2018年2月20日火曜日

「南方熊楠」展へ




  横浜で泊まり仕事の翌日、上野で下車する。毎年、元旦から仕事のぼくは、旧正月すぎに正月休みをとるのだった。

 そんなときは、泊まりがけで昼夜、呑む。

 蓮雀町「鎌鮨」は、まだあいていないので、ぶらり、上野公園へ。このところ多忙で、気になってはいたものの、なかなか赴けなかった国立科学博物館で開催中の「南方熊楠展」にはいった。
 じつは、今月末の発売だと思うけれど、詩の雑誌「詩と思想」3月号に、昨秋旅した南紀州と熊楠さんについて書いたのだった。この南紀への旅、本ブログで紹介するのを、うっかり失念していた。

 とまれ、本展はちいさな企画展だが、力のこもった、良質な展示だった。熊楠さんの膨大な直筆ノート、抜書、粘菌標本などの一隅と、久方ぶりに対面。
 どの紙片も、余白をのこすことなく、墨やインクの手蹟でびっしりうまっている。ふつう、一行分しか書けない罫線内に、細筆で二行書きこんである。熊楠さんは、書くことをほんとうに愛した。発表の意図や目的もなく。
 手紙も毎日のようによくしたためた。柳田國男や真言密教僧土宜法龍法師へのおびただしい書簡。ロバート・ダグラスやF・V・ディキンズなどとも英文で頻々にやりとりをしている。こういう、熊楠さんの情熱あふれる手蹟を、時も忘れて眺めていると、PC時代に手書きのぼくは、大変意気をえた。

 後年「南方はよく憶えている」と述べたという、昭和天皇に献じた粘菌標本をおさめた伝説のキャラメル箱(同型のレプリカだそう)もあった。これは、ぼくも初めてみる。田辺の南方熊楠記念館でみた記憶はない。しかし、どうして、キャラメル箱?
 キャラメル箱というと、掌にのるサイズを想像すると思う。佐藤春生などの南方熊楠伝を読んだとき、あのちいさなキャラメル箱にひからびた標本が納っているのをつい想像してしまったが。じつはこのキャラメル箱、半紙サイズのおおきな厚紙製だった。たぶん、店舗販売用の大箱だろう。それにしても、熊楠さんはこの箱をどこで手にいれたのかしらん。もしかすると、あの大箱にはいったキャラメル、ぜんぶ食べてしまったのかな。

 生物学の分野では、いくつかの新種の粘菌の発見やネイチャー誌への英語論文の投稿、研究員としての職歴はあったものの、学術書を大成させたり大学で教えることもなかった熊楠さん。展示では、情報処理の達人という、現代的な視座が適用されてはいたが。研究業績や地位名誉より、ひたすら蝟め、書く、無償の愛と快楽を追究する姿は、その展示資料からもおのずと漂いでていた。

 ぼくにとっては、粘菌というミクロの「原始動物」への、即物的ながらじつに詩的な観察眼、その未知ともいえる生態系を密教のコスモスへと接続させたあたり、なんとも興趣をそそられるのだが。
 熊楠さん作の標本や手蹟をみていたら、瀧口修造の詩的行為を想いおこした。熊楠さんの仕事は、せまい学術業績におさまらない、巨大な意味と悦びを秘めている。

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