2015年2月に神楽坂で開催された公演『毒と劔』を観て以来、鯨井さんは、ずっと気になるオイリュトミストであり、ダンサーだった。6/24のイベントでは、展示のある空蓮房のなかで、鯨井さんが踊ってくださる。本番を数日後にひかえたいまも、実感がわかない。
吉岡実氏、野村喜和夫さん、城戸朱理さんをはじめ、舞踏やオイリュトミーと詩が、身体と言葉の境界線をともにダンスする、させる行為について、ぼくは遠い憧れをいだくだけだった。その方法も、きっかけも、なかなか目のまえに醸成してこなかった。
個展のお話をいだだき、酒場で独り自身の詩や「個」について考えをめぐらすと、なぜか、鯨井さんの姿がうかんできてしまうのだった。準備もなにも、文字どおり手ぶらだったが、伝手をたどり鯨井さんに相談してみることにした。
ぼくらは、ほとんど言葉を交わしたことがないのに、鯨井さんは共同制作を快諾してくださった。
そして、晩春。鯨井さんと空蓮房に出向く。まず、泥鰌と鯨料理「駒形どぜう本店」でまちあわせ。サングラスをかけ、頂頭で長髪を団子にした長身の踊り手があらわれる。昼から乾杯しながらご挨拶。鯉の洗いやどぜう鍋をつつき、鯨井さんの故郷の仙台や幼少期のころのお話に耳をかたむける。仙台市育ちの鯨井さんは、鯉や泥鰌といった川魚はほとんど食したことがないらしい。それから、なぜか、子どものころの遊び話-どんな犬を飼っていたか、どんな虫や草をとり、木の実を食べ、ガラス玉や貝殻をひろい、どんな鳥の声を聴いて育ったか−に夢中。仕事の話はせずに。ビールと酒が数本空いたころ、西脇順三郎や吉岡実、池波正太郎の影をもとめて浅草の路地をそぞろ歩く。ぼくは、吉岡実後期の詩「夏の宴」を耳によびおこしていた。
谷口昌良さんをまじえて空蓮房で打ち合わせ。鯨井さんは、展示のある空蓮房、その純白の繭のなかでぜひ踊りたいとおっしゃった。
その後、蕎麦呑みを好むという鯨井さんの言葉にうれしくなり、「並木藪蕎麦」へと。めずらしく閑として、すぐに混みはじめたけれど、海老天ぷら、天ぬき、蕎麦味噌を肴に、一杯。菊正宗樽酒をぬる燗にしてもらい、お銚子を二本、また二本とあけてゆく。現代詩はもとより、アルトー、白秋、三島、折口、柳田、ユング、海外文学の話がはずむ。詩集を上梓したこともある鯨井さんは、読書家。そうした対話のなかで、ふと、鯨井さんは、詩や言葉がダンスやオイリュトミーへと生成する瞬間を感覚的に語りはじめる。詩人として、貴重なお話を聴かせていただいた、贅沢な時間だった。
つぎの仕事に向かうぼくは、浅草線の車内で、鯨井さんと別れる。
こんどは鯨井さんにあれを訊こう、これをもっと話そう、と思うのだが、六時間もご一緒させていただいたのに、ぼくは鯨井さんのプライヴェートについて、なにも知らないことに気づいた。車窓をふりかえると、サングラスをかけた鯨井さんが、もうどこか他者のように遠ざかってゆく。
彼がつかまえた蜻蛉の目玉の色、ちいさな足でかけぬけた谷道。ある子どものもつ記憶の肌触りのほかは。
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