつにかっこいいノイズギターと、高度な即興演奏だ。
 殊に、ノイズギターは、だれもができるようでいて、ほんとうにかっこよく鳴らすのは、すごくむずかしい。
 セッションの時間は楽しすぎてまたたくまにすぎ、こんど、またいっしょに自主セッションしましょうと約束。
 
 前回、書いたとおり、村岡佑樹さんとは8/10に外苑前のワタリウム美術館で開催される「ビート・ナイト」でも共演する。これからひかえているいくつかのリーディングにとどまらず、長期的なプロジェクトや『Asian Dream』(仮題)の音源化まで、ご一緒できたら。

 夢はふくらむばかり。

2018年7月20日金曜日

ビート・ナイト@ワタリウムに出演


 きたる、8/10。渋谷ちかくの外苑前、キラー通りに面した、ワタリウム美術館にて「ビート ナイト」というポエトリーリーディングパーティが開催されます。
 詳細は、下記リンクよりご覧ください。

http://www.watarium.co.jp/exhibition/1804rebelwithoutreason/event/8_10beat2.pdf
 
 いま、開催されている「理由なき反抗展」のサテライトイベントでもあるこのリーディング。獨協大学チーム ランチポエムズのメンバーも、オープンマイクで参加します。

 かくいう、ぼくは、現在、絶讃アルバムレコーディング中のかなーりヒップなジャパニーズロックバンド「Ukiyo Girl」の村岡佑樹さんとリーディングの予定です。楽しみ!

 ユウキさんとリーディングする作品は、こちらも絶讃紙レコーディング中のわが新詩集『Asian Dream』(仮題 )から。

 ギンズバーグの自筆推敲原稿も展示されます。ビート文学ファン、Ukiyo Girlファンのみなさまも、ぜひ、遊びにきてください。

2018年7月13日金曜日

新詩集の進捗?



 はじめに、西日本豪雨で被害に遭われた皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。

 ジャズとセッションする新詩集『Asian Dream』(仮題)の初稿を、そろそろ、入稿しなくてはならない。とまれ、原稿用紙にペンで綴った詩稿をPC清書してもらったものの、机辺に積まれゆくほかの原稿や講義に圧され、まったく見る暇がなかったのだった。

 文士らしく、温泉宿にでも逗留して、じっくり推敲したかったのだが。そんな、恰好いい余裕はない。打ち合わせや講義に出向く車中や、スキマ時間に喫茶店にとびこんで、ゲラをひらくのが関の山なのだった。

 フェリス女学院大学の講義後、野毛の日本最古のジャズ喫茶&バー「ちぐさ」へ。呑んでしまうまえに、万年筆とツバメノートをとりだし、いままで書けなかった新詩集の跋を執筆。すると、マスターから、「リクエストはどうします?」と尋ねられた。店内を見回すと、ぼく以外、お客さんはいない。だから、オーネット・コールマンが作曲し本人もレコーディングメンバーとして参加した、オーケストラ・アルバム『Skies of America』をリクエストした。ぼくには変な聴覚があって、ほんとうに集中したいときは、ラウドなフリージャズを聴きながら執筆する。めいっぱい、大音量でかけてもらった。

 ジャズの大洪水に身をまかせていると、なにも視えなく、聴こえなくなり、孤独のゾーンにはいってゆく。バーボン・ソーダを呑み、ゴロワーズを喫い、ひたすらペンをはしらせていると、30分ほどで書き了えた。

 しばらく、マスターとジャズ談義をしていると、仕事帰りらしき女性客がおひとりで入店。彼女が冷えたビールとともにリクエストしたのは、ビル・エヴァンスの名盤『Alone』。きっと、いつも、せわしい一日の終わりに、こうして独りの時間を楽しむのだろう。
 ぼくも、バーボンをおかわりし、彼女の静かな儀式にまぜてもらった。

2018年7月5日木曜日

『少しだけ「政治」を考えよう!』


 フェリス女学院大学での講義も、のこすところ、あと二回。今週は、同大学で創作の講義をもたれている詩人の城戸朱理さん、写真家の小野田桂子さんをたずねて鎌倉へゆく。近況や文学などの話をしながら、秀逸なレストラン・バー「クルベルキャン」で乾杯。半年間の講義の打ち上げ。それから、名高い老舗バー「マイクス」で、マイクスさん謹製のローストビーフ、ターターステーキをつまみにブルドックを呑み、歓談しつづけた。

 さて、フェリス女学院大学といえば、以前から紹介したい本があった。今年の春、フェリス女学院大学教授の島村輝先生、小ヶ谷千穂先生、渡辺信二先生が『少しだけ「政治」を考えよう!』という本を刊行された。「若者が変える社会」という副題が語るように、シティズンシップ(市民権)について文学・社会学・政治学・ジェンダー学の側からわかりやすく考察し、発言した良書である。
安倍政権が日本国憲法第9条をおびやかし、改悪する動きが鮮明になったころから、島村先生らは、学内でビラをくばり関連講義をしつつ、学生たちに選挙権と市民権について啓発するアピールをおこなっていた。その成果が、本書にもあらわれている。
現在、国政選挙における20代の投票率は平均して30%代前半といわれている。ぼくと同世代の労働や教育、福祉政策に切実な意識をもたざるをえない40代でさえ、50%にとどくかどうか。それは、この国にたいする冷たい絶望感が、若者を鬻いでもいるからだろう。国政のトップである安倍政権が、涼しい顔であれだけの横暴をし、嘘と欺瞞を積みあげてのさばっているのを見れば、だれでも大人たちを信用しなくなる。国政であれ、職場であれ、権力があればなにをしてもいいということになる。かつての文学は、そうした理不尽への憤りを、言葉を武器に戦ってきた。

講義では、ぼくも、戦前と太平洋戦争期に書かれた詩を比較して解説する。戦前と戦中では、詩人たち(小説家もだが)の自由と反俗の言葉がまるで別人格が書いたとしか思えない翼賛体制、国家総力戦の言葉へと変貌した。高村光太郎、堀口大學、竹内てるよ…軍部によるメディア統制の圧力もさりながら、男女を問わず自由意志で書かれた翼賛詩もおおい。そうした豹変を目のあたりにして、たいがいの学生は呆然とする。そして、こうした翼賛詩は、後年編まれた詩人たちの全集からは、恥部として削除されることがほとんどだ。

このことは、過去だけの出来事でも、対岸の出来事でもない。いま、おこってもまったくおかしくない出来事だ。なのに、文芸誌は生き残りをかけてどんどんライトに商業的になってきている。現実を黙殺して追認し、デジタルポピュリズムにおもね、楽でファッショナブルな言葉をおいかけるのは、文学的ひきこもり現象だ。先鋭化する現実に比例して、ひたすら軟化する文学・芸術は、より若者を追いつめていく気がしてならない。
こうした現状に、ぼくも、危機感をいだく。

だから、『少しだけ「政治」を考えよう!』のような良書が、もっと読まれてほしいと願う。

2018年6月30日土曜日

読売新聞に詩が掲載



  6/29の読売新聞夕刊に詩が掲載されました。

 詩作品は、近刊の、ジャズと対話する連作詩集『Asian Dream』(仮題)に収められる最後の一篇。タイトルは「Talking’ Loud Sayin’ Nothing」。ご存知、ファンクの帝王とよばれるソウル・シンガー、ジェームス・ブラウンの名曲で、詩は、JBの曲とインタープレイすることを希って書かれています。

 でも、ぼくの耳のなかを流れていたのは、JBのオリジナルヴァージョンではなく、リヴィング・カラーのアルバム「ビスケット」に収録されているカヴァーバージョンのほう。ぼくは、ずっと、ジミ・ヘンドリックスの音楽的な嫡子、ギタリストのヴァーノン・リードのファンでして。下記にYouTubeへのリンクをしておきます。


 詩篇Talking’ Loud Sayin’ Nothing」は、ぼく自身にとっても特殊な作品。じつは、読売新聞文化欄担当のMさんから、「日大アメフト事件」についての詩を、という願いから書かれた詩なのだ。
通常、記者さんや編集者さんが詩を依頼する場合、テーマについては詩人に一任する。ぼくも、最初はMさんからの異例の依頼にとまどいをおぼえた。しかし、Mさんの想いのこもったメールを読むうち、挑んでみたくなったのだった。もちろん、『Asian Dream』のモティーフでもあるアメリカ西海岸のブラック・タウン、オークランドの記憶もかさねられている。

お読みいただければ、うれしいです。

2018年6月21日木曜日

空蓮房「形相」展へ



 昨年の六月、一月にわたってぼくの詩個展を開催していただいた蔵前のギャラリー「空蓮房」で、新個展が開催しています。
 アメリカを中心に活躍されている写真家・兼子裕代氏による個展で、タイトルは「形相-Appearance-」。個展の詳細は、下記、空蓮房ホームページからお読みください。

http://www.kurenboh.com/jp/show.html

 ぼくも、さっそく、観てきた。

  形相とは、古代ギリシア哲学にいう森羅万象の表れ、顕現(エートス)でもあるが、展示はまさに形相(ぎょうそう)、人の顔、心身の表情をとらえた写真作品でもある。

 ギャラリー「空蓮房」は一回につき一名しか入場できない。茶室のような、繭の白い内面のような空間で、観客は独りで作品とむきあい鑑賞(観照)するというのがギャラリーの趣旨だが、今回の展示も、まさに空蓮房だから顕現した時空間、心の世界ではないだろうか。

 空蓮房に入房すると、一方の壁面に、哲学者エマニュエル・レヴィナスの言葉、「『顔』は、神の言葉が宿る場所である」と書かれてある。ぼくらは、独り、兼子氏の撮影した見ず知らずの他人の顔と対面しつづけるのだが、それらの「顔」は、ときに刮目し、瞑目しつつも、なにかの言葉を発する手前のような表情をうかべている。

 他者と対面する静寂を奏でるのは、兼子裕代の写真作品であり空蓮房であり観る者の心鏡でもある。写真をまえに、時とともに音がうつろい、光線が翳り、肌がちがう温みを感じとる。トランプ政権や安倍政権をはじめ世界的に保守・右傾化の兆候がみられ、人種差別が横行し、政治的にも危機的ないまという時代。レヴィナスの言葉を経過して、ぼくは、見知らぬ他者と他者が写真という隔たりのうちに顔をあわせる静謐を体感している。

 言葉で語れるのは、ここまで。なんどでも通わないとその深みを味わえない、いい展示でしたよ。ぜひ。


2018年6月14日木曜日

北村宗介個展「包容ー線と線」へ

 


  昨年のいまごろ、蔵前のギャラリー「空蓮房」でぼくの詩の個展が開催された。
 そのとき、共創作していただいた書家・北村宗介さんが、神楽坂のギャラリー「五感肆 パレアナ」で個展を開催されるという。先日、静岡でも個展を開催されたというお知らせをいただいたばかり。ちょうど、神楽坂に出向きもあったので、早速、うかがってみた。

 北村さんは不在だったものの、作品たちに出迎えられ、かなりの長時間をパレアナさんですごさせていただいた。

 今回の個展は、上写真の「華」(448mm X 300mm)のように、一見、アブストラクトな書が数点、ほかにミックストメディアにも映る連作から構成されていた。伝統的な楷書、行書、草書などはほとんど見あたらない。
 わ紙葉書と思しき紙のおもてをさらに白くペイントし、その表面に墨で揮毫した連作群は、「風起」、「風の交差点」、「風径」、「風の後姿」などのタイトルが付されてい、すべて「風」をモティーフに書かれているようだ。なかには、古本をつつでいたかの黄ばんだパラフィン紙や、スコッチテープなども貼ってコラージュした書作品もある。

 でも、今回の北村宗介の作品は、いわゆるアブストラクト書やアートと架橋する書作品といった類のものではないと、ぼくは思う。
 「風」連作群のはじまりには、三つの「風」一文字が置かれていた。草書体の「風」が置かれ、そのつぎの「風」で字はさらにくずれゆき、三文字目ではいっそうアブストラクティフになり「風」の字が抽象化される過程がわかるよう展示されていた。つまり、北村宗介の書は、既成の書体、一般的な記号=文字としての漢字に、より深くダイブし、書字の内奥に折り畳まれていた潜在性を開きひろげる試みではないか。
 すると、いままで記号の体制下にあった字の内奥に風が吹きはじめ、さらにどこか遠くへ吹き渡ってゆく。観るぼくらのことも、どこかへ運び去ってしまいながら。よって、北村宗介の書はあくまで書であって、書字のアブストラクションやアートとの境界性を問うものではないように、ぼくには見受けられた。

 北村宗介さんの揮毫は、字に深く潜行すればするほど、その奥底に自由を見いだしてゆく。まだまだ、書くべきことはあるのだけれど、この個展については別誌にレビューを書く予定なので、いったん、ペンを擱くとします。

 ギャラリーを辞去する際、ぼくも、風の連作群の一点を購めることにした。
 ぼくがえらんだのは「風聲」という書作品。会期が終了次第、自宅に郵送してくださるそう。届いたら、本ブログでも紹介したい。

 早くこないかなと、見沼で風をまっている。